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イスラエルのパレスチナ人 24歳の俳優が語る

イスラエルにいるイスラエル人(イスラエル国籍保持者)の約2割はパレスチナ人です。1948年にイスラエル建国(パレスチナのナクバ・大災厄)があった際にそのまま今イスラエル領土となった場所にそのままいることができた人たちとその子孫たちです。

フリーダムシアターで学ぶ若い俳優のバハが語っていますので日本語にしました。

皆殺しを見ている バハ24歳(俳優)

 私は1948年に占領された土地の出身のパレスチナ人なので、イスラエル人の中で暮らし、働いています。
これは私が生まれた現実です。 イスラエルの実体、政府、国家。
戦争のことを考えると、イスラエル国籍を持つパレスチナ人としてできることは何もありません。停戦を求める者は誰でもテロ支援者として告発されます。

 もしソーシャルメディアに投稿したら逮捕されます。もし抗議行進したら逮捕されます。祈りに行くと暴行を受けるか逮捕されます。
それで私は傍観者となり、同胞の絶滅に関するニュースや映像を見ているしかないのです。

 子どもたち、女性、お年寄りの命が奪われるにつれ、私はパレスチナ人であること以前に、人間として恥ずべき気持ちになりました。
 
 イスラエルの占領により、民族全体が壊滅的となりました。 血を流すだけでなく、思考、笑い、安全、自由をなきものとします。溢れる怒りを表現することはできず、私に許される唯一の反応は沈黙です。
 
 聖地の絶望的な侵害を見ながら、私は創造主である神の前で恥じ入るほど沈黙を保っています。 
 48年に奪われた地のイスラム教徒として、私は愛と人道を呼びかけ、無実の殉教者のために祈るクルアーンの詩を口にするのが怖くなってきました。 アル・アクサ・モスクに行っても門のところに占領軍の検問所があります。
 
 俳優になろうと決めたとき、歴史、文化、政治に興味がありました。 しかし、48年に奪われた地では、私は愛国心やパレスチナへの帰属意識を感じませんでした。 まずアラビア語が使えないのに、どう表現すればいいのでしょうか。
 そこで私はジェニン難民キャンプのフリーダムシアターを選び、占領軍の暴力に直接直面しながらパレスチナ人の人生を生きることを選びました。 隠されていない抑圧。 私たちが分断されていない場所。 純粋な本物のパレスチナの感情。

 フリーダムシアターのおかげでアパルトヘイトの壁を初めて見たり、検問所を体験したりしました。 ジェニンキャンプの生活を見てきました。 古びた壁には銃弾の跡が生々しくあります。
 私はイスラエル軍があらゆる残虐行為と野蛮行為を行うすべてを肉眼で見ました。 そして私の帰属意識を強めました。

 フリーダムシアターで繰り返される攻撃は、芸術とエンターテイメントを破壊することを目的としています。 私たちの文化を消し去り、私たちのスキルと夢のための安全な場所を奪うことです。 私は常に不安と恐怖を感じています。 しかし、それでも私たちは繁栄できるように自分自身を育て続けます。 私たちの文明。 世界の皆さん、私たちの花からの太陽の光を消さないで、どんどん花開かせてください。

LINK IN BIO: To all texts published so far
https://www.artistsonthefrontline.com/youth-against-invasion


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