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それは豊かだからだよ。

先日ヴィーガンを公言している女優の二階堂ふみさんが、モンゴルでの仕事の際に食べられるものが見つからなくて困っていた、という主旨のニュースを見た。
まあ普通そうだよな、と思う。
結論から言うとそういった主義主張は、大抵国が豊かで整備されてるからこそできることなんだ。

ヴィーガンには大雑把に二種類存在する。
宗教上の理由か動物愛護の観点からか。
どちらにせよ、訪れた国が宗教上の理由で菜食者への配慮がなされてない限りそういった食事をすることはまあ不可能だ。
そもそも人間は雑食で、肉と野菜の両方を食べる必要がある。
どちらかでいいというわけではない。
両方必要なのだ。
だからヴィーガンは肉の代替品として大豆を加工した食品を食べる。
これが他国、限定すれば発展途上国に訪れるとこのような技術が整備されていることはほとんどない。
ヴィーガンという肉を食べないという選択は、その選択が採択できる環境のみでこそできるものだ。
(例外としてその土地に住み自給自足をすれば良いが、大抵の旅行者には限度がある。)

ヴィーガンだけではない。
僕がよくよく話題に出す性的マイノリティもその一種だと考えている。
以前少し話題に出したが、一度戦争が始まればこの性別に関する主義主張は白紙に戻され、男と女という極めて原始的な二つの性別で役割分担がなされるであろう。
自分たちの身の安全が担保されているからこそできる主張なのだと思う。

潔癖症といったものもこの一種かもしれない。
国が発展し技術が進歩し、綺麗な環境で過ごせる基盤があるから潔癖症であることを採択できる。
不衛生な国では潔癖であることは死を意味する。

人は欲深い。
何かを得れば別の何かを求め、得たものの存在を忘れる。
得たものが取り上げられれば思い出したかのようにまた追い求める。
ただその主義主張が通るのは日本という豊かな国だから。
他の国の方が進んでいる、と主張する前に自国がそもそも進んでいることを自覚すべきだ。
本当に必要な主張は多くの途上国でもされているはずなのだから。

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