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負けず嫌い、戦う相手は誰だ?!

私は負けず嫌いだ。
仲のいい友達は、え?!全然そんなことない!と言うだろう。

それもそのはず、私は負けず嫌いを表に出さないように気をつけている。
負けず嫌いの自分が、正直自分でも疲れるし、ちょっとダサいとも思っている。
だから、人と競わないといけないような場面は積極的に避けている。
堂々と負けた時の自分を受け入れられないし、悔しいしかっこ悪いし。
そもそも客観的に見た時に、ムキになっている自分がダサい。(と思っている。)
だから、特に自分が不得手だと思う場面(主に運動など)には、人と競うようなフィールドに立たないようにしていた。

だからこそ、避けてきた分野、運動は今も本当に苦手。
もともと苦手に加えて、その環境を避けてきたから、大人になっても基本的に人との優劣が明確になるような運動は本当に苦手。

でもそんな私も、大人になって、登山とヨガに出会って、その二つは好き。
年をとっても続けたいと思う。
そしてふと気づいた。
登山とヨガ。これらも一種の運動の分野だが、なんで好きだと思えるのか?と考えた時に、この二つは人と競うようなものでない、優劣をつけるものではないからだ、と。

登山とヨガ。それぞれ極めようと思ったら、上には上がいる。それはどの分野でもそうだ。
でも基本的にこの二つは自分と向き合うこと、ひいては自分との戦い的な側面がある。
なるほど、それだったら人と競いたくない自分でもできる、興味が出るのも不思議じゃない。
昨日の自分よりも今日の自分。
昨日できなかったことが今日は少しできるようになっている。
そんな、少しずつだが成長を味わえるのが好きだ。

改めてこのことに気づいたのは、息子の存在。
息子も相当な負けず嫌いのようだ。
負けず嫌いすぎて、ゲームではもちろん、ジャンケンでも負けたら泣くし、負けないための屁理屈もすごい。笑
保育園では、ボードゲームやカードゲームなど、最終的に勝ち負けが出るようなものは誘われてもやらないようだ。
友達から誘われてもやらないのだから徹底ぶりもすごい。
程度の差こそあれ、息子の気持ちが少なからず分かる私は、彼を見ていて、まーそうだよね、分かる分かる、と共感はする。
一方、あまりの競わない精神に、色んな学びの機会を彼は逃してしまっているのでは?と心配にもなる。
ゲームに負けたとして、悔しい、悲しい、何くそ!今度こそこうやる!みたいな、悔しいを味わってからのそれを乗り越えるハングリー精神みたいなものが養われないのでは、、、

親が息子にハングリー精神を鍛えさせる、ってイメージしづらいしうちは一人っ子。集団の中でこそ芽生える感情もあるだろうから、基本的には彼が今後の社会生活の中で身につけていくと信じたいけれど。
じゃあ自分に何ができるかを考えた時に、自然の中での体験を通じて、色んな感情を感じてもらえるのではないかと思った。
それで始めたのが登山。
もともと独身時代から少しやっていたし、体力のない私でもある程度付き合えると思った。

登山と負けず嫌いのリハビリ(?)にいかほど影響があるかはわからないけれど、「競争」という場面で、必ずしも戦う相手は他人ではなく、自分でもいいのだよ、ということを教えられたらいいなと思った話。

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