いろとりどりの真歌論(まかろん) #17 藤原敏行

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

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 本来、暦(カレンダー)の役割は予言である。いつ頃から涼しくなるか、いつ頃にどんな野菜のどんな種を蒔くべきか、いつ頃から台風の害が増え始めるか。そんなふうな「今、何をすればいいか」の判断において重要なのは「これからどうなっていくのか」という見通しである。そして、それ(予言)を与えてくれるものが暦だ。夏であることを確認するために暦を見るという行為には、意味がない。今この瞬間が暑いことなど、誰だってわかる。

 さらに、暦というのはテクノロジーの一つだ。何も考えず日々を生きていても、カレンダーを見れば自分が今日、明日、一週間後、何をすればいいか示唆してくれる。暦がテクノロジーであり、テクノロジーに頼るということは、人が今まで自力で行っていたことをなんらかの仕組みに外注するということだ。外注することで、技術や経験やノウハウは発注元からはどんどんと消えていく。この歌は、たまたまうまく真夏の内の秋を嗅ぎとれたことを「おどろかれぬる」と言っているあたり、現代人、どころか平安時代の人ですら、すでに暦や予定に従って生きてきたせいで、暑さの極みのような瞬間の中に、すでに気温が下がっていく気配があると察知する能力が衰えてしまっていたことがうかがえる。あるいは現代人よりはまだ感覚に優れていたことが。

 日々を忙しく生きていると、あるいは古いデータに基づく計画を粛々と実行に移すだけの生き方をしていると、状況の変化の察知が遅れてしまうことがある。自然は人間の思うように動くとは限らない。人間が「秋」と呼ぶとおりのものが来るためには、地球の自転や水温、太陽の活動量の多寡、地面のコンクリ・アスファルトコーティング度など様々なパラメーターが関与しており、「秋」と一言でいったところで、毎年同じ秋ではない。カレンダーはあくまでも予言であり、自然を動かす魔法ではないということを私たちは忘れがちだ。世界は人間ごときが知らないうちにしれっと変わってしまっているのかもしれず、ちゃんと秋がくるということを、現代人も、もっとおどろくべきなのかもしれない。

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