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ゴクヤスミ

夏といえば昼寝


真夏の昼下がり。田んぼの畦道、深い木立ち。戸を開け放って昼寝する人たち。降りそそぐセミの声・・・に重なるドンパン節の替え歌。

蚊とりマットの今年のCMが流れると笑ってしまう。幼い頃の、夏の記憶そのままの光景だから。ドンパン節のかわりに、父と母の盛大で規則正しい寝息と裏の宮川の牛蝉の「モゥオー」の大合唱ではあるけれど。
何はさて置き、夏といえば昼寝です。

夏といえば冷や汁


昼ごはんはうどん(ほしめんこ)に冷や汁が定番。
煎りたてのたっぷりの白ゴマをすりばちでよくよく擂り、ひとまず別の器へ移す。きざんだ青ジソとネギをたっぷり、よっく擂り、ゴマを戻してみそを加えたものが冷や汁の元となる。
そのままご飯に乗せたり、薄めてみそ汁代わりにしたり、冷飯にかけてサラサラかき込むのも良いが、やはりうどんのつゆとしたて少し濃いめに水どきし、薄切りのきゅうりでも浮かべて、ツルツルッとやるのがうまい。
夏といえば冷や汁です。

満腹になると、「オヤガシンデモゴクヤスミ」と念仏のように誰ともなくつぶやいて、大人たちは、ぶっ倒れるように眠ったもの。
何しろ夏の朝は早い。重労働は日の暮れるまで続くのだから、昼寝は不可欠だったろう。
「カクランする(熱中症になる)から外へ出るな」と言われ、子供らも渋々横になるが、すぐ目覚めて、そっと外へ出て、川でザリガニをとったり、庭で虫釣りをしたりして遊ぶ。
前の畑に大きな穴をほって、かくれ家にしたこともあった。蚊にさされ汗まみれ。屋根から下のワラの山に何度も飛びおりたりする姿は、小猿の群れのようだったに違いない。小猿は桑の実、桃、ビワ、柿、ポポーの実、シイガシ、ヒシの実、大好物のそれらの果物が、いつ、どこになるかを良く知っていた。

夏といえばアキタドメ

母は、昼寝から目覚めて仕事に行くまでの間に、手早くアキタドメを作るのが得意だった。少しでも時間があれば、まんじゅう、だんご、焼きもち(冷飯に溶いた小麦粉と砂糖をまぜてフライパンで焼いたもの)などこしらえる。
忙しければ畑からもいできたばかりのトマトやきゅうり。
とうもろこし、枝豆、そら豆、じゃがいもなどの茹でたてがでてくると、あっという間に皮、カラの山ができた。
私は、そら豆のあんのまんじゅうが大好きで、つくる作業を見るのも楽しかった。手間ヒマかかるものをよく嫌がらずに作ってくれたが、母にとっても息抜きのような時間だったのかも知れない。家で食べきれない程の量をつくって、近所、知人におすそ分けすることも珍しくなかった。
母はそうやって、物々交換したり、情報交換したり、気晴らしのおしゃべりをしながら村社会の中で、確かな居場所を築いていた。
利害の伴う複雑な問題が起こった時などに外交的手腕を発揮したのは、父よりも母の方だった、と母が亡くなってから父に聞かされてとても意外だった。きっと、日常茶飯事に通じた、こまやかな神経を持ち合わせていたのだろう。

今夜のご馳走はニワトリ

腹ごしらえを済ませて親たちが田んぼに出たあとの時間で思い出すのは、ニワトリのことだ。若くなくなって卵を産まなくなったニワトリは祖母の手で鳥肉になった。
どうすれば苦しませずに済むか、とか、「これが心臓、これは肺」など祖母は独特のしわがれ声で、教えてくれる。私は一部始終を真剣に見た。もう卵はうまないという老鶏の腹から大小ぎっしりのたまごの元が出てきた。祖母は物知りで、たくさんのことを話してくれ、そのままを見せてくれる。骨は木の台の上でたたいてつみれ団子にし、どこも無駄にしない。今夜はごちそう!

『インガルス一家の物語』のシリーズの一冊目の、『大きな森の小さな家』の中で、五歳のローラの心に焼きついている体験の多くが、「食べること」に関わっていた。その表現に、私はとても共感を覚えている。
ブタを一頭丸ごと料理する場面では「とびきりおもしろい」と表現しているし、大人たちの陽気な、まるでお祭りの準備でもしているかのような活気が伝わってきて、私も一員に加わりたくなってしまう。

夏といえばお盆

何はともあれ夏である。
夏といえばお盆である。
生家ではお盆になると毎日、客を迎え、食べさせることにおおわらわ。家族総出で、ぼたもち、てぶち(手打ちうどんのこと)、天ぷらなどをどっさり作る。天ぷらはナス、さつま、みょうが、しその実、ごぼう、干しえびと玉ねぎとシソのかき揚げ、などで、薬味にはネギや根生姜やゴマ、糧にはインゲンや大根、ほうれん草の茹でたものなど用意する。
客がぼたもちを食べたりする間に、祖母がうどんぶちをする。祖母がなくなってからは母がした。
かまどの大鍋でゆであがったばかりのてぶちは水にさらすとピカピカ光る。客だけでなく家のものも、子供たちも皆、出来たてを、わらわらと思う存分食べて良かった。天ぷらを揚げながら立ったまま食べるのは行儀は悪いが、実にうまい。
「うんまいからくってみ」と強引なくらいに食べさせるのが母の流儀であり、もてなしの形だったのだと気づく。
ここに載せた食材のほとんどすべてが自家製である。そのことも、思い入れの深さに影響しているのかも知れない。

私の中にも、母のやり方が根強く残っている。
五月の連休に、広沢さんの二人の息子さんが一泊してくれた。帰宅後、彼らが「朝ちゃんちはたべることが中心の家なんだね」と里枝子さんに言ったそうだ。そうだなァと妙に納得してしまう。
けれど最近は食べることは片すみに追いやられている。弁当、レトルトパック、冷凍食品やお惣菜を買いに走る。間に合わせ、有り合せが続いている。だから仕事が休みになって、友を迎えたりすると、上手でもないのに、嬉々として台所を走り回ってしまいたくなる。そうせずにはいられなくなるので困る。

すりばちとすりこぎ

長男の圭が2才になる頃だったろうか。
私は5才の薫と、渋谷の青山劇場へ「龍の子太郎」を観に行った。
その日、はるなちゃんのお宅で圭を預かって頂いたのだが、お台所ですりばちを発見した圭が「おかあさん」と言ったのだそうだ。
嬉しいことだった。しみじみ嬉しいこととして記憶に残っている。
母としても主婦としても、自信が揺らぎっぱなしこのごろだけど、あの時、圭がそう言ってくれたんだっけ、と思うと元気が出てくる。

すりばちは一人では扱いにくい。誰かの手で押さえてもらって初めて力が入る。手間もかかるし、時間もかかるが、香ばしいゴマのおいしさは他の方法では得られない。

私の体内時計はすりばちが生かされる速さ。
祖父から、父から、母からゆるゆると流れ来る心の働き。

時々とても息苦しいのは、現実とのズレがどんどん広がっているからなのかも知れない。 

                       1999年7月23日

「もらとりあむ5号 1999年夏草」収録

(2023年4月19日 入院中の病室にて。「今日は夏日になりそうですよ」と看護師さんが話す朝に。)


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夏の思い出

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