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誠実に不誠実に生きるべき?

はじめまして。ただの大学生です。

最近、授業受ける度に、自分が何も知らないことにゲンナリしています。

抽象言語として数学が分からなかったのと同じレベルで文学がわからないです。

勉強には終わりがない、とか言いますよね。

人生いつまでも勉強とか。

一方、適材適所、向き不向き、って言葉がありますよね。

これを考えて恐ろしいアイデアが浮かんでしまいました。

私は、大学まで進んで、お金使って時間使って、酷い話に行き着くかもしれない。

なにか夢中になれるものをみつけよう、それが向いていることだ、向いていることをやるのが1番いいよ、それを続けていけば人生豊かになるよ……は、真実のひとつ。

しかし、私の真実は、「夢中にならないということを続けた方が人生楽しい、豊か」………だったりして、という。

ただの怠惰、甘えと言えばそうだなと思います。

でも仮に「夢中にならないことが幸せ」だった場合、どうすればいいんだろう。

なにかに夢中になる前にサッと逃げるようにするのが、私の幸福だった場合どうすれば良いんだろう。

プロになること、達人になることができる分野というのはなく、それにならないことが必要なのだとしたら……。

なににおいても、長く続けるとか、好きなものとか、「もっと上手くなりたい」って欲がでるし、周りもそれを期待してくる。それが疲れる。それがしんどい。大勢の人がそれが楽しいようですが……。

悩んで必死に出した幸福の答えが尚、雑に言うと、「全て(仕事も趣味も対人関係も)適当になあなあにやること」だったら……。
全てに誠実さが微妙に欠けてる方が幸福度高いとしたら。

随分生きにくい。

だって全てですよ。

仕事は不誠実でも、恋愛に誠実とか、対人関係に不誠実でも芸術活動に誠実とか、誠実さがどこかにあるのが人間ぽいと思うのですが。


誠実に不誠実に生きるのが向いてます、なんてどこにいっても誰に言っても怒られそう。

必死に考えた結果には到底見えないし。

まさか文学が数学と同等に理解できないとは想定していなかったので、相当に落ち込んでます……。

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