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「ネットで十分、学校はいらない」は本当か

 学校の休校騒ぎで、ネットを利用して子どもが自宅で学習するスタイル、「テレワーク」ならぬ「テレスタディ」が進みそうである。商機到来とばかりに、各企業がこぞってオンライン学習サービスを無料で提供している。

 「もっと前からGIGAスクールを進めておけばよかった」「家で自分のペースで勉強できるんだから、学校なんていらないんじゃね?」と発言する人が、あろうことか教員の中にもいる。

 「テレスタディ」を礼賛する人たちは、学校の機能を(狭い意味での)学習の場としか見ていない。だが、学校には「学習集団」としての側面だけでなく「生活集団」としての側面があることを忘れてはならない。

「共同体への所属」を学習する場としての学校

 人間は、社会的な動物である。集団への所属=対人関係なしには生きていけない。対人関係に困難を抱え集団への所属に失敗した人のなかには、自死を選んでしまう人すらいる。

 

 リアルな対人関係は学校でなくても家庭で保証できる、という向きもあるだろう。しかし、それは恵まれた家庭のみの話である。今日び、すべての家庭がいわゆる「家庭的」なあたたかさを子どもに提供できるわけではない。とりわけ経済的に難しい家庭の子どもこそ学校の持つ意味が大きいことは言うまでもない。

 「テレスタディ」に飛びつく大人たちは、「リアル」の価値を軽視しすぎだろう。みんな、空気みたいに当たり前に思ってその価値に気づいていない。

 「テレスタディ」を手放しで礼賛する学校教員は、自分の仕事の尊さを理解していないのである。

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