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2024年4月の記事一覧

天才は存在するのか

この世に”天才”はいるのか。 ”天才”が「理解できない域にいる人間」という定義とするなら、多分いない。 分野が異なりすぎて理解できないことはあるかもしれない。 けれどもきっと誰から見ても理解できない域にいる人間など存在しないのだと僕は思う。 どんなに優秀な人間も、その分野にかけた時間というのは絶対に存在するから。 「あなたの周りの天才は?」という質問に出てきやすいのは、授業中にずっと寝てたけれど合格したアイツ。 それはあなたの前では寝ていたのであって、他の所では勉強してたん

砂金。ー古文漢文不要論についてー

毎年受験シーズンになると流れてくる古文漢文不要論。 「古文や漢文は学習に時間と労力が必要な一方で、現代社会で使用する機会は少なく、目に見えた成果が少ないから。」 というのが不要論の大筋かな。 そもそも不要論を唱える人々は古文漢文を実社会で使用しなかった勢力で、必要論を唱える人々は使用した勢力。 つまり使ったから必要、使わなかったから要らない。 だからこそ、この議論は永遠に平行線で毎年こういった議論がなされているんでしょうね。 それでも敢えてこの不要論に対して批判をし、必要

人生はアートだ

人生は全てアートだ。 アートとは「文脈」・「空間」・「造形」によって成立している。 例えば絵画。 絵画自体にフォーカスを当てた際、その絵画の描かれた絵の内容という”文脈”がある。 宗教画なのか風景画なのか自画像なのか。 自分の好みや知識によってその絵画を美しいと思えるかどうかは変わってくる。 また、絵画鑑賞という行為に対しても、どうしてその絵画を観に行ったのか、というのも”文脈”に含まれる。 こうした”文脈”には自分のその時の感情も含まれる。 誰とどういう状況でその絵画を

サクラを見て思い出す

毎年どこかしらで桜を見れる。 鎌倉だったり上野だったり、今年はドイツのミュンヘンだった。 その度に思い出す、ある高校同期。 彼は「桜はあんなにも咲いているのに、見向きもされないことが美しい」と以前言っていた。 ああ、なんと美しい言葉だろう… 僕もいつかこんな言葉を紡いでみたい。 サクラを見るたびに彼を思い出す。 サクラを見て「諸行無常」や「盛者必衰」を思い出す自分。 これは桜の散りゆく様子や、春だけ注目を浴び、残りの季節はただの木となるところからのただの“連想”だ。 “連

子供を東大に入れるには

「子供を東大に入れる100の方法!」 「東大生が幼少期に読んでいた本!」 「東大生のやっていた習い事!」 うぅ…嫌い… 何なんですかね。 子供を東大に入れることってそんなに偉いんでしょうかね。 まあ確かに将来食いっぱぐれることはない、安定した将来という意味ではそうなのかもしれません。 ただそれが育児の成功なのかな、と僕