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モーリシャス油流出事故が生態系に与える影響を過去の事例から考える

モーリシャスの油流出事故で、サンゴ礁やマングローブの生態系への悪影響が懸念されています。今回の油流出事故は、自然環境にどのようなインパクトを与えるのでしょうか。また、元の生態系に回復するまでに、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。

これらの疑問について、熱帯の沿岸域のサンゴ礁やマングローブの生態系で起きた過去の油流出事故の分析結果を元に、解説したいと思います。

サンゴ礁生態系への影響

例えば、1986年パナマのバイーア・ラス・ミナス(Bahia Las Minas)で発生した油流出事故について、生態系への影響が長期的に調査され、サイエンス誌などに論文が発表されています(Jackson et al.1989 Science 243: 37-44; Guzman et al. 1991. Coral Reefs 10:1-12)。

この事故では、沿岸の製油所(貯蔵タンク)から8000トンの油が、40平方kmの沿岸域にあるサンゴ礁、マングローブ、ウミクサ藻場などの生態系に流出しました。事故の後の生態系調査では、サンゴの群体数、サンゴの被度、種多様性が詳細にモニタリングされています。

その結果によると、下のグラフに示したように、油流出の翌年には、サンゴ群体の数が減少し、大きさも小さくなり、サンゴの被度※(サンゴが被覆している面積の割合)が約4分の1くらいまでに激減しています。同時に、イシサンゴの種数や多様性も減少しています。

※追記:イシサンゴ群集の調査では、一定面積の調査区画(コドラートと呼びます)で、サンゴが被覆している面積割合(被度%と呼びます)を測定します。

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また、サンゴ類の劣化は、浅い場所(0.5m-3m)、比較的深い場所(3m-6m)でも観察されています。

浅海域のサンゴ礁は、潮の満ち引きで、浅瀬のサンゴ礁は干潮時には空気中に露出します。その際、海面上に流出した油は空気中に露出したサンゴを覆うことになります。そのため浅瀬のサンゴほど劣化が顕著なようです。

モーリシャスの現場映像でも、干潮で露出した岩礁上を重油が覆い尽くしていましたが、そのような場所ではサンゴの劣化も深刻になるでしょう。

なお、海水面に拡散した重油は、比重の関係で浮遊しています。しかし、海面には様々な物質も浮遊しており、そのような物質を油が取り込んで重くなります。また、油は浮遊している間に海水も取り込みます。このように、流出した油は次第に比重が重くなり、やがて海底に沈み込み、深い水深のサンゴにも影響を与えます。実際、パナマの油流出事故を調査した例では、水深3mから6mのサンゴ類も油で被害を受けて被度面積や種多様性が劣化しています。

パナマの事故では、特に、ミドリイシサンゴのエルクホーンサンゴ(Acropora palmata)の劣化が顕著だったようです。ちなみに、モーリシャスのサンゴ礁は、ミドリイシサンゴ(Acropora)の種数が豊かな点も特徴です(60種以上も分布しています)。

下のイラストのように、ミドリイシサンゴの仲間は、大きな枝状に分岐した複雑な形を造るサンゴで、枝の隙間に様々な生物(エビやカニなどの甲殻類や熱帯魚など)の隠れ場所を提供します。

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このような枝状のイシサンゴの劣化は、多様な生物の生息場所を奪うことにもなります※。

※追記:被覆状サンゴや塊状サンゴに比べて、枝状のイシサンゴが特に被害を受けることは他の研究でも報告されています(Fishelson 1973)。

また、サンゴの成長状態に関しても調査がされており、一部のイシサンゴの種について、油流出の事故後で成長が停滞したことも明らかになっています。

下のグラフは、縦軸に事故後の成長が前に比べてどれくらい変化したのかをとって、「横軸に油流出がなかった場所」、「油流出が中程度だった場所」、「油流出が甚大だった場所」を示して比較しています。グラフの右に方、「油被害が甚大だった場所」で、事故前後の成長比が1以下になっており、事故後のサンゴの成長が流出油によって阻害されたことがわかると思います。

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それでは、油流出の被害を受けたサンゴ礁は、元のような状態に回復できるのでしょうか。これについても興味深い結果が報告されています。

以下のグラフは、横軸に年代(事故前と事故後)をとって、縦軸に様々な生物の被度や個体数の年変化を示したものです。パナマの場合、油流出事故が起きる前から、サンゴ礁のモニタリング調査が行われていたので、油流出の前後でサンゴ礁がどのように変化したのかを詳細に把握できました。油流出が甚大だった場所(グラフ中の黒丸の折れ線)では、イシサンゴ類の被度が減少したままで、一方、藻類や石灰藻や大型藻類が優占するようになったことが明らかです。

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つまり、イシサンゴ類が基盤を成すサンゴ礁は、藻類が優占する生態系に一時的に変化し、油流出の影響が長期に及ぶことが示唆されています。

それにしても、油流出による生態系への影響は、どれくらいの年数に及ぶのでしょうか。

実は、このパナマの油流出事故の影響調査は現在も継続しており、1985年から2017年まで32年間に及ぶサンゴ礁の変化をまとめた論文が、ちょうど今年に発表されました(Guzman et al. 2020)。

この論文では、以下のグラフのように、サンゴ礁の年変化が明らかにされています。油被害をうけたサンゴ礁は、グラフ中の黒丸の折れ線で示されているように、過去30年間にわたってサンゴの被度、種数、種の多様度指標(種の均等度や多様度)は低下したままで、事故前のレベルには回復していません。

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一方、油被害を受けていないサンゴ礁も、過去30年で被度や種数が低下したことが明らかになりました。

