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「GALS!」に憧れ大人になった私たち。


以前こんな内容のnoteを書いた。


▽私を構成する5つの漫画


その中で「GALS!」について少し話したんだけど、色々思い返して懐かしくなってしまったから、今回はもう少し掘り下げて書いてみようと思う。



▼「GALS!」とは

GALS! は藤井みほな先生により1998年〜2002年まで「りぼん」(集英社)で連載されていた、いわゆる"少女漫画"だ。

主人公の蘭(らん)を中心としたギャル3人が渋谷を舞台に繰り広げる、恋と友情の物語。

少女漫画とはいえ、キラキラとした恋物語よりもどちらかといえばギャグ展開に進むことも多く、かと思えば「援助交際」「ネグレクト」「教師との対立」などの社会問題にも大きく切り込んだりしている。

そんなところが目新しいのと、リアリティもあって当時小学生だった私も大いに影響を受けた作品だ。
蘭ちゃんのズバっと物申す姿はいつもカッコよく、ギャルが世直ししていく様も気持ちがいい。


▼月刊紙「りぼん」

当時小学生だった私たちは、クラスの中でも「ちゃお派」「なかよし派」そして「りぼん派」に別れており、私は根っからのりぼんっ子だった。

それは紛れもなく「GALS!」が連載していたからだ。

毎月1日に母親から、今思えばとても少なかったであろうお小遣いをもらい、りぼんを買うために発売日まで無駄遣いは我慢した。

そして発売日の放課後は、帰宅するやすぐにランドセルを投げ捨て、500円玉を握りしめて近所の「駄菓子屋」さんへと走ったのだった。
当時は1冊420円。余ったお釣りで1個だけ駄菓子を買って、足早で家へ向かう...。これが毎月の何よりの楽しみだった。

なんとも平和である。

早速家に着くと「りぼん開封式」を行い、おまけを手に取り、応募者全員サービスなんかも確認し、一刻も早くGALS!を読みたい気持ちを抑えつつ「巻頭カラー」の作品から順に読んでいく。

GALS!が巻頭カラーの時は、その細やかでカラフルな扉絵に毎回感激し、飽きるほど眺めていた。

毎月本当に楽しみで発売日に絶対読んでいたため、またきっちり1ヶ月待たないと続きが読めないのは地獄のように辛かった。
そんな時は過去のりぼんや単行本を何度も何度も読み返したものだ。

この好きなことに対する「貪欲さ」は今のわたしに十分通ずるところがある。まさかこの時から養われていたとは、驚きだ。笑



▼ギャルと渋谷

90年代後半〜00年代はまさに「ギャル」全盛期である。

特にギャルに憧れる高校生たちを「コギャル」といい、ミニスカ・厚底・ルーズソックスは「三種の神器」と言っていいほどマストだった。今と真逆の時代だ。

そしてそんなギャルの聖地といえばやはり「渋谷」

GALS!の舞台ももちろん渋谷である。

当時小学生で地方住みだった私にとって「渋谷」は憧れの街だった。TVや漫画などでしか見た事なかった聖地だ。いつかこの目でハチ公を見ることは小さな夢であり、109で買い物をすることが目標でもあった。

"高校生になったらいっぱいバイトして可愛い服買いまくる!"

そんな漠然とした憧れと野心があった。

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実際に初めて「渋谷」の地に降りたのはいつだったろう?

中学だったか、高校だったか。今となっては記憶は曖昧なものだが、初めてハチ公をこの目で見たときの感動はひとしおだった。

「あのハチ公の上に蘭ちゃんは乗っていたのか...。」

と、しみじみ見つめたものだ。109で両手いっぱいに買い物をして、覚えたてのメイクをキメて友達と何枚もプリクラを撮りまくった。

もうGALS!が完結してから何年か経っていたし、その頃のわたしは少女漫画自体からとっくに卒業していたが、それでもずっとわたしの中では「渋谷=GALS!=蘭たち」だった。

