映画『フリークス/怪物團』~誰が本当の怪物なのか
noteから#映画感想文のお題が出されましたので、戦前の古い映画『フリークス/怪物團』('32)について語りたいと思います。「伝説の」とか「埋もれた」とか「究極のカルト」などの形容がなされることの多いこの映画。実際の奇形・不具の人が大勢出演することが注目されましたが、実は非常にまともな内容の映画です。しかし、当時の業界や観客から「きわもの」扱いされて葬られた感があります。
(以下、用語として「奇形・不具」という言葉を用いています。この映画の話をする場合、例えば「障碍者」と置き換えると意味が伝わらないため、この用語を用いておりますが、もちろん差別の意図は全くありません。)(また、不可避的にネタバレが含まれますが、ご容赦ください。)
初公開時の宣伝の煽り文句
見出し画像は’32年に日本で公開された時のポスターです。こういった戦前のポスターなどの資料は、東京では戦争中の空襲でほとんど焼けて残っておらず、このポスターも東京ではなく京都の映画館で使われていたものです。当時の公開タイトルは『怪物團』でした。
注目すべきはその宣伝文句です。「この息づまる恐怖」はまだよいとしても、「戦慄すべきグロ」「畸形児総出演」「グロ映画の極(きわみ)」さらには「非人間の存在」とまで言っています。
映画が制作された本国アメリカではどうだったのでしょう。画像を検索してみたところ、初公開時のアメリカのポスターでは「完全な成人女性が本当に小人を愛することができるのか」とされており、やや落ち着いたトーンなのですが、当時の新聞広告では「奇形者(フリークス)による恐ろしい復讐」「奇異で異常な半男、半女、半怪物、半人間」などとされています。
当時の人々は、このような煽り文句に惹きつけられて、専ら「怖いもの見たさ」の気持ちで劇場に足を運んだのでしょう。
誠実で美しい映画
そのような煽り文句は、この映画を正しくアピールしてはいません。この映画は、巡業するサーカス団の中の愛憎と欲望を描いたものです。実際の奇形・不具の人たちは、サーカスの団員という役どころで出演しています。
サーカスの花形クレオパトラは、奇形・不具の団員たちをひどく軽蔑しつつも、そのひとりで小人症のハンスを遺産目当てで誘惑します。ハンスには将来を約束した同じく小人症のフリーダがいましたが、フリーダを捨てクレオパトラと結婚します。その後に、クレオパトラは愛人ヘラクレスと結託してハンスを殺害しようとしたため、彼の仲間がそれに復讐する話です。
終盤近く、嵐の中、泥まみれになりながら、彼らが凶器を持ってクレオパトラとヘラクレスに迫る場面は確かに鬼気迫る恐ろしさです。しかし、最も胸がつまる思いがするのは、その前のクレオパトラとハンスの結婚式の場面です。
奇形・不具の団員たちが、真に愛のある結婚だと信じで祝福の盃を回します。「みんな仲間!」「クレオパトラも仲間!」と声をそろえながら、一人ひとりが盃に口をつけていきます。そしてその盃がクレオパトラに回ってきたとき、クレオパトラがたまらずに叫ぶのです。
「このフリークスどもが!」「フリークス!」「フリークス!」
そして訪れる沈黙・・・。
この映画は、「怪奇映画」「恐怖映画」のひとつとして分類されることが多いのですが、それは本当は正当ではありません。一人の人間が一人の人間を騙して殺害しようとし、逆に復讐される話です。犯罪映画、スリラーというべきでしょう。
そこに、世間による奇形・不具者に対する偏見についての問題意識が込められているのであって、彼らを恐怖の対象とみるものではありません。このタイトル『Freaks』に込められた意味は、「欲のために他人を殺害しようとした人間と、騙されて殺されそうになる奇形・不具者、どちらが本当のフリークスなのか? 体の奇形なのか、心の奇形なのか」ということなのだと思います。
つまり、日本の初公開時のポスターに言う「非人間の存在」は、クレオパトラとヘラクレスを指してしかるべきで、「戦慄すべきグロ」はその二人の心の醜さを指してしかるべきです。しかし、実際にはそのような扱いではなかったことは残念です。
この映画で救われる思いがするのは、登場する健常者は皆が奇形・不具者を見下しているわけではなく、クレオパトラとヘラクレス以外はみな対等に接しているということ。それから、奇形・不具の団員たちがみな明るく楽しく過ごしているということです。
身体がつながったシャム双生児の双子姉妹が、別々の男性と恋をします。手足のないおじさんが器用にタバコを吸います。興味本位といえば興味本位であると認めざるをえませんが、そういった場面は、見ていてちょっと楽しいし、心温まります。
トッド・ブラウニング監督の思い
この映画、トッド・ブラウニングという人が監督しました。彼は、ユニバーサル映画で『魔人ドラキュラ』('31)を成功させ、時の人となっていました。調べたところでは、『フリークス』はそれ以前から彼が温めていた企画で、それをユニバーサルのライバル会社であるMGMに持ち込んで実現したもののようです。
ブラウニングは16歳の時に家を出てサーカスの巡業に加わっています。その時の団員との交流がこの映画の基礎になっているのでしょう。奇形・不具の団員との楽しかった日々を思い出しながら、暖かいまなざしをもってこの映画をつくったのだと思います。
この映画は、その立派な内容にもかかわらず、賛否両論を巻き起こし、MGMは大赤字を被ったようです。MGMがブラウニングに失望したことは目に見えています。彼はその後もしばらくは映画業界にとどまっていましたが、鳴かず飛ばずの状況のまま引退することになります。
恐らく、彼はもはや重要な映画の監督を任されることがなかったのだと思います。この映画がきっかけとなって、映画業界を追われたと言っても過言ではありません。
埋もれてしまった名作?
