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親友、心友、信友、真友。人生は、仕事は足し算、友人関係は引き算。

友達の中の友達

友達と言われる枠は、人それぞれの定義があり、千差万別である。そして環境で友達も変化していくのでもある。

幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、クラブ、コンパ、常連先、会社、転職先、組合、等の歳を重ねる都度、人との出会いも変わり、自分と馬が合い価値観が合い、趣味が合い、だんだんと自分の性格や趣味や取り組む内容が大人になっていくと同時に10年前の友達だった人とは、現在、連絡を取っていなくなったりする。

決して、嫌いになったわけではない。

大人へと成長する過程で、一人の時間だったり、夢や希望、目的や目標、家族や彼氏彼女、そうした自分の愛する人生の矛先と軸が定まっていくのが、人生なのであるから。。。

要するに、自然と優先順位が決まって来るのです。

この人生の矛先と軸が決まり始めたときに、友達は傍にはいない。しかし、心の拠り所としては、いつも相談相手だったり、いざという時に助けになるのが、友達なのです。

また、ここで戻ります。その友達は10年前にできた友達ですか、最近知り合った友達ですか。ここがポイントです。

大切なことは、良い悩みに関しては友達は様々な意見やアドバイスを言ってくるでしょう。どんなことでも受け入れるでしょう。

*くれぐれも、仕事関係に友達と関係を持たせてはいけない。仕事からは友達は生まれない。これはルールだ。

元に戻そう。

問題は、悪いことや、困った時、辛い環境になった時、絶望に立たされた時、といった負の状況に追い込まれた環境の際が最も真価が問われる場面なのです。

別段、自分もそうなりたくてなったわけでもない。望んでその環境になったわけでもない。自然の摂理で、人生のなんらかの周期でそのタイミングがやってきたのです。それが20代なのか、30代なのか、はたまた50代なのか、それはその人の歩んできた状況によって出くわします。

お金で困るのか、仕事で困るのか、身の危険な状況なのか、究極に追い詰められたときに、無償でgiveをしてくれのが、本当の親友、心友、信友、真友です。

助ける側の親友、心友、信友、真友は、助けられる側の見返りは求めていません。むしろ極論、こいつに裏切られても仕方ないとでも腹を括っているといえよう。

共に無駄に過ごした時間が、そうさせているのです。無駄な時間を過ごした時期は、実は無駄ではなかったと実感する瞬間だと体験するでしょう。身を以て経験したから言えます。

助けられるのが、お金なのか、メンタルで救われるのかは、その人の置かれている状況で変化します。否定や助けてもらえなかったとしても、その人を嫌いになってはいけません。その状況になった自分が悪いのですから。絶対に、恨んでもいけません。

助けたいのだが、助ける余裕がなく、自分で一杯一杯だからです。


お願いをするつもりもないように生きて来た。

頼るつもりもなかった。

恥ずる気持ちやプライドも捨てて、さらけ出した先に、自分が友達にしてきたことは無駄ではなかったのだと、改めて気づかされた。

だから、10年前だろうが、これから出会う友達であろうが、一緒にバカをやる時間、その一日を必ず大切に一生懸命、全力で遊んで下さい。何歳になってもバカをして遊んで下さい。

そして、どんなことが起きても、損得勘定をしてはならない。

これからの人生で悪い時が来ることがなかった場合は、良き思い出として互いの人生のアルバムに刻まれるでしょう。。


助けられたら、一生かけて恩返しをしていこう。

人生は、仕事は足し算、友人関係は引き算。

この方程式になっていきます。

だからこそ、歳をとっていく自分の周りのいる数少なくなっていく親友、心友、信友、真友を大切にして下さい。




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