池袋といえばIWGPについでマミリンだし、町田はタツキチだ。幼い頃についたイメージというのは決して色褪せない。



▼理想の高校生活とはかけ離れた現実

高校生になったらやりたいことは沢山あった。

まずはアルバイト。自由に使えるお金を早く稼ぎたかった。そして、好きな洋服を沢山買ってオシャレをしたかった。

制服のスカートも短くして、ローファーもかかとは踏んで、化粧もして、ピアスも開けて、髪も染めて、放課後は友達といっぱい遊びたかった。

だが、現実というのは厳しいものだ。

「校則」という掟を前に私たちは抗うことができず、都会の「JK」像とあまりにもかけ離れている現実に落胆することしかできなかった。

青春時代のバイブルはいつしかGALS!から「pop teen」や「egg」になっていたが、どの雑誌でも同年代の女子は大人びていて、キラキラしていた。

制服の着こなし方も、髪色も、メイクも、持ち物も全部 自分たちとは違ってすごく羨ましかったのを覚えている。


当時、わたしは別にギャルになりたかったわけではない。

ただ、「田舎の高校生」というこの現実からすごく抜け出したかったのだと思う。

このコンプレックスをずっと抱いていたわたしは、勉強そっちのけでバイトを頑張ってお金を稼いだ。そして、こんな田舎にいる自分が愛せなくてストレスを発散するかのごとく渋谷に買い物に行くようになったのだ。

実家から渋谷までは遠く、電車で何時間もかかるがそれでも「東京」への密かな憧れだけを原動力によく通った。

当時なぜか渋谷・原宿に行くたびに必ず芸能人やモデルを見かけていたのもあって、「やっぱりここは最強の街だ!」とその都度感動していた気がする。笑

挙げ句の果てに、半日授業の時なんかは学校帰りにそのまま東京に向かったこともある。一人でだ。距離を考えたらかなりクレイジーである。でも、そんなフットワークの軽さも若さゆえだったと今なら言えるだろう。



▼永遠の憧れ

小学生の頃「GALS!」を読んで、いつか自分も大きくなればあんな高校生活が送れるものだと信じていた。

当たり前にそんな未来が訪れて、華やかで眩しくて、一瞬のきらめきとも言える「青春時代」を新たな友達と過ごせると思っていた。

ただ、やっぱり「憧れ」が強すぎて現実とのギャップにすごくもがいて苦しんだ記憶の方が多いのも事実だ。

人はそれを「思春期」と呼ぶのだろうか。

結局、蘭ちゃんたちのようなキラキラした毎日は送れないまま3年間は過ぎた。


そんな「田舎コンプレックス」を抱えたまま大きくなったわたしは、のちに「東京」の専門学校へと通うようになる。

いつしか渋谷は毎日のように通う場所となり、たくさんの友達もできた。

あの頃の「憧れ」は気づけば「日常」に変わり、時代の変化とともに次第に渋谷にもいかなくなった。


でも、あの街のどこかに今でも蘭ちゃんたちがいるような気がしてならない。

とっくに彼女たちより大人に成長してしまったはずなのに、今だにわたしの中では「憧れの存在」であり、お手本なのだ。

もう二度と戻れないあの高校時代を思い出しては、ぐちゃぐちゃな感情がこみ上げてきて胸がキュッとなる。

眩しい蘭ちゃんたちの笑顔を見るたびにワクワクした気持ちを取り戻せる。


たかが「漫画」といえばそれまでなのだが、確実に彼女たちはわたしの中で生き続けている。

それほど、幼少期の漫画との出会いというのは多大な影響を与えるものだ。


きっとこのわたしのように、GALS!に憧れていた子は沢山いるはずだ。

憧れのまま終わった子も、実際にギャルになった子も、十人十色だろう。

男子がナルトの印を結ぶ事が憧れだったなら、女子は蘭ちゃんたちのような女子高生になりたかったのだ。
世の中には数多くの「カリスマギャル」が存在してきたが、間違いなく彼女もその一人だろう。

こんなにも自分の人生を揺るがすほどの素敵な作品に出会えたことに感謝をしたい。藤井先生、本当にありがとう。


ちなみに一度は完結したGALS!だが、昨年からなんとマンガMeeにて連載再開という形で掲載されているのでぜひチェックしてほしい_!
彼女たちが高校卒業後の2002年からの話なので、当時の懐かしい渋谷の様子やファッションなども楽しめる。(まだみんなガラケー使用なのもエモい)

詳しい情報はぜひ、藤井先生のツイッターをチェックしてくれい!




というわけで今回は、わたしとGALS!の歩みをダラダラと書かせていただいた。

なんだか最近は懐古厨のように、昔を振り返っては懐かしむ...ということを繰り返してばかりだ。
こんな世の中だから、先の見えない未来に少しネガティヴになっているのだろうか?


それでもこうして「あの頃」の気持ちを取り戻すというのは自分を知るために欠かせない行為の一つだと思っている。だからよかった。


最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。

それではまた。


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