幸せの在処と僕らの存在論



絶望を目の前にした今、私が立っているこの場所は
自信を持って、正しい場所だと言えるだろうか

かき集めた思い出の欠片は
一粒の涙より小さく粉々になってしまった

どうして感情が溢れかえって来ないのだろう
隠したわけではないのに、現れないのはなぜなの

僕らは
何を原動力にして生きているのか

右手に握った絶望で
左腕にいくつもの線を走らせる

ドクドクと脈打つ速度とともに
無色の涙が音を立てずに滴る

この厚い雲は、PM23:00の夜空を
いつもより暗く濁った色に染め上げているよ

何もかも忘れるためにきいた海の音は
誰かが泣いている声にきこえて

「そっか、ひとりぼっちなのは私だけではないのか」
そう私に自覚させるための、退屈な音になっていた

悲しくなんかないよ、辛くなんかない
寂しくなんかないし、痛くもない

強がりではない本当の心の声が
頭の中で何度も何度も木霊する

幸せの在処は、僕らの想像とはかけ離れた
とても穏やかな場所に存在するんだろうね

明日が“もっと”良い日になればいいなと願ったのは
明日も生きると思っていたからで

明日が“きっと”良い日になればいいなと願ったのは
人生最後の日が良かった日だと思いたいから

絶望の地に立った僕らは
一体、どんな明日を生きるんだろうね

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