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#1 どうしてnoteに気持ちを綴るのか。

早速質問いただきました。
ありがとうございます。

”綴る”って漢字、いいですよね。
自分の心の中の言葉を一文字一文字感情を込めながら紡いでいく印象。
”書く”という客観的な現象としての行為ではなく、感情の伴った行為を表す言葉なような気がします。
誰かに届けたい、そんな感情を乗っけながら筆を執っていることは間違いないと思います。

とはいえ、noteを綴る理由を聞かれたら、
綴りたいから。という身も蓋もない理由になってしまうかもしれません。
こんなこと知ってるんだよ!ドヤ、っていう承認欲求も、
こういうのが頭の中にあれば楽なのに、っていう啓蒙欲も、
自分の恥部を曝け出す露出欲も、
他人のここは間違ってて自分が正しいと思っている批判欲も
全部ひっくるめて「綴りたい」という欲になってるんだろうと思います。

この欲求とは別に、大義を挙げるとするのであれば、それは客観的な思考の変化を今後自分で感じ取れるようにするため、だと思います。
始めたきっかけはただの欲です。
けれどもこの半永久的に遺してくれる情報の海に流すことで、いつか自分の成長や老いを感じたくなった時に、この20代前半の思考を遺すことは意義があるなと感じています。
本当は日記でもいいんですけど、毎日何かをするっていうことが嫌いなのに、完璧主義で毎日書いてないと書きたくなくなるという絶望的に日記に向いていない性格をしているので、noteの方が性に合ってるっていうところもありますね。
あとは今、毎note1時間くらいかけて綴っているのですが、恐らくそんな時間は社会に出てからはないだろうなって思ってるところも正直。

ざっくばらんにnoteを綴ろうとしているからか、そのときそのときで自分の興味が変わってるんだな、とも。
始めたての頃はジェンダーについて色々と興味があったし、今は留学中で日本のこととか宗教とかそういうことにすごく興味がある。
でもこれはnoteを見返して変化してるなって気づけてるところが大きくて、そういう自己分析にも役立つなって我ながら感心してます。


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