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【お悩み相談 裏回答… 008】私は人間として必要とされないのでしょうか。

「やりたいことをやれ」と人々は言います。
でも、やりたいこととして何かを選ぶには、
同時に自分が何かに選ばれなくてはいけませんよね。
今まで沢山のことから選ばれずに生きてきました。
留学、入試、編入試験、インターン、ゼミの試験。
実力不足の一言で済む話かもしれません。
そのとき「全力で頑張った」と感じていたのは、
全て思い込みだったのかもしれません。
それは分かっています。
報われるまで頑張れと言われれば、それまでです。
でも、自分の過去に、
誇れるような選ばれた経歴が無いことが
とても辛いのです。
選ばれた経歴は、その人を
さらに選ばれる人間にする力となります。
これから始まる就活においても、
自分についてアピールできることなんて無いと、
不安が募るばかりです。
そしてまた、
「そんな人間が選ばれるわけないじゃないか」
と、
「もっと色々な経験をして頑張ってきた人間が
選ばれるのだろう」
と、自分でも思ってしまいます。
もう、頑張ることに疲れてしまいそうです。
私は、人間として必要とされないのでしょうか。
オンリーワンにはなれないのでしょうか。
やりたいことをやって
身を立てる資格なんてないのでしょうか。
私のマイブーム
天気予報をチェックすることです。
この時代においても天気は中々当たりません。
そんな気まぐれな空を追いかけることが
毎日楽しいです。

※本裏回答は、下記に記した方針で勝手に回答した記事となっています。リンク元のサイトとは関係ありません。リンク元サイトの回答に敬意を表した上での、裏回答です。ご了承ください。

人間としての必要性

単刀直入にタイトルに反応して回答するならば、はい、あなたは人間として必要とされてはいないのだと思います。残念!

ただ、いきなり絶望しないでちゃんと最後まで読んで欲しいのですが、実際、そもそも、世の中の誰をもが、人間として必要とされてたりなどしない、てことです。

いやいや、世の中、先生と持て囃されたり、会社や組織を引っ張るリーダーなる立派な人がいたり、贔屓のチームが負けたのにスタジアムのゴミまで拾って帰る奇特な人がいたり、何万人と言う単位でフォロワーなる応援者のつくおしゃべり屋さんがいたり、する訳で、あまりこれまで、日の当たるところで活躍した覚えの無いあなたからすると、眩しい! こういう人たちが、いわゆる社会に必要とされてる人なんだ… と思うこともあるでしょう。

ただ、上記の様な人たちも、実は、単に、

・ちょっと、よいしょしとくと、僕にもそのうち仕事回してくれるかもね…
・自分が皆んなをまとめるのは面倒くさいから、声のでかいあいつにやらせておこう…
・ほんと、負け犬根性腐り切ってて気色悪いから、一生友達になりたく無いけど、僕の清掃業の仕事の代わりにタダで綺麗にしてくれるんだからラッキー、写真を撮ってSNSに載っけて、もっと頑張ってもらおう!
・ほとんどくだらない話しか無いけど、逆に聞いてるとつまらなくて眠くなるから、睡眠誘導に最適だな、とりあえずフォローしとこ

くらいの、実に身勝手な理由で、とりあえず有用、と判断されているだけなのです。
つまり、人は、何らかの事情と具体的にいやらしい損得勘定ゆえに、一時的に誰かを必要とするだけに過ぎません。

あなたを必要とする「誰か」

なので、もし、あなたが「自分が必要とされた感」を得たいのであれば、そのためには、あなたを必要とする「誰か」が必要、となる訳です。つまり、順序が逆だった、と言う話。

昔から、商売上手なガラス屋さんは、子供に街中の窓ガラスに石投げて割らせておいて、しらばっくれて、その場に現れ、ガラスを売りつけていました。

でも、それもこれも、お金儲けのため、と言う、差し迫った目的があればこそ、の話。24時間365日、誰かに必要とされる必要など無いのです。

選ぶことと、選ばれること

そう言えば、冒頭から、佐藤ぐみさんは、

「やりたいことをやれ」と人々は言います。
でも、やりたいこととして何かを選ぶには、
同時に自分が何かに選ばれなくてはいけませんよね。

と書かれていますが、これも、結論から言えば、順序を間違えています。

今日は魚釣りしたいなぁ、と思った場合、近所の川や湖、海に出かけて勝手に釣り糸を垂らせば良いだけです。まあ、漁業権や、禁猟期間など制限があったりもするでしょうが、そんなに難しい試験を受ける必要もありません。

