駐妻あるある⁈”自分は何もできていない”感の正体
今日は、今の頭の中を整理しておきたいと思います。
まず、どうして整理したくなったのか。
それは、駐在帯同で渡米してからすでに9ヶ月。
いろいろな経験をさせてもらい、驚くことや発見が多く、「エクスペリエンス重視!」の私のモットーが刺激されまくりの日々を送っているのにもかかわらず、
更には、一人時間が好きすぎて一人になったらやりたいことがたくさんある人間にもかかわらず、
経験しただけ、やりたいことをやっただけ、の日々で、
結局”自分は何もできていない”感がぬぐえないこと。
仕事をしている夫、学校に行っている息子と違って、一日中自由な時間をもらえているのにもかかわらず、特にこれと言って貢献できていない感があること。自分が何か周囲に対して価値のある人間になれていないという気持ちになっていること。
これが、”自分は何もできていない”感。
朝のルーティンも確立できたので、料理はして、部屋も程よく整えて、洗濯もし、それなりの家事らしきことはしており、それなりの家族のためになることはできている。
それには達成感もあるし、もともとの駐在帯同としての目的(夫と息子をサポートして家族笑顔で過ごす)は果たせていると自己評価では思う。
家族に対して価値のある人間にはなれているのかもしれない。
でも、それは日本で仕事をしていた時もしていたことで。
その時よりも笑顔で満足のいくことが出来ている(その時間がある)とはいえ、自分の中では家事は家事。
24時間を8時間ずつ3つに分けたとき、日本での生活は以下の3つだった。
1.「家事」
(この文の中ではずっと家事という言葉でまとめているが、家族との時間も含む)
2.「仕事」
3.「睡眠」
でも今は、「仕事」が無くなり、「家事」時間が2倍になった状況。
これまで、「家事」も「仕事」もバタバタしながら充実してやってきた自分は、「仕事」が無くなって、その部分に代わるような、自分が家の外での価値(世の中への貢献みたいなことや、感謝されること、やりがいや達成感のようなこと)を求めているのかもしれない。
「仕事」が自分に与えてくれていたものは、自分が家の外での価値だったのかもと今一つ答えが見えてきた。
では、家の外での価値ができれば、”自分は何もできていない”感から脱出できるのか。
⇒これは冒頭でも貢献・価値という言葉を発していることから、恐らく脱出の糸口にはなりそう。
そして、どうすれば家の外での価値を得られるか。
⇒ここが次なる問題。
また引き続き、考えていくこととします。
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