ホワイトカラーってそんなに偉いのか?全員が大学へ行く必要はあるのか?

慶應義塾塾長、伊藤公平氏の「国立大学は学費を100万円上げるべきだ」の主張が波紋を呼んでいる。基本的には、遺伝と家庭環境によって一流大学へ行けるかどうかは決まる。だが、ごく希に貧困家庭から東大に合格する人もいる。そうした人は東大へ行かせてあげたい。だから、私は伊藤塾長の意見には反対だ。

だが、全員が大学へ行くべきだとは思っていないし、ましてや全ての大学を無償化するなど狂気の沙汰だと考えている。もし、大学を無償化すれば、モラルハザードになる。大学は遊ぶ場所、レジャーランドになる。本来ならば大学に行かないはずの層が「無償だからとりあえず行くか。勉強はしないけど、恋愛やサークルを楽しみたい」となるわけだ。

よって、もし無償にするならば、学力と学ぶ意志の両方に優れたごく一部を選抜するべきである。

また、ホワイトカラーは別に偉いわけではない。その考え方こそ、差別ではないか。肉体労働は尊くはないのか?水道管の老朽化など、インフラの危機がある。大工が不足して住宅ができなくなる。介護士が足りないと高齢者が困る。

人には、得意分野がある。職人に適正がある人を無理に大学へ行かせるべきではないだろう(同調圧力も含む)。

ホワイトカラーなど、働かないオジサン・オバサンだっている。これこそ既得権益だろう。肉体労働の場合、体を動かさないとすぐにサボりだとバレるから、肉体労働で働かないオジサンやオバサンはいないだろう。

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