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【Oppositeな日常 002】バリアフリー建築とバリアフル建築

「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」(バリアフリー法)という法律があって、高齢者・障害者に限らず、どんな人でも生きやすい世の中を実現するために、大変有効かつ重要な役割を果たしている。
そのことに、疑念を挟む余地は無い。

実際、この世の中、いろんなところに「バリア」がある。
子供が生まれて初めて知る、ベビーカーを担ぎ上げずに済む、駅や乗り換え時のルートの限られてること。
来訪する外国人には一見何がなんだかわからない公共空間でのサイン計画。
無知から来る、ダイバーシティへの不理解。
昨今のパンデミック騒ぎは、これらに、Social Distancingというある種の、不可避で意図的なバリアも加えた。
我々が共に生きいく場として、出来る限りバリアの無い器を作ること。このコンセプトには諸手をあげて賛成だ。

一方で、我々が生きていく上で、大きく成長するのは、個々人がぶつかる障壁、バリアを超えていく時。
逆上がりができるようになった時、初めて補助輪を外して自転車に乗れた時、無理だと思っていた走り高跳びのバーを超えた時、今まであげられなかったバーベルが持ち上がるようになった時、誰からも実現できると期待されていなかったプロジェクトをやり遂げた時、心細かった初めての国外出張をこなし商談をまとめて帰りのフライトについた時。
そんな、バリアを一つずつ超える時、人は、成長する。

となれば、公共空間としてのバリアフリー建築は重要だが、個々人にとって、実は、バリアは極めて重要な体験だ。
バリアフリーな仕掛けを持つ建築は必須だが、機能・シェルター・共同体の活動の場・文化・ゲニウスロキ・伝統その他もろもろ、重層的な意味を担うオブジェクトとしての建築が内包するバリアを経験すること、まとめて言うなら、建築というバリアを経験することも実は意義のあることとも言える。

幼少時、父親の勤める地方の企業の社宅に住んでいた。エレベーターの無い4階建のアパート。父の昇進か、家族が増えたことかに伴い、ある日、それまで住んでいた3階のユニットから、隣の棟の4階にお引っ越し。
しんどかったのは、新しい棟は、大人向けを想定していたのか、階段の一段一段が大きくとってあり、子供にはちょっとしんどい設定であった。
最初はかなわんなぁ、と子供心にぼやいたものの、気づいた頃にはそれがなんでもなくなり一段ずつ飛ばして登ることも。
その頃だろうか、クラスで足が早くなり、リレーの代表にも選ばれた。
本当に効果があったのかどうかは、今となっては立証もできないが、子供には優しくないバリアの大きな階段をもつアパートに住まうことで、何かを得られていたことは事実だと思う。

バリアフリー建築ならぬバリアフル建築の持つ意義。

あるいは、未だ建築が抱える各種のバリアから人類が学んできた歴史。

そこに蓋をせずに、きちんと直視すること。
その姿勢なくして、一方的にバリアフリー建築を喧伝するだけでは、世界を単なる薄っぺらい街並みで埋め尽くすだけだ。

様々な人々が暮らす現代の街。
その多様な人々が、日々を存分に楽しみ、甘い思いも苦い思いも受け止め、かつ、その多様な生き様を美しく彩るための器であること。
その意味を忘れることなく、さらに、パンデミックという世界が課してくる課題に取り組みながら、バリアの無い世界を構築することに協力したい。



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