「年と年の間に」Zwischen den Jahren(ツヴィッシェン デン ヤーrレン)

  das Jahrとは、中性名詞であるから、定冠詞dasが付く。j字は、ヤ行発音になり、h字は長母音になる記号と考えてよいので、まずは、「ヤー」とする。さらに、r字は音節の〆になるので、殆んど発音されないが、気持ち「rル」の感じで、喉の奥を狭めて発音する。この単語の複数形が、Jahreヤーrレとなり、第二音節が「-re」であるので、今度は、はっきりと「rレ」と発音する。

 複数形の単語に付く定冠詞は、「が、の、に、を」で変化する場合は、それぞれ、「die、 der、 den、 die」となり、前置詞zwischenが「に」を要求するので、ここで、「den」を取る。

 前置詞zwischenは、「~と~の間に」という意味で、発音が少々難しい。まず、「sch」の綴り字は、「シャ、シュ、シェ、ショ」となる。次に、「zw」の綴り字であるが、ドイツ語のw字は、「ヴ」となり、ここでは、「ヴィ」と発音する。さらに、z字は、「ツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォ」と発音するので、「zw」は、「ツヴィ」となるが、「ツ」と「ヴ」の間にある「ウ」音を出来るだけ短くすることが肝要である。

 以上、ここまでが、この、ドイツ語での言い回しの、文法的並びに発音上の説明であるが、表題の訳は直訳であるので、「年と年の間に」と訳されても何のことか、ピンと来ないであろう。それで、これを少々分かりやすく訳すと、「旧年と新年の間に」と訳せる。

 とは言え、明治時代の改暦以降の日本人の「時間感覚」では、旧年と新年の間に「時間」があるものであろうかと訝る方が多いであろう。しかし、ドイツでは、否、ヨーロッパでは、「旧年と新年の間」に「時間」があるのである。

 まずは、西洋暦でも比較的宗教臭くない、「旧年と新年の間」の時間の定義から始めよう。とは言え、西暦自体が、キリスト生存の以前か以後で「紀元前、紀元後」と分けるほどなので、どうしても「キリスト生誕」が関係する。つまり、「キリスト生誕」の前か後かで、「旧年」か「新年」に区別する。即ち、クリスマス・イヴが旧年の最後の日となり、キリスト生誕により、世が「明けて」、世界が将来の救済の「光」を見たクリスマス第一祝日から「新年」が始まるというのである。そして、現在のカレンダー上で、暦の上での「1月1日」から新年が始まるという「約束」を採ると、「旧年と新年の間の時間」とは、12月25日から1月1日の前日までの七日間を言う。

 しかし、話しは簡単ではなく、実は、「新年」なるものの定義が、ヨーロッパ史との関わりで、時代毎に異なるのである。

 まずは、古代ローマ暦では、3月1日を以って、新年が始まることになっていた。古代ローマでは、この日に、「聖火」が点された。その内に、紀元前二世紀半ば頃から、共和制ローマ政体において最高官職である執政官(consulコンスル)の任期が、1月1日から始まるところから、「新年」をこの日から数えようとする慣習が一方では出来上がりつつあった。

 他方で、ローマ帝国内にキリスト教が拡大すると、教会暦との関わりで、イエス・キリストの復活祭と並んで、イエスの生誕を祝うことが重要視されるようになる。そこで、紀元後四世紀半ばに当時のローマ教皇は、12月25日を「クリスマス」を祝う日とするが、いみじくも、この日は、ローマ神話の太陽神「Sol Invictus」を祀る祭日でもあったのである。或いは、どちらも同じく「光」を崇めるところから、従来の太陽神を「キリスト」になぞらえたとも言えなくない。

 さらに、キリスト教では、キリスト生誕、復活祭と並んで、いわゆる、本来イエスの洗礼と関係する「公現祭」、つまり、「東方の三博士(ドイツ語では「三王」)」の訪問と礼拝の日、1月6日も大事な祝祭日となったので、むしろ、この日を「新年」とする感覚も次第に強くなったのである。こうして、12月25日から1月5日までの12日間を「十二のクリスマス祝日」とする。

 ところで、帝政ローマ期では、いわゆる「ユリウス暦」を使用していた。この暦は、一年を365日とする太陽暦である。それで、四年毎に閏年を設けて、その年は一年を366日として、若干の調整はしていた。それでも、ユリウス暦の暦年の平均日数を365,25日とすると、実際の太陽年が365,24219日であるところから、年ごとに暦がずれることになる。こうなると、本来「春分」として決めていた3月25日が、天文学上、前にずれてゆき、紀元後四世紀ともなると、天文学的な「春分の日」は、暦上では3月21日頃になっていた。そして、キリスト教で最も重要である祝日「復活祭」の実行日を決める上で、「春分の日」が決定的であるところから、暦がずれていくユリウス暦は、教会暦上、極めて問題であったのである。

 つまり、ユリウス暦は、天文学上、平均太陽年より約11分長いので、約128年で1日のずれが出ることになり、紀元後四世紀よりさらに1200年経った16世紀後半になると、暦上の「3月21日」は、天文学上の「春分の日」とは、十日間弱ものずれが生じていたのである。こうして、このような「ずれ」は、当時のローマ教皇グレゴリウス八世には、もはや収拾が付かないものと思われ、1582年、ユリウス暦の改暦を指示したのである。即ち、「グレゴリオ暦」の成立である。この「改革」により、3300年毎に一回、追加の閏年を設ければよいことになった。

