戦後77年を迎えて

戦後77年

先の大戦ではいろいろあったが、いかなる大義、理想を掲げようと、武力行使は良くない

日本も過ちを犯した

深くお詫びを申し上げるとともに戦災の犠牲者とその関係者達には、深く哀悼の意を表する

戦禍の災いは、なんら罪の無い無辜の民にも及び苦しめて来た

戦争による事態解決は、どのようなものであれあってはならない

何の為に言葉があるのか

言葉があるのだから、対話による事態解決をすべきだ

戦争になれば当然相手国の兵士にも犠牲者が出るであろう

相手国の兵士にも当然家族はいる

兵士が死ねば当然家族は悲しむ

嘆き悲しむそんな家族の姿を想像すれば、戦争行為がいかに愚かな行為か、分かるはずだ

家族、妻子、愛する人

戦争の相手国の兵士一人一人にも、当然そういった人々はいるのだ

その人々が悲しみ涙する

その姿を想像するがいい

家族、妻子、愛する人

自国の兵士が殺す相手国兵士人一人一人にもそういう人々はいる

その人々の悲しみの声に耳を澄ませ

悲嘆に暮れる、女子どもが泣くような社会であってはならない

想像すれば、戦争がいかに悲惨なものか、わかるものだ

また、兵士以外の無辜の人々にも戦禍は及び、悲惨さはさらに拡大する事になる

女子どもが泣くような社会であってはならない

戦争は、武力を行使する手段としては、永遠にこれを放棄する

解決は、武力行使ではなく、対話によるものでなくてはならない

敵対ではなく、慈愛の心でもって寛容に、誠実で穏やかに相対すべきだ

いかなる事情があれども、自国の国益だけを考えるエゴで行動してはならない

人間としての道に基づき、人道的な配慮があってしかるべきだ

相手国が理解してくれないのなら、わかるように一からわかりやすく教えるべきだ

皆で知恵を出し合い協議すれば、道も開けてくるだろう

外交でもそうだが、金ではなく知恵を出す事が肝要だ

同盟国に武力による擁護を頼むのではなく、知恵を出し対話による事態解決が望まれる

武力行使の戦争行為は、いかなる事情があれども回避せねばならない

あくまでも対話により道を開くべきである

武力や金ではなく、知恵を絞り、対策を練る

それで事態解決を目指すのが本道であろう

ではそんな知恵もない国は?

どんな国にも賢い人々はいるものである

インターネットも発達してる現代、意見交換等はいくらでもできる

そんな現代において、武力行使はもはやナンセンスである

武力行使の時代は事実上、終わったのである

それでも自国が、知恵も無く相手国の理解を得られないとしたら?

相手を威嚇するのではなく、謙虚に慎ましく、相手の情に訴える、相手の情けに訴えかける

そういう姿勢であるべきだ

窮状を訴え人道的な配慮を相手国に求める、引いた姿勢が求められるだろう

低姿勢で窮状を相手の情けに訴えかける、そんな姿勢に相手は弱いものだ

驕る事無く、謙虚に慎ましく

そのようであるべきだ

先の大戦で、我が国日本も、自分の信じる正義の為に、多くの命が散っていったが、今となってはそれも誤りであったと認めざるをえない

何をどうあがこうと、戦争行為は到底容認できるはずもなく、今の社会規範に照らして考えれば、やはり過ちであった

日本を含むいかなる国も、侵略行為がもうあってはならない

戦争行為は、もう永遠に断絶せねばならないのだ

敵対する事なく、穏やかに共存していかねばなるまい

我々は協力して、互いに補完し合い共存共栄しなければならない

我々人間は、同じ地球に住む家族、ファミリーなのだ

家族間同士で争ってはならない

同じ地球に住む仲間、家族なのだ

自分のエゴではなく、相手を思いやる、そんな優しさが必要だ

自分のエゴではなくみんなの為に生きる、そうあるべきである

相手を理解し思いやり溢れる慈愛の精神が大事であり、誠実で穏やかな関係で互いにやりとりすべきである

戦争は、いかに言い逃れしようと悲惨なものなのである

戦争で殺す相手国の兵士一人一人にも当然家族や妻子、愛する人がいる

悲しむ人々がいる

女子どもが泣くような社会であってはならない

強くそう思う

何があっても、女子どもが泣くような社会であってはならないのだ

また、昔の世代の戦争の恨みを罪のない後の世代まで引きずっていがみあうのもどうかと思う

今の人々のやった事ではない

さて、いつまでも引きずっていがみあうのはいかがなものだろうか

人間が一番残酷になれるのはどういう時であろうか

自分が正義だと信じて疑わない時である

自分のやってる事が、正義だと信じて疑わない時である

我々は、常に自分に問いながら生きていかねばならないのだ

これでいいのか、と

日本も、先の大戦で掲げた大義、理想が崇高なものだと信じて戦った

欧米列強諸国に伍する大東亜共栄圏という理想があった

他の国にも、それぞれ理想があった

アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツも理想があり、国民はそれを信じて戦った

しかし今や、何をどう言おうが、武力行使は誤りであったと言わざるを得ない

ましてやその思想が誤ったものであるならば、その思想の下戦った国民は、誠に悲劇であるとしか言いようがない

お国の為と信じて散っていった命

まだ年端もゆかぬ若者も戦場にかり出された

若い命があたら無惨に散っていく様は誠に遺憾で慚愧に耐えない

それぞれの国に大義名分、理想があり、皆その為に戦った

信じてと言ったが、実際は、一部の人間の下、疑問を抱きながらも戦った兵士、国民が大半だろう

いかなる美名を掲げようと、戦争行為はやはり間違っているのである

到底容認できるものではない

戦争を起こした首脳部、関係閣僚

それに従った人達

上の言う事には逆らえない、そんな社会はどうかとも思う

一部の人間の傲慢の為に、国の人民が犠牲になっていいという道理はないのだ

強く憤りを覚える

また、ナチスも、ユダヤ人迫害という罪も犯したが、ユダヤ人迫害やアメリカの昔の黒人差別など、いかなる差別や人権侵害もあってはならない

戦争は、いかなる正義があろうと、いかなる理由があろうと、もう繰り返してはならない悲劇なのだ

また、かかる差別や人権侵害も、いかなる理由があろうともうしてはいけない

我々は常に自問せねばならない

これでいいのか、と

追記

女子どもが泣くような社会であってはならないと書いたが、本当は誰一人泣くことのない社会が理想であり戦争がもう繰り返されないように歴史から学習することが重要であり、犠牲者の死を無駄にしてはいけないと強く思う
2022/8/15

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