この映画、今でこそ簡単にDVDなどで見ることができますが、その昔、少なくとも日本ではこれを見ること自体大変な労苦をともないました。
日本では、32年の初公開の後、長らくリバイバル公開されることはなく、ようやく正規の劇場で見ることができたのは96年でした。そう書くとなんだか「封印されていた」というような印象を与えますが、この映画だけが特にそうだったということでもなかったんだと思います。
そもそも、戦前の映画は『風と共に去りぬ』('39)や『駅馬車』('39)のようなごく一部の例外を除いて、日本では滅多にリバイバル上映されることはありません。ユニバーサル映画の名作『フランケンシュタイン』('31)でさえ、ユニバーサル・フェスティバルのような特集上映を除けば、リバイバル上映されていないはずです。
それに、90年代くらいまで多くあった名画座では、過去数年くらいの準新作しかかかりませんでした。ビデオやDVDが一般に広がる前の時代は、古い映画を観たければ、何らかの形でフィルムを入手した個人による自主上映会に頼るしかなかったのです。
私も、この映画のことを知ってから、数年かかってようやく自主上映会のようなところで見ることができました。83年か84年頃だったと思います。
製作本国のアメリカでは、この映画で大赤字を被ったMGMが、この映画の上映権を売却します。ドウェイン・エスパーという興行主が上映権を手に入れ、40年代にタイトルを変えたりして細々と上映会を続けた後、49年に大規模に再公開します。その後、上映権が何人かに転売された後、60年代にMGMが上映権を買い戻し、再公開しました。つまり、意外と何回もリバイバル上映されているのです。
ネット情報では、イギリスでは初公開の後、30年間上映が禁止されたという話もあるようですが、この30年という期間は、上述のようにMGMが上映権を手放していた期間と重なります。上映したくても上映できなかったということかもしれません。ただ、その間、この映画が不遇の扱いを受けたということは言えるでしょう。
誰が本当の怪物なのか
さて、「誰が本当の怪物(フリークス)なのか」ということです。
すでに述べたように、ハンスを騙して殺害しようとしたクレオパトラとその愛人ヘラクレスが怪物であることは言えると思います。しかし、この映画自体が受けた扱い、その及ぼした影響を考えるとそれにとどまらない気がします。
この映画、トッド・ブラウニングが編集して仕上げた段階では、90分あったそうなのですが、最終的に上映されたバージョンは64分でした。MGM社内の試写でダメ出しされ、削られたらしいです。削られたのがどのような場面なのか知りたいところですが、すでに90分版は存在しないと言われており、新たな発見がないかぎり検証不可能です。(「存在しない」と言われていても、実際には存在することが多々あります。スピルバーグ監督の『未知との遭遇』も、特別編ができた後、オリジナル版のフィルムはすべて破棄されたと言われていましたが、後年DVDに収録されて発売されました。)
映画会社としては、一般的に映画は短い方が上映の回転が速く、稼げるので、短くするよう求めるものです。逆に、監督はそのこだわりから、ある程度の長さを求めるものです。
ただ、現在もエンディング部分だけ二つのバージョンが存在します。復讐によって、クレオパトラが鳥人間にされてしまう(ガチョウの頭がクレオパトラの頭になっている)のですが、そこで終わっているバージョンがひとつ。
もうひとつは、そのあとに後日談がついているもの。騙されて殺されそうになったハンスは、遺産を相続して裕福にくらしていますが、当時フリーダを捨てたことやクレオパトラを鳥人間にしたことなどを後悔しています。そこにフリーダが現れて、ハンスを許し、抱きしめるのです。(多分、復讐行為にフリーダはかかわっていません。)
この後日談があると、嵐の中の復讐シーンの恐怖が和らぐような感じがします。これはMGM側の求めで付け加えられたものと言われています。もしそうだとすれば、MGMは収益のために短くするということに加え、全体のトーンを和らげる意図をもって再編集を求めたのかもしれません。トッド・ブラウニングの意図やテーマ意識は純粋であっても、表現がきつかったということでしょうか。
ただ、MGM本社の制作陣の意図がそのようなところにあったとすると、冒頭で紹介したような宣伝文句と矛盾するように思えます。
想像するに、当時はまだ、映画製作の中枢の意向が、配給網の末端まで行き届いていなかったのではないでしょうか。現在では、宣伝の方針は末端までかなり徹底して統一されている場合が多いようですが、昔は緩かったのでしょう。少しでも一般大衆の関心をひき、劇場に足を運んでもらうために、各国の配給会社や末端の映画館は独自の工夫をこらしていたのだと思います。
そのため、映画自体の表現をトーンダウンしようとするMGM中枢の考え方とは裏腹に、宣伝の現場では逆に過激さを印象づけようとするという状況になったということでしょう。言ってみれば、そもそも奇形・不具の人々を「戦慄すべきグロ」「非人間」「半怪物」などととらえ、人間社会から排除するような考え方が一般大衆の心の中に潜んでおり、この映画の宣伝がそれを煽ろうとしたという状況かもしれません。
その結果、映画は正当に評価されず、トッド・ブラウニングは映画界を追われることとなったのです。
1932年前後といえば、世界恐慌の影響で世界中が苦しい時代に入っていたころです。共産主義やファシズムが高まり、ドイツではナチスが台頭し、日本は満州事変に突入していました。人々のすさんだ心が、奇形・不具の人に対する差別意識を増長させ、歪んだ目でこの映画をとらえたのでしょう。そのような人々の心こそが、本当の怪物の姿と言うべきなのかもしれません。
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