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特権、有害性、と責任:男性性と向き合う大切さ(「これからの男の子たちへ」の感想)

新しい本との出会い

最近じわじわと思わされていることがあります。

男性フェミとしてわたしは、女性の視点を理解することと女性と対等に接することこそがフェミニズムの基本で、男性として1番の責任だと思ってきました。
しかしながら、異性愛シス男性(つまり、最もマジョリティの一部で社会的特権を与えられている立場の人)である以上、自分の性としっかり向き合わないで女性と共に立つのは、ナイーブだし、かえって差別に気づかない思考を作ってしまうのではないか。

自分が何故バイアスを抱え、そのバイアスがどのような形で性差別を助長していて、自分の特権をどのようにして不正義の是正のために用いるべきかを知るには、男性性の理解も深めなければ、と気づきました。
もちろん、理解と言うのは、「逆差別」の主張によくある男性権力を正当化し擁護する視点の理解ではなく、女性の人権尊重・地位向上・と社会的活躍を目的とした理解のことです。

ということで、わたしは、再び本屋へと繰り出しました。
気になる本は複数あったが、今回手に取ったのは以前インスタで見かけた一冊の本。

太田啓子さん著作の「これからの男の子たちへ」。

弁護士をされている太田さんが、2人の息子の母親として、男性と男の子を育てる親に伝えたいことをこの本のなかで語っています。
自分は親ではないが、ひとりの男性として、そして将来子育てをすることがあったときのために、この本に出会えてよかったです。今回は、特に心に響いた内容をシェアしたいと思います。

有害な男らしさ

まず、全ての前提として、1章と2章で太田さんが取り上げている点、それは「有害な男らしさ」です。

「なんとなくイメージつくけど、それって何?」と思う人もいるでしょう。
太田さんによると、

『競争の勝ち負けの結果でしか自分を肯定できなかったり、女性に対して「上」のポジションでいることにこだわりすぎて対等な関係性を築くことに失敗してしまったり、自分の中の不安や弱さを否定して心身の限界を超えて仕事に打ち込んでしまったり』

「これからの男の子たちへ」23頁

これらのことを「有害な男らしさ」と定義しています。
そしてこれは、女性がいない男性ばかりのホモソーシャルな環境の中で、「男性の在り方」として確立され、内面化され、時には過激化していく。

太田さんはこの「有害な男らしさ」の刷り込みを大人になってからなくすのは難しく時間がかかると書いています。だからこそ、子どもの頃の教育が計り知れなく大切。

自分に当てはめて考えると、比較的「有害な男らしさ」からは免れた育ちを受けたと思っているが、うっかりしていると無意識にそのような考え方をしてしまうことがあります。インストールされてしまっている以上その思考を削除するのはそう簡単にできないが、指摘を受けたり気づいた時にはその都度リセットするよう心がけています。
例えば、自分が強がっているときに「弱さを隠して誰のためになるの?助けを求めた方が楽になるんじゃない?」と自分に問いかけてみたり、マンスプしそうになるときに「今かけようとしているその言葉、相手のことを思ってないでしょ?マウント取ろうとしてたらクソダサいよ」と一歩離れて自分の言動を見つめ直したり。

それでも自分に嘘をついたり、相手を傷つけてしまったり、自我を優先してまうことはあるので、素直になることを心掛け、小さいことから確実に行動にうつすことの大切さを染々実感しています。

性差別に盲目な男性社会

「有害な男らしさ」はなんで「有害」なのか。
とても深刻な形で多くの女性の人生に与える影響について3~5章で詳しく取り上げられています。

まず、日本では性教育が不十分であることを太田さんは指摘しており、朝日新聞が2018年に行った調査で、回答者の9割以上がセックスのことを知った情報源は友人やメディアと答えた結果を上げています。(104~105頁)
わたしが日本の公立学校に通っていた期間は、小学校のころ計半年にも満たないため、この調査結果を実体験と照らし合わせることはできないが、わたし自身は性教育を学校で教えてもらったことは一度もありませんでした。
そのため、もちろん、セックスや性についての情報源は友人かメディアでした。(とても健康的とは言えないですよね)

ここで一旦、日本ではどの性が権力をもってきたか確認しておきましょう。
そう、男性。
では、男性が権力を握って作り上げた社会のなかで、一般常識やメディアは誰の視点を反映するでしょう?
そう、男性。
「有害な男らしさ」を根強くもつ男性の視点から性について学んでいったら、人を尊重した健康的な性との向き合い方はできるでしょうか?
そんなはずがないですよね。

太田さんは、この構造的性差別がどのように働いていてどのような影響を与えているか、オブラートに包まずに指摘しています。
いくつかピックアップすると、性暴力を人権侵害としてではなくただセックスの一種として扱ったり、セクハラと性暴力を軽く見て「性欲は本能だから」と正当化までしたり、相手を傷つけたり不快な思いにさせる嫌がらせやいたずらを「笑いネタ」と「下ネタ」にするなど。男性の方は特に心当たりあるかもしれません。

わたし自身振り返ると、痴漢を性暴力の一種としての理解が不十分だったり、「男性の性欲は本能」と聞かされたり、番組やドラマでセクハラがネタにされても深く考えずに見ていた自覚があります。
自分がどれだけ意識してこなかったか、意識せずに平然と生きてきたか、男性としての特権と「男らしさ」の有害性に気づかされ、深く反省させられます。

