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Anneとの邂逅。そして通訳ガイド試験に合格。

2019年12月17日。

ネガティブな事ばかり続いたので、少しはいいことも書いておこう。
私はその年の春日若宮おん祭りで、フランス人のAnneと知り合った。

早くから「松の下式桟敷席」というのを予約していたけど、次女が急逝したのでキャンセルしようかと迷ってた。

葬儀から3週間たっていなかった。

普通の母親なら、こんな時期に見に出かけないよな、と思った。
が、私は普通の母親じゃないよな、と少し笑いそうになった。

孫のKANAは、ムコの実家に引き取られ、次女の遺骨は婚家で祀ってもらってる。
要するに私は何もすることがない。

この空虚感を埋める為にも出かける事にした。


桟敷席に行くと、通路を挟んで隣側に外国人のご夫婦が座っている。

私は外国人観光案内所でボランティアをしているので、すぐに何処から来たの?と聞くクセがついていた。

フランスからだと言う。
私は学生の時にフランス語をやってて、またやり直したいと思ってた所なので、それを伝えた。

Anne夫妻は大の日本通で毎年日本に長期滞在してると言うこと。

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すぐに意気投合した。
そして、つい次女の死のことが口から出てしまった。

Anneは私の肩を抱くと、

来年、ボルドーへ来なさい。
ねぇ、考えてみて、
来年ボルドーに居ると思うと楽しみが湧くでしょ。

と言った。

お祭りが終わるとAnneは腕を引っ張るようにして私を昼食に誘った。

カフェで話してる間、彼女は、

「あなたはボルドーへ来るのよ」
「広い家があるから、飛行機代だけで来れるから」
と何度も繰り返した。

そ、そ、そんな急に言われても…
旅費もないし、
家も長期間空けられないし、

が、最後には
「分かった、行くわ」
と答えていた。

たった4時間ほどで人生の流れが変わることもある。

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Anneとはあれから1年7ヶ月、Whatsupで毎週話してる。

お互いに人生哲学が驚くほど似ている。
Ton amieと名乗る仲になった。

コロナ明けには日仏行き来する予定だ。


そして同じ頃、県による地域通訳ガイドの講座が始まった。

ずっと前に応募していたもので、
次女の葬儀が終わって家に帰ってきたらポストに受講選考合格の通知が来ていた。

通知書の発行日は彼女の命日だった。

これも、やめようかと悩んだ。

娘を亡くして間もない母親は普通行かないやろうな。
でも私は普通の母親じゃないしと思った。

何より全てを持っていかれた空虚感を埋める必要があった。


3ヶ月の研修の後、私はガイド試験に合格できた。

こちらもコロナで実務経験を積む機会がないのだが、新しい仲間とも知り合えた。
今はインバウンド再開に備えて、オニ勉の毎日だ。


絶対的にこちらへ流れが来ている。

神様なんていない、
と嘯いたが、本当は神様の存在を感じている。
明らかに見えない力が働いている。

なんか、ドリフのコントに出てきそうな頼りない神様がいて、

うっかりと私の娘をあの世に送ってしまい、

その穴埋めにAnneとガイド資格をよこした気がする。

ゴメン、ゴメンって。
これでカンベンしてって。

そんなことでは私は許さない。
神様がいるなら、
その胸ぐらを掴んで壁にドンドンしてやりたい。

だが、ドリフの神様を想像すると少しは気持ちが和らぐのだった。

#嫁いだ娘を亡くすということ

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