人の話を聞くということ
人の話を聞くのは面倒臭いものである。
みんながみんな上手に話せるスキルを持っているわけではないので、聞いてもつまらない話しか聞けないこともあるし、知っている話を何度も聞いたりするのも、興味のない話に時間を使われるのも、誰だってうんざりするだろう。
そもそも、人間は思いのほか、人の話を聞いていないものである。
人が知りたいと思うことの大半は自分が興味があることだけだ。
日常の中にはたくさんの「こうなったらこうなるだろう」という思い込みがあって、それは誰かの話を聞く時も例外ではない。
「Aさんはこういう性格だからこういう話をするだろう」
「Bさんの立場ではこういうことを言うつもりだろう」
多くの場合は話がその予測の範囲内に収まるので、それが良い話でも悪い話でも、人の言っていることに大きな食い違いが出るということはあまりない。自分と違う意見が出てきたとしても、それすら予測の範囲内のことだ。
しかし、自分の思い込みと全然違うことを話されたりすると、人はひどく動揺したりするし、なんなら反発したりすることもある。
「○○は実はこういう人だ」という話が自分の思い込みと違っている時、人は「そんなことはない!」という気持ちがグイッと前に出てきてしまう。そうなったら、人の話をまともに聞くことなど最初から無理な相談だ。
だからこそ、人の話は一応は最後まで聞くようにしておいた方がいい。
聞いた上で「それは本当にそうなの?」と受け入れられるくらいの容量を持っておかなければ、「これはおかしい」「そんなの間違っている」と思うことが日常になってしまい、本当に知っておくべきこともフラットに見られなくなってしまう。
よく「表現の自由は民主主義の根幹」と言われるが、これも人の話を聞くことが大切だからに他ならない。
民主主義とは「みんなで決める」という面ばかりが強調されがちだけれど、その大前提として「みんなが同じだけの情報をちゃんと知っていてちゃんと判断できる」ということが求められている。
ある出来事について、A・B・C・Dという4つの事実があり、そのうちA・B・Cの事実を知っていると「この3つは事実なのだから、こう考える私は間違っていない」と思い込んでしまう。しかし、B・C・Dの事実だけを知っている人にはその出来事が全く違うように見えているかもしれない。
そんな状態の中で何かを決めたとしても、それは正しい判断を下したとは言えないだろう。
だからこそ、話し合いは大切だ。知っていることにバラつきがあるのなら、ちゃんと話し合って認識を共有すればいい。
今の世の中、インターネットで起こっている対立の原因も、だいたいは「自分の知っていることが正しい、自分の話を聞け」という態度が原因だろう。だけれど、そういう人はまず人の話をろくに聞いていない。
そんな中で話し合ったりすることは本当に難しいと思うけれども、何かを前に進めたいと願うのなら、まずは自分が話を聞くところから始め…
お前ら、聞け! 聞け! 静かにせい! 静かにせい! 話を聞け!
男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ!
いいか、いいか! それがだ…!
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