最近のジャンプ

僕は,小さいころから週刊少年ジャンプを読んでいる。ジャンプは定期講読するものです。大好きです。好きな作品は無数にあるが,特に花の慶次です。

長い間,ジャンプを読んでいて,最近,特に気になることがある。それは,パクリ・オマージュである。呪〇廻戦の「うずまき」「設定」然り,また,最近では,僕とロ〇子が表立って集英社作品(他社作品もだが)のオマージュを活用し,人気を博している。

もちろん,これだけコンテンツがあふれて,人気作品の「型」のようなものも分析し尽くされているなかでは(バクマン参照),先人の作品から良いところを学ぶことは大事だし,必要不可欠な要素である。

しかし!あまりにも,この風潮が強すぎる。言葉を換えれば,すでにある作品の設定・キャラ・作画構図などを「そのまま」やり過ぎていて,このパクリ自体を「リスペクトが故のオマージュ」として自虐的に表明・言い訳し,「自認しているからいいでしょ」というスタンスを取っている作家が多すぎる。

これでは作家としてのオリジナリティに欠けるし,そもそもパクリという「あえて避けてきたこと」を地でやるという反則技でもある。作家である以上,個性をもってこれまでになかったような作品を世に生み出し,一文化を醸成し,次世代をインスパイアする必要がある。そのために心血を注いで,作品と向き合い,文字通り,寿命をすり減らして良いものを作ろうとしている作家がいる。世界最高峰の漫画誌であるジャンプであれば,これはなおのことであり,連載作家には当然のように要求されてしまう。

また,最近では,「パクリ元も再認知してもらえるからいいじゃん」「win-winじゃん」とか言う自称ファンもいるが,30年超ジャンプを読んでいる者からすると,そんなことはない。決してない。作家を甘やかしているどころか,自分たちで文化を殺しにいっている。

パクリ・オマージュ風潮でどれだけの作家がガッカリしただろうか。「パクリの方が受けるなら,もう漫画なんて書きたくない」,「一生懸命,オリジナルをやるより,バズレばいいんでしょ」「同人と一緒じゃん」。こんな思いをした優秀な作家が筆をおいてしまい,漫画の進化を妨げてしまう。これはダメ。悪化が良貨を駆逐する,というものである。

僕とロ〇子では,ジブリの「風立ちぬ」を全面パロディ化した回があったが,宮崎駿氏らがどれだけの想いでその作品を作ったか理解しているのか。もちろん,ジブリも公式には「パクリ・オマージュ・パロディなんてするな」って言ったら「大人げない」と思われるから,何も言わないし,コメントを求められても苦言を呈さないだろう。けどね,これは甘えているのですよ,作家が。そして,自称ファンが作家を甘やかしているのですよ。

漫画に限らず,芸能,音楽,学者世界も同じだが,バズったものが良いのでない。ちゃんと視るを目を養うことを読者がしない限り,偽物が跋扈する。偽物が跋扈すると,本物が死ぬ。本物が死ぬ業界で発展はあり得ない。

ジャンプにはそうなってほしくない。編集部のみなさん,プライドを持って頑張ってください。



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