そして、4章の締めに書かれていた文章にわたしは心打たれました。
太田さんは、イギリスが日本の痴漢に対する警告を出すほど有害な男性社会が存在してしまっていることを指摘し、この強い言葉を綴っています。

『(日本は)「治安が良い国」だけど、女性は電車内で日常的に痴漢に遭っている、そのうえ痴漢という性暴力の「暴力」の部分が透明化されて「性」ばかり強調されたエロネタとして扱われることまである―こんな日本の状況は決して「当然」ではありません。』

「これからの男の子たちへ」177頁

男性は多くの女性が苦しんでいることに目も暮れず、自己責任と言って責め、軽視して笑いごとにし、差別とハラスメントと暴力を蔓延化させてしまっています。これが現実で、男性である自分はこれによって特権に預かっていて、黙って何もせずにいたらこの現状に加担していることと変わらないのでは。

できること・するべきこと

では、男性である自分には何ができるか?
太田さんは本の最後に男性陣に対して10個のアクションを訴えています。

  1. 自分の弱さを否定しない(236~239頁)

  2. 性暴力を絶対に笑いごとにしない(239~240頁)

  3. ホモソーシャルな同調圧力に抗う(240~241頁)

  4. 性的サービスをお金で買うことの意味を真剣に考える(241~245頁)

  5. 男性というだけで特権があることを理解する(245~247頁)

  6. 特権がある者としての責任を行動で果たす(247~250頁)

  7. 何もしないことは不正義に加担するということを弁える(250~252頁)

  8. 社会は変えられると信じる(252~254頁)

  9. 女性と対等な関係性を築けるようになる(254~256頁)

  10. 新しい常識を女性たちと一緒に作っていく(256~258頁)

わたしは、ここまで書いてきましたように、男性としての特権をどのように行動にうつすべきか悩むことが多いです。そのため、今回着目したいのは、6番と7番。

まず太田さんが上げている点は、特権をもつ男性の声は社会に通りやすいということ。
女性が行動を起こしたり発言をすると叩かれバッシングを受ける、他方で、男性が同じ行動や発言をすると反発が少ない。これは構造的性差別の症状の一つである側面、男性である自分はこの特権を不正義の是正のために用いる責任があると気づかされています。

「自分は差別なんかしない」で終わりにしないで、日本の社会と文化に蔓延している性差別について学び、おかしいと発言することから始まります。学ぶということも、太田さんは、『性差別について意見を言っている人の声に耳を傾け、理解しようとすること、そして何をできるか考え続けるということが第一歩』(250頁)と説明しています。

男性として反論したくなったり、「中立の立場」を主張したくなったり、「いや、でも」と言い返したくなることはあると思います。ただし考えればこれも、「男性は人の上に立つべき」と条件付けられてきた「有害な男らしさ」からくるものとわかります。
特権に預かっている自分には見えない部分が多いとわきまえた上で、人の痛みと苦しみを切実に理解しようとすると、屁理屈なんか言ってる場合ではないことは明らかだと思います。

また、太田さんははっきりと「中立」なんてないと言っています。
性差別の被害を受けている人たちがいる以上、黙っていることや見過ごすことは被害者を生み続けることにつながるため、「中立」では決してないということ
ただ、何をしていいかわからないから「中立」を装う方もいるのではないでしょうか。わたしもそういうことあります。

幸いに、太田さんはいくつか具体的な実践例を提案しています
例えば、痴漢に気づいたら、加害者と被害者の間に割り込んでスマホに「知り合いですか?」と書いて被害者の方に見せること。女性をじっと見ている男性がいたら、間に立って気づいているとを明白に示すこと。泥酔した女性を見つめている不審な男性がいたら、声を張って「大丈夫?誰か迎えに来てくれる人はいるんですか?」と女性に話しかけること。(251~252頁)

どれも多少の勇気はいることだし、自分がこのような状況に次あったら正しい行動を取れるか正直不安な面もあります。でも、いきなり加害者に立ち向かうことに比べたらとても現実的だし、決して小さいことではないと思います。
被害を阻止するためにはそれくらいの勇気は持てる人でありたいです。

もう一つ太田さんが教えていること、それは、自分の性差別を指摘されたときの応答の仕方。
わたし自身、間違いを認めたり謝罪をすることが苦手です。でもそれも、自分が正しくないと自己肯定できない「有害な男らしさ」から来るコンプレックスなんだと理解したら、例え悔しくても指摘されたことを受け止め、間違いを素直に認め、真摯に謝罪をし、自分の言動をもう一度見つめ直して、今後は相手をもっと尊重し傷つけないようアクションを取ることはできます。

性差別は、誰かの尊厳・安全・命にまで関わる問題であると常にわかっていれば、自分のプライドを捨てることくらいできるはずです。

自分と向き合う

「これからの男の子たちへ」は、自分の男性性を見つめ直すとても良い機会を与えてくれました。

これまでは、「男性」の部分と「フェミニスト」の部分で葛藤が生じたとき、独りで思い詰めてしまっていたが、男性性のどこが有害で・男性性のどこをフェミニズムに活用していけるのか、自分なりに整理することをこの本は助けてくれました。

これからの自分との向き合い方も人間関係もより健全な形を目指していくための強力なツールを得たような気がします。