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いつまでもそこにあると思うな⚪︎⚪︎

私が小学生ぐらいにオープンした地元の商業施設が先日閉業しました。
閉じることは前々からアナウンスされていたし、ほかに買い物に行く場所もあるにはあるから、困ることはないな〜でも少し寂しいな〜と思っていました。
そして先日ほんとうに閉じてしまって。
そこで感じたのは「永遠なものは、この世にない。」という当たり前の事実。日々の中でそう感じるタイミングはもちろんほかにもあったのだけれど、寂しいと感じたのは、子どもと言われる時期から大人までお世話になった場所だったから。

せっかくだから思い出を振り返ってみようと思いました。
誰のためでもなく、私の備忘録として。

1、母が貯めた商品券でHARUTAのローファーを買った


私の母はポイントカードやポイントで交換できる商品券、ワゴンセールが大好きな人間です。少しでも「おトク」を味わいたいよう。

その日は高校入学の準備でローファーを買いに行きました。
価格は忘れてしまったけれど、本皮のHARUTAの黒のローファー。
そのとき母はずっと溜め込んでいたであろう商品券の束をポーチから出して、レジで払ってくれました。

あまりお金に余裕がない家だったので毎日の食費など必需品ではないものにお金を使わせてしまうことに少し財革感のようなものを感じたものの、「女子高生」のマストアイテムであるローファーをゲットできたことに対してすごくテンションが上がった記憶があります。

ワゴンセールがあると吸い寄せられるように近づいて、
ガサガサといつまでも商品を見ていたり、
ポイントカードでパンパンになった財布を持っている母の姿が恥ずかしく感じる時期もありました。

今はそれはそれで、母なりの買い物へのモチベーションだったり、楽しみ方の一つとして眺めています。

2、ゲーセンコーナーで開かれたポケモンカード大会で弟が入賞した


リバイバルブームで大人気のポケモンカード。
当時も男の子、女の子に関わらずポケモンカードは大ブーム。
弟もカードケースに宝物を保存して、ともだちと毎日ように対戦していました。
そんなとき開かれた小さな大会。
弟もエントリーして、対戦を楽しんでいました。
そして結果、ベスト16だか8だかになり、トーナメント表が載った模造紙に名前が書かれたのです。

母は「がんばったね〜!」なんて声をかけていたような。
弟はべつに泣いたり、わめいたりはせず、穏やかに自分の名前が書かれたところを見ていました。

トーナメント表を見て、ずーっと視線を上に上げていくと
「あ!」と私たち3人は同時に声を上げました。
私の同級生のお兄さんの名前が写真付きで優勝のところにいたのです。
頭が良いことで有名なお兄さんと弟にあたる私の同級生。

さすがだね〜。ポケモンカードもできちゃうんだねぇ〜なんて言いながら家路につきました。

3、高校生活の放課後、友人とマックでいつまでも話していた


何を話していたかもう全然覚えていないけれど、マックのポテトをおやつ代わりに、ずーっと、ずーっと、友達と話していたのも、商業施設の中に入っていたマック。
マックがなくなってしまってからは、サイゼリアに場所を変えて、
ずーっと、ずーっと話していました。
女子高生ってなんであんなに語り合うことができるんでしょうね。
お金がなくても「しあわせ」を感じる一場面として記憶に残っています。

4、子どもができてフードコートのありがたみを知った


小さい子用の椅子とテーブル。
子どもはうどんセットで、私と夫は別の店のラーメン、など家族で気分でバラバラのものを注文できる。
空席があればすぐ座れる。
すぐ提供してもらえる。

子どもが産まれるまではフードコートはガヤガヤしていて落ち着いて食べられないわ、と思っていたのですが、子どもができてからはフードコートでの食事があまり周りに気をつかわずに済むので助かっていました。

休日のフードコートがなんであんなにごった返しているのか、
今ではよくわかります。

なんやかんや私の半生とともにあった場所。
なくなってしまって寂しいと感じるのは当たり前でした。

今やネットでいろいろなものが買えるし、本当に助かっているけれど
たまにはお店に行って買う、食べる、を楽しむ場所を
個人的にも、子どもの体験の記憶としても残していきたいなと思いました。

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