やりたいこととして、「逆立ちしながら小便をすること」を選んだ場合も、特に何かに選ばれる必要もなく、むしろ、どこで逆立ちしながら小便を試みたらいいのか、と、場所を選ぶことも自らに委ねられます。

そうやって、選んでしまった後、しばらくするうちに、お魚さんがあなたのたらした釣り糸を選んでしまったり、世間が「アホで酔狂な困ったさん」としてあなたを選んでくれたりする訳です。

1. あなたが選ぶ、で、その次に、2. 誰かがあなたを選ぶ、これが自然。
でも、成熟した社会では、1. 面倒なので、先に我々があなたを選んであげますよ〜、とあなたの「やりたいこと」選択肢を刺激する、で、2. つい、そうか、これが私の選びたいことだったのかぁ、と思ってしまう、となる訳です。

このテキストを読んでいるあなたも、もしかしたら、自分で選んだ訳ではなく、AIなどご親切なシステムが、こんなのいかが? とお節介に薦められてるだけだったりして…

試験、資格、経歴…

とは言え、順序を間違えてしまったのはあなたが悪い訳ではありません。ある意味あなたも被害者と言える。

つまり、人々が何かを選び、それが月日が立つうちに世間にも知れ、評判にもなり、あ、オイラもそれ面白そうだからやってみようかな、と言うMovementになっていく、通常はその先に、商売の種がある訳です。
が、それではまどろっこしい。そんな悠長なことをやっていては、釣り竿も売れはしないし、YouTubeやTikTokも流行ったりはしない。

もっと積極的に、人々が何かを選びたくなるように、刺激をしていこう! と有能な商売人たちが考えたわけで、税収を増やすために一部の税率を下げて消費を増やさせよう! と言う発想と同じ。

大学など、行ったところで大した役にも立たないし、行きたいなんて思いもしないが、入学試験なるちょっとした関門がある、と聞いちゃうと「お、それ、受かったらかっこいいんじゃない? じゃ、いっちょ受けてみるか?」と言う気になってくる訳です。

世の中の、資格、試験、経歴なんてものは、大概、そうやって、作られてきたものなのです。

倒錯した社会

さあ、ここまで分かれば、もうお分かりですね。

もう、あなたは、誰かに必要とされる必要もなければ、お節介な選択肢オススメ屋さんの口車に乗せられる必要もない。

純粋に、改めて、あなたがやってみたいことをやればよろしい!

と言うのは簡単なのですが、実は…

上記で説明した事情はかなり込み入っており、近代社会が成立してから此の方、上記のような倒錯した発想、つまり、

・誰かに必要とされる必要などちっとも無いのに、なんだか、誰かに必要とされてた方がえらい人の様な感じがする
・選ぶ前に選ばれることが必要な気がする

といった、本来誤った認識が、すでに人類のDNAの奥深くに刷り込まれてしまっているのです。

由々しき事態と言えましょう。
縛られたり叩かれたりするのはそもそも不快なはずなのに、ある種の人々にとってはそれがむしろエクスタシーを引き起こしたりもする…

とは言え、もしかすると、こういった逆転現象こそが、文明、と言うものの本質なのかもしれません…
誰かに必要とされる必要もないけど、それはそれで、なんだか手持ちぶさたなきがして仕方がない… 現代と言う病か…

中々当たらないお天気のように…

と言うわけで、じゃあ、本当にどうしたらいいの? となる訳ですが、時代の流れに流されすぎると自らを見失う、とは言え、決して時代に流されることなく抗い続ける、というのもちょっとしんどい。かつての文豪の小説の書き出しにそんな一説もありましたね。

半分騙されたふりをしながら、半分、自分勝手にふらふら生きてみる、そんんな、器用で中途半端な、気まぐれな生き方が、現代の社会にもっとも求められる身の程こし方、と言えるでしょう。

そうです、佐藤ぐみさんご自身がヒントを書かれているではないですか。

まずは、その気まぐれな空を追いかけることに没頭することです。
日々一刻変化していく日の光の調子、雲のおりなす造形、朝夕のドラマチックな色の演出、それらが織りなす光景は、目をそらすこともできないほどの劇的な体験であり、Googleの検索では決して得ることの出来ない、貴重でオンリーワン瞬間の出来事、です。

私欲にまみれた俗世間に必要とされるよりも、比較にならないほど豊かな気持ちになることでしょう。

ただし、くれぐれも変な気を起こして、気象予報士の資格を取得しようなどと、よこしまな考えは起こさないよう、注意して下さい…



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