 しかし、この「改革」は、ドイツにおいては、16世紀前半に始まったルター派プロテスタント運動、つまり、いわゆる「宗教改革」に対抗する「反宗教改革」の対抗策と理解されたこともあり、言葉の真正な意味での「プロテスト(抵抗)」派は、カトリック派の「頭目」であるローマ教皇が「勝手に」布告した「グレゴリオ暦」を、「悪魔とアンチ・キリストの道具」として見做して、これを中々認めなかったのである。こうして、とりわけ一大宗教戦争である「三十年戦争」が戦われた近世ドイツでは、17世紀において、カトリック派たる領邦国ではグレゴリオ暦が、プロテスタント派である領邦国では従前のユリウス暦が、通用するという、暦上の分断状況にも至ったのであった。

 この春分の日の問題と絡んで、天文学上で、夜が一番長い「冬至」が何日であるか、ということも大事な観点となり、それはまた、古代ゲルマン民族の民俗行事との関連で、農事暦とも絡んでくる。こうして、冬至に当たる12月20日から21日に掛けての夜から1月1日に掛けての「12日間の夜」を(ここから、「十二の夜」という言い方も)、「旧年と新年の間の時間」と見做す見方も生まれることになる。そして、この見方による「旧年と新年の間の時間」を、12月20日の夜から数えて、ドイツ語では、「Rauhnächte」と呼ぶ。同じ呼び方で、25日の夜から数えて、1月5日の夜まで数える「十二夜、第十二番目の夜」もある。(尚、Rauhnächteとは、古風な綴り方で、現代では、h字を外して、Raunächteと記述する。)

 Rauhnächteとは、rauhという形容詞とNächteという名詞の複合名詞のようにまず見える。die Nachtという女性名詞の、複数形がdie Nächteとなる。chの綴り字は、腔内を、吐く空気で擦るようにして「ヒ」と発音する。意味は、「夜」である。

 一方、rauhは、形容詞で、発音は、h字をあっさり無視して、「rラオ」と発音する。ドイツ語の複母音auは、「アオ」と発音した方が原語に近くなる。この形容詞は、基本的に「粗い」と訳せるが、但し、毛皮の毛のある側をrauhで形容するところからも、rauhという言葉は、中高ドイツ語では「毛のある」という意味の「rûch」という言葉から来ているという説があり、「Rauhnächte:rラオ・ネヒテ」とは、毛皮を纏った悪魔が跳梁する夜を指すと言う。別の説によると、この時期に、農民は牧師に頼んで、家畜小屋を歩いて回ってもらい、その際に、神聖なお香「乳香」を、家畜の安全のために、焚いてもらう。この「乳香」をドイツ語では「Weihrauchヴァイrラオホ」といい、この-rauchからrauhが来ているとも言う。

  つまり、どちらの年にも属さない、中途半端な時間として、この時期は、「異界・魔界」にも開かれており、故に、この時期には、妖怪・悪魔などの「魑魅魍魎」、超自然的な「威力」が、この世に現出してきて、「めちゃめちゃな追跡劇」を、とりわけ、「大晦日の夜」、或いは、「十二夜」の1月5日の夜に繰り広げるという民間信仰があるのである。

 このような「夜の世界」ともなると、太陽暦ではなく、月齢で測る太陰暦で数えた方が都合がよくなるが、太陰暦では、一年は354日となり、太陽暦の365日よりは、11日分、或いは12回の夜分、短い。それで、天文学上の季節と合わせるために「閏月」なるものが、太陰太陽暦ではある訳であるが、実は、太陰暦における、この11日間の「ずれ」から、Rauhnächteは来ているのであるとも言われている。と言うのは、人々はこの11日間を、暦上は本来存在しない「死の日々」と呼んだからである。ここに、異界たる「黄泉の国」とのイメージの連続性が存在するであろう。

 このことからも、Rauhnächteに夜空を駆け巡る、妖怪・魔物の「軍団」を率いる頭領の一類型が、北欧神話の主神オーディン(古ノルド語では「オージン」)であるのも納得が出来る。と言うのは、「怒りの主」の意味を持つと言うオーディンは、死と戦争の神であるからである。彼は、長い髭をたくわえ、八本足の愛馬スレイプニールに跨り、戦死した勇者たち・エインヘリャルや死者の霊を従えて夜空を騎行する。こうして、「めちゃめちゃな追跡劇」、英語で言うところのWild Huntワイルド・ハントが、冬の夜空に展開するのである。

 こうなると、筆者には「ファンタジーの世界」にしか思えないのであるが、冬空のよく晴れた夜に、外に出て、「冬の大六角形」の星空を見ながら、想像力の羽根を羽ばたかせてみてはいかがであろうか。「冬の大六角形」とは、見つけやすい星座オリオン座のβ星リゲルを右下の基点として、時計回りに、おおいぬ座α星シリウス、こいぬ座α星プロキオン、双子座β星ポルックス、ぎょしゃ座α星カペラ、牡牛座α星アルデバランの、それぞれ一等星を結ぶと出来る「大六角形」のことを言う。

 最後に、ウィキペディアのドイツ語版「ワイルドハント」では検証が出来なかったのであるが、日本語版には出ている「楽しい」説を載せて本稿を終わろうと思う:

 「オーディンの8本足の馬、スレイプニルのために、古代のゲルマンやノルマンの子供たちは、冬至の前の夜にブーツを暖炉のそばに置き、スレイプニルのために干し草と砂糖を入れ、オーディンはその見返りとして、子供たちに贈り物を置いていったという。現代では、スレイプニルは8頭のトナカイとなり、灰色の髭のオーディンは、キリスト教化により、聖ニコラウス、そして親切なサンタクロースとなったのである。」(ウィキペディアより) 

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