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ドミノ倒しの一つ目

最後にnoteを書いたのは3か月ほど前らしい。

なんだそんなものなのか。
と思うくらいもっと前に書いたままだと思っていた。
多分そう思うくらい密な時間を過ごしていたんだと思う。

noteを書き始めてから毎週何かしらを文章にしたためて世界に流していたけれど、3か月前にぱったりと更新の手を止めてしまった。

理由は、忙しくなったり、やるべきことが増えたりした。
関わっていたプロジェクトが佳境になって信じられないくらい忙しくなったり、転職活動を始めたり、資格試験がかぶったりとあれこれ集中すべきことが増えてしまった。
だから優先順位が変わっただけ。別に特別なことは何もない。

そして今、改めてこうやってnoteを書いている。
プロジェクトは完了して、転職活動も無事終わり、結果はまだだけれども資格試験も終わった。

時間と思考に余裕が生まれた。

またnoteを書き始めるかどうか。
もうわざわざ書く必要もないんじゃないかとも思っていた。
様々なことが落ち着いてから少しの間やきもきしたまま放置していた。

けれど、この前友人とあれこれ個人的な話をしている時に、
ふと、「僕は昔より穏やかになったと思うんだ」と、何気なく言葉にした。
そして、「あなたはすごく穏やかになった」と返事が返ってきた。

それがなんとなくうれしかった。
そして、心穏やかになれたのはきっと、ままならない人生をあれやこれやと悩んで考えて折り合いをつけてきたnoteのおかげなんだろうな。と真っ先に思った。

どうにもならない感情と向き合って、ほんの少しでも自分が思い描く理想の自分に近づくための思考の軌跡がやっと報われたような気がした。

もちろん、理想にはまだまだ程遠い。
というか、理想の自分なんて都合のいい存在はご都合主義のフィクションの中にしか存在しない。
事実は小説より奇なり。
というが、不思議のことは起きても都合のいいことは起きない。
理想は理想のまま現実に現れないとわかった上で、それでも、そうでありたいと思う自分になれるように、人生の最中で泡沫の如く生まれては消えていく気づきや感情に向き合っていこうと思う。

だから始まりの一つ目として、このnoteを書く。

多分きっと一つ目を書けば、ドミノ倒しの様に、また何か次を書きたくなると思ったから。

これはドミノ倒しの一つ目。
ふとした時に人生と向き合う機会を逃さないための大切な一つ目。

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