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将来のビジョンに対する不安と虚無感に襲われています。

ある人のサイトに『お悩み文通』とういうコーナがあったので、

応募してみました。

私が相談した内容はこちら

こんにちは、

文通の企画開いてくれてありがとうございます!

今、私はアメリカのコミュニティーカレッジ(2年制大学)でビジネスを学んでいます。ビジネスを専攻した理由の一つは「人が集まる場所」を作りたいと思ったからです。ですが、ここ最近は本当にそれでいいのか。とか自問自答する日々が続いています。(もしかしたら自粛生活のせいなのかもしれませんが)

 また、海外に住んでいる中で年なんて関係ないとよく聞きますが。私は少し気にしてしまってます。今年で30歳。まだまだ学生をしていてそしてはっきりしていない自分のビジョン(人生プラン)に対して自己嫌悪が募るばかりです。

 今まで自分がやりたいと思ったことはやるタイプでした例えば台湾留学、アロマ、日本語教師、ベビーシッター、ファッション関係のインターンシップ等

ですが、今、自分自身に対して「無」になってしまっています。

こういう時期ありましたか?
どういう風に乗り越えましたか?
アドバイス貰えると凄く嬉しいです。
宜しくお願いします!!

【返信】

Yさん、サロンが終了してからもこのようにお便りをいただきありがとうございます。

まずは、今までやりたいと思ったことに素直になっていろいろ挑戦してきた自分をもっと褒めてあげてください。そんなに色々挑戦してきていることが、そもそもすごいことですよ!

書かれているお悩み、すご〜くわかります。私も「」になってしまった時期、ありました。これは、やりたいことに挑戦してきた人が次に直面する問題として、結構よくある話だと思います。私の周りでそうやってきた人たち、特に今海外に住んでいる人でそういう悩みにぶちあたる人って結構多いです。フリーランスで成功した人も、同じような悩みに直面する人がすごく多いです。それは、次のステージに進んでいること、成長したことの証拠だと思います。これって多くの人からしたら「自分の好きなことやって海外に住んでいて、何が問題なの?」って思われてしまってなかなかわかってくれる人いないと思うのです。それは、自分のやりたいことに素直になって自分の道を突き進んでいける人が少ないから、と思います。


ただ、私はそんなに焦らなくていいと思います。これまで突っ走ってきたのだから、ステージが変わった今は「今を楽しむ」ということ、自分のペースやスピードを大事にすることを新たに学ぶ時ではないでしょうか?


これまでYさんが色々挑戦してきたことは「可能性を広げる」ということだったわけです。将来のビジョンを持つというのは言い方を変えれば「自分に制限をかける」ということです。今の時点の自分が出した決断がコロコロ変わったりするのは健全なことだと思います。それは、挑戦しながら成長している証だからです。可能性をたくさん広げた人は、さらに多くの可能性をみることになるのでこういう悩みが出てくるのだと思います。

私はこう思います。人はまず、自分のやりたいことに素直になれない、それに対する恐怖があるという第一の壁にぶち当たります。それを乗り越えると、どんどん挑戦していって可能性が広がってくる。当初予定していた目的以上のさらなる可能性が見える。そうすると次に第二の壁としてぶちあたるのは「オプションがありすぎる」と言う壁です。ある意味カオス状態とも言えます。この壁に当たるということは、もう今までの考え方自体を変えることが求められている試練なのかもしれません。

でも、第一の壁も第二の壁にも共通しているのは「自分がハッピーであること」が試練を乗り越える大きな目的のはずです。


私もYさんのように「」に感じた時、そうした自分の焦りに気づきました。色々できることをやって頑張ってみましたが、焦っている時に頑張れば頑張るほどうまくいかないので、諦めました。(笑)そして、思いっきり遊ぶことにしました。なので、実は全く仕事してなかった時期も結構あります。それは仕事大好き人間にとっては考えるだけで恐ろしいことだったのですが、「」になったことは今までの考え方を変えるチャンスでもあったな、と今振り返ってみて思います。当時は必死すぎてそんな悠長な考えはできませんでしたが。


今までの仕事中心の生活だったら付き合わなかったような人々と交流してみたり、自分の将来にとって得か損かを考えずただ「楽しむ」ということをやってみました。そこで学んだことは「どんなことがあってもストレスに感じないようにする心のあり方」でした。それは、結果として今仕事にも生かされていると感じます。仕事が仕事じゃなくなりました。今の私の本当の仕事は「どんな時でもハッピーでいること」だと思っています。なぜならこれがどんな仕事よりも難しく、同時に意義のあることだからです。


年齢を気にしてしまうことも、自分を責めないで冷静に年齢を気にしてしまう自分を受け入れてあげてほしいなと思います。「なんで年齢を気にするの?」と自分と会話すると「他の人はこうしているから」とかそういう答えが返ってくるかもしれません。そしたら、私は人の目を気にしているんだなぁ〜って。それに気付くだけでいいんです。それに良い悪いという価値観を当てはめない。へぇ〜そうなんだ、気にしてるんだ。と。そういう気持ちも含めて、自分なわけですから。

そうして1日1日、自分と会話していくと少しづつ新たな発見があることと思います。そうやってより深い学びを得ていけることが人生の素晴らしさなのかな?って思って。ちなみに私は将来のビジョンなるものはありません。自分の好奇心の赴くまま、どこまで遠くへ行けるか見てみよう!という考えでいます。他人から見たら「何目指してるの?」って思われるのかもしれないけど、「私が歩んできたこの濃い人生を他人に分かったふりされてたまるか!」って気持ちの方が大きいです。(笑)そう胸を張って言えるくらい、色々行動してきたわけで。だからYさんのしてきた経験に対して、私はめちゃくちゃリスペクトがありますよ。

すぐに答えが出るものは、その程度の価値です。でも、すぐに答えが出ないことを考えることができる、そういう問いを持つことができるのは真にリッチなことだと私は思います^^


この返信を読んだ時、泣いてしまった。



いつも周りから『生き急ぎすぎる、飽き性だね。』って言われたし、
自分でもそう思ってた。(思っている現在進行形)

自分のハッピーに意識を当てる。って今までやったことなかったです。
何をしてる時がハッピーなのか、もっと自分の気持ちに耳を傾ける。
意識することが大事なこと。なんだと気づかされました。

後、『人の目を気にしてる私』『年齢を気にしてる私』
『ビジョンのない私』それでいいんだって思わされるこの手紙(文通)
なんか気持ちが少し軽くなった。



ありがとうございます!!

みなさんの暖かい思い出、日々頑張れています!!これからもよろしくお願いします♡