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モーリシャス油流出事故:生態系モニタリングの重要性

モーリシャスの油流出事故が発生してから、メデイアや行政関係の方から取材を受けてきました。事故発生の直後は、モーリシャスの生物多様性(特にサンゴ礁)の重要性に関連したお尋ねでした。最近は、油流出でダメージを受けた生態系の回復に関する問い合わせです。例えば、「油が付着したサンゴやマングローブが死亡したり等どのような被害を受けるか?」 とか、「その被害を抑えるための保全対策とはどのようなものか?」さらに、「被害を受けたマングローブ再生のための植林を行う場合の油の影響やその対策は?」などです(以下の記事参照)。

そこで、今回の記事では、モーリシャスの油流出事故を克服するために、中長期的にとても重要になる、マングローブ林やサンゴ礁の生態系モニタリングの重要性について解説したいと思います。

生物多様性や生態系のベースライン情報を把握する

油流出被害を受けたモーリシャスの自然環境を修復する上で最も重要な点は、モーリシャス本来の生物多様性や生態系に関するベースライン情報です。

事故前のマングローブ林やサンゴ礁の状態が、油流出のインパクトを測定する”ものさし”になり、修復活動の”目標値(ゴール)”になるからです。

ところが残念なことに、このベースライン情報が全く十分でないのが一般的で、このような事故の深刻さを正確に把握することを難しくします。この点は、油流出の被害調査のたびに、研究者が指摘しています。モーリシャスのマングローブ生態系でも基礎的調査が不足している事が報告されています(Appadoo 2003)。

いざ環境破壊事故が起きたときに、基礎研究の重要性に光が当たり、基礎生態学的な調査不足が表面化するのは、残念なことです。

しかし、今からでも既存情報を分析して、油被害を受けていない場所での実地調査も行えば、ベースライン情報を(ある程度)整えることは可能です。具体的には、モーリシャス沿岸域の生物分布情報を元にして生物多様性地図を作成して、潜在的な生態系の構造と機能を可視化することです。

例えば以下のグラフは、私たちの研究チームが、沖縄の沿岸海域の生物(4693種)の空間分布予測を基にして作成した生物多様性地図です。4693種の各種が実際に、どこの沿岸に分布しているのかいないのか(在不在)を、機械学習で判定して、それらを重ね合わせた結果です。

モーリシャスでも、このようなベースライン情報を整備すれば、油流出のインパクトを測定する”ものさし”となり、修復活動の”目標値(ゴール)”を適切に設定できるでしょう。

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長期的なモニタリング調査区を設置する

マングローブ林(あるいはサンゴ礁)の枯損を定量するため、長期的な観察調査区が不可欠です。油流出被害が深刻な場所から、全く被害を受けていない場所まで、油被害の違いを比較できるように調査区を設置するべきです。

そして、マングローブ 林などの調査区で、様々な生物分類群に関して(海草藻類・魚類・甲殻類・貝類・ゴカイ類・微生物など)生物多様性の変化を定量します。同時に、流出した油に含まれる石油系炭化水素などが、干潟土壌中にどれくらい残留しているのかモニタリングする必要があります。

モニタリングを計画する上で、野外実験で油流出の影響を検証した研究(Renegar 2017 )が参考になります。例えば、熱帯沿岸の油流出の野外実験(TROPICS)では、油流出が生態系に与えるインパクトを30年以上にわたってモニタリングしています。以下のグラフのように、油浮遊実験区、油水中放出実験区、対照区(自然のままの場所)それぞれについて、マングローブ 林やサンゴ礁や海草藻類の変化を明らかにしています。

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この野外実験は、興味深い結果を示しています。今回のモーリシャス事故のように浮遊油が海岸に漂着した場合、マングローブへの影響がより深刻だった事です。

以下のグラフには、横軸に油を流出させてからの時間(日数)をとり、縦軸に生物の個体数や分布量の相対的な変化率(%)を示しています。赤色の点線が、変化ゼロ%のラインで、油流出実験の後、様々な生物の量が20%から40%減少しています。紫色と緑色の印が油流出の実験区の結果です。紫色の丸印で示された油浮遊実験区では、30年以上が経っても、マングローブやウミクサなどの植物群集(左下パネル)が、なかなか元に修復しないことが明らかになっています。一方、サンゴ類や動物相は回復したことも明らかになっています(変化%が赤色の点線よりも上でプラスに転じています)。

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モーリシャスの事故被害が、この実験結果と同様なパターンになるかどうかは不明です。しかし、油流出の影響が数十年に及ぶ可能性を示唆しており、今後のモニタリングや生態系修復の時間スケールを考える上で、参考になる知見です。

モニタリング結果を元にした生態系の修復

過去の油流出事故の研究結果から予測すると、油流出が深刻だった場所ではマングローブ(オヒルギとヤエヤマヒルギ)が枯死していきます。また、元のマングローブ林に再生するのに30年以上を要すること、油被害が深刻だった場所では、再生がうまくいかないこともわかっています。

植林やバイオレメディエーションによって、マングローブ生態系の回復を人為的にアシストすることも必要になるかもしれません。このような修復計画を実行する場合にも、生態系モニタリングの結果が重要になります。

以下のフローチャートで示したように、マングローブ林のモニタリングで生物多様性と環境の変化を把握して、得られたデータを元に、回復がうまくいっていない場所を特定して、効果的な植林計画あるいはバイオレメディエーションの戦略を計画すべきでしょう。そして、生態系修復事業の実効性を、さらなるモニタリングで検証して、生態系の回復を推進します。

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バイオレメディエーションは、微生物などの働きを利用して、汚染物質を分解させて環境浄化を図る技術です。流出油で汚染されたマングローブ林でも、土壌中微生物の活性を人為的にアシストして浄化効果を検証した実験例があります。

この研究では、ヤエヤマヒルギの干潟土壌に肥料を添加して、4ヶ月にわたって空気注入しました。これは、バイオレメディエーションの中のバイオスティミュレーションと呼ばれる手法で、油が集積した土壌中に酸素や栄養素を与えて、微生物の働きを活性化させ、汚染浄化を促す方法です

下のグラフは、横軸に原油を添加してからの経過時間をとって、縦軸にマングローブ土壌中のバクテリア数の変化を示しています。

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石油系炭化水素を分解する微生物(アルカン分解菌や芳香族分解菌など)が増加して、マングローブ土壌の浄化がかなり促進される可能性が報告されています。

以上をまとめると、1)モーリシャスの沿岸海域の自然環境のベースラインデータを整えて、2)生物多様性と生態系のモニタリングを行い、3)油流出のインパクトに応じた修復計画が重要になるでしょう。生物多様性の情報学、マクロ生態学、微生物生態学、環境修復学、保全計画学など、基礎・応用科学の知見と技術を総動員することが求められます。

参考文献

Appadoo C. (2003) Status of mangroves in Mauritius. Journal of Coastal Development VII (1): 1-4.

Bhikajee M. (2004) National Report: The Marine Biodiversity of Mauritius.

Renegar D. et al. (2017) TROPICS Field Study (Panama), 32-Year Site Visit: Observations and Conclusions for Near Shore Dispersant Use NEBA and Tradeoffs. International Oil Spill Conference Proceedings: May 2017, Vol. 2017, No. 1, pp. 3030-3050.

Ramsay et al. (2000) Effect of Bioremediation on the Microbial Community in Oiled Mangrove Sediments. Marine Pollution Bulletin 41: 413-419.

Santos H.F. et al. (2011) Bioremediation of Mangroves Impacted by Petroleum. Water Air Soil Pollut 216: 329–350.


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