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10年前の手紙

 10年前と書いたが、正確には何年前だかわからない。10年前後だと思う。もしかしたらマルタに引っ越しする前かもしれないし、マルタでの仕事を辞めて日本に戻った直後くらいかもしれない。
いずれにしても日本での会社員生活は終えた後だろう。

 大濠にあるヨガスタジオでまあまあ練習していた時期で、微かな記憶は薄い光が差し込んでいた。もしかしたら5月のゴールデンウィークあたりかもしれないし、小春日和だったのかもしれない。

 10年前後前にもらったお手紙を私は大切に持っていた。大切にと言っても1年に一度読み返すか読み返さないか程度で、捨ててなかったという方が近いのかもしれないけど、掃除の時に見つけては読まずとも、捨てるか迷うこともなく保存していた。

 手紙の主は札幌に住んでいる。それは今日手紙を久しぶりに読み返して知った。知っていたのかもしれないけど、北海道とその手紙は私の中で全くリンクしていなかった。2021年に北海道に行った時にその手紙のことを思い出さなかったし、北海道の人と会ってもその手紙の主のことを尋ねることもなかった。

 なんとなく今日手紙を読んでみた。今までも何度も読んでいるはずなのにたくさん新しいことを発見した。この手紙はプレゼントだった。手紙の主は私の作ったカレーのお礼にこの手紙を書いてくれていた。私がこの人のためだけにカレーを作ったとは思えないので、きっとポットラックな集まりをしたんだと思う。この人が私にプレンゼントとして書いてくれていた内容についてもっと深く考えてみたくなった。そしてそのことについて話し合ってみたいとも思った。

手紙の最後に名前が記されていた。

 私はこの人をなんて読んでいたかも覚えていないし、顔も背格好も覚えていない。ただ手紙をもらったことだけはずっと忘れていなかった。

 もしかしたら覚えている人がいるかもしれないと思い何人かにメッセージを送ってみた。ポットラックの集まりを主催したと思われる人にも連絡をしてみた。

その人、どなた?

 連絡をした全員から同じように全く覚えがないという返事だった。
手紙が現存する。そこに名前が記されている。
だからこの人物が私の空想ではなく、実存することは間違いない。

 手紙は確か誰かがこの人から預かって私に届けられたんだったと思う。なので手紙の主とは1日だけ、数時間しか会っていないはずだ。手紙を預かって私に渡してくれた人はもっと多くの時間を過ごしているに違いない。だけど誰も覚えていないのだ。

 この幻の人物に会いに札幌に行こうと思う。会えても会えなくても、手紙の内容を深く考えられそうな気がする。手紙の内容を経験するような気もする。

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