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諦観ではないが諦めと嫉妬とあれこれ

たまに受ける嫉妬・・・
わたしが嫉妬したいくらいなのに、わたしはたくさんのことを諦めてきたし、ふと思いついてももう今からじゃ、と諦めたりする。
本当によくする。

ちゃんとした生活をしている人たちを見て、いいなー、でももう無理だなーと思ったりする。

ちゃんと自己分析して、何がやりたいのか見極めて、マイルストーンを置いて、目標に向かって一歩ずつ進んでいく。
こういうことをやりたかった、とふと思った。
でももう性格が確立されてしまっているし、もう無理なことだとはっきり言って諦めている。

ちゃんとしている人を見ると羨ましい気持ちとそれ以上に尊敬の気持ちが湧く。20代後半とか30代とかでそういう感じを地に足つけてやっている人に出会うと羨望の眼差しである。

あー、いいなー。わたしは来世だな。来世のためにお話し聞いてみよう。

そういう心の声である。

その日暮しのわたしは不安定だ。不安定こそ精神の安定につながると声高に言っていたこともある。実際にそうとも思っている。
精神の安定とは何か?最近考える。わたしも不安に思うこともある。そんな時は誰とも会わず話さず一人の時間を大切にしている。
それでも今やれることは今思ったことを今やるだけだと思い返す。
その日暮のわたしにはそれしかできないからである。

今ナブルスというパレスチナの北の街にいる。
こんなこと言っては失礼だけど(留学生もいるし!優秀な大学もある!)エルサレムから数時間かけてバスを乗り継ぎやって来てエルサレムほど見るものもないし、ベツレヘムみたいなイベントもない。旧市街は素敵だけど、素敵な旧市街はそこらの町にだっていっぱいある。
そんな街にやって来て、数日特に計画なく過ごしている。友達のお母さんの掃除の手伝いをしたり、友達の妹の嫁ぎ先に遊びに行って義理のお母さんのお料理をご馳走になって作り方を習ったり、友達の奥さんと日用品のお買い物に行ったり、何かを調べるでもなく、遺跡や観光名所を巡ってもいない。

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旅をしたいと思っている人がいる。でも諦めている人がいる。仕事あったり、ここパレスチナだとビザの取得や最寄りのベン・グリオン空港が使えないからヨルダンのアンマンまで行かないといけないから・・とか理由は色々だけど、数ヶ月の旅を予定を決めず気の向くままにやるなんて馬鹿みたいなことだ。そんな馬鹿みたいなことをここ10年は続けている。

不安定すぎるこの人生を、どんな生き方ももしかしたら不安定なのかもしれないけど、生きるしかないからこれからもきっと色んなちゃんとしたことを諦めながら日暮ライフをするしかない。

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