この論文の著者らは、油流出がサンゴ礁の劣化に与えた影響は短期的には明確であることを指摘した上で、中長期的には、様々な環境ストレスがサンゴ礁の劣化に関与しているので、油流出の慢性的効果の相対的効果を確認することが困難であると結論しています。

実際、サンゴ礁は、世界的な海水温の上昇に関係した白化現象で、油流出被害とは無関係に劣化する傾向があります。ですので、パナマの油流出による局所的な影響は、広域的に発生している環境ストレスと合わさってサンゴ礁の衰退に寄与しているのでしょう。

一方、マングローブ生態系では油流出の長期的な影響が、比較的よく分析されています(Duke 2016. Marine Pollution Bulletin 109: 700-715)。

マングローブ生態系への影響

以下の地図は、マングローブ生態系の分布域と、船舶の主要航路および過去(1958年から2016年)の大規模な油流出事故を示しています(Duke 2016)。

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船舶による油の輸送は、熱帯をまたぐ場合が多いこと、また、浅海域ほど船舶の座礁の危険が高いです。したがって、熱帯の浅海域に分布するサンゴ礁やマングローブの生態系は、船舶座礁による油流出のリスクにさらされやすくなります。

実際、油流出事故がマングローブ生態系の分布と一致していることが、上の地図から理解できます。なお、サンゴ礁の分布もマングローブと同様な分布になるので、サンゴ礁生態系も同じように、油流出による被害リスクは高いとみなしていいと思います。

マングローブ林は、熱帯の沿岸域の特に湾の奥の河口付近などに分布しています。そのような場所は、海流に洗われることもないので、流出した油が停滞しやすく、マングローブ林や干潟は油に覆われやすくなります。

マングローブは、潮の満ち引きで冠水する水湿地に生育しているため、ユニークな生理的特性を持っています。例えば、マングローブの根は、窒息しないように干潟の表層の浅い部分に伸びて、所々で呼吸根を地表に露出させています(下の写真の地表に突き出ているのが呼吸根)。

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流出した油は、このようなマングローブの呼吸根を被覆して、マングローブの生育に悪影響を与えます。また、干潟には甲殻類や貝類など様々な生物が生育していますが、このような生物群集も油で被覆されて、急速に死滅することになります。

油流出がマングローブ生態系に与える影響は、以下のような流れ図にまとめることができます。

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油流出の最初のインパクトは、マングローブ林の根系や干潟に油が付着集積することから始まります。

前述したように、呼吸根などに油が大量に付着すると、マングローブは枯死します。また、油の付着が軽微でも、様々な環境ストレスと相まって徐々に枯死することになります。

このようなマングローブ林の構造的な破壊は、1年から5年にわたって慢性的に継続します。その後、枯死したマングローブの跡地で、マングローブの幼樹が更新することになります。しかし、干潟に集積した油に含まれる様々な化学物質が、マングローブの再生を長期的に阻害することもあります。

下のグラフは、油流出の事故の後、何年くらいで元のマングローブ林に回復するのかを検証した結果です。うまく再生する場合でも30年以上もの年数がかかることが、わかります。

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なお、以上の回復割合は、マングローブ林の生物量のみを示しており、マングローブ林に生育する動物などの生物量は含まれていません。ですので、マングローブの生態系全体が30年で回復したのかどうかは不確かなのです。実際には、もっと長い年数がかかると考えてもいいかもしれません。

モーリシャスの油流出事故が生態系に及ぼす影響とは

以上から、現在、モーリシャスで起きている油流出が、モーリシャスの地域生態系に与える影響が、破壊的なものであることが予想できると思います。

油が流出したサンゴ礁やマングローブの生物多様性が劣化し、生態系の構造が変化し、機能が劣化するなど、その影響は数十年以上に及ぶことが心配されます。

別記事で解説したように、今回のモーリシャスの油流出事故は、最も起きてはいけない生物多様性ホットスポット、保全重要地域で発生しています。

モーリシャスの社会経済は、サンゴ礁に代表される豊かな自然を資本にした漁業や観光産業にも依存しています。つまり、地域特有の生物多様性からの恵み(=生態系サービス)を元にして、地域社会が成り立っています。

今回の油流出事故は、世界的なサンゴ礁生物多様性のホットスポットを危機にさらしているだけでなく、生物多様性を基盤に成り立っているモーリシャスの社会経済にも、波及的に悪影響を与えることが懸念されます。

今後、日本は、流出した油の回収を支援することはもちろんですが、生態系に残存した油の影響を定量して生態系の変化を長期的にモニタリングし、劣化した生態系の回復の考案、さらには、生態系サービスに依存した地域産業の支援まで、幅広く尽力すべきでしょう。

続編の記事(以下)もご覧ください。

参考文献

Duke N.C. (2016) Oil spill impacts on mangroves: Recommendations for operational planning and action based on a global review. Marine Pollution Bulletin 109: 700-715.

Fishelson L. (1973) Ecology of coral reefs in the Gulf of Aqaba (Red Sea) influenced by pollution. Oecologia 12: 55-67.

Guzman H.M., Jackson J.B.C. & Weil E. (1991) Short-term ecological consequences of a major oil spill on Panamanian subtidal reef corals. Coral Reefs 10: 1-12. 

Guzman H.M., Kaiser S. & Weil E. (2020) Assessing the long-term effects of a catastrophic oil spill on subtidal coral reef communities off the Caribbean coast of Panama (1985–2017). Marine Biodiversity 50:28. https://doi.org/10.1007/s12526-020-01057-9

Jackson et al. (1989) Ecological effects of a major oil spill on Panamanian coastal marine communities. Science 243: 37-44. DOI: 10.1126/science.243.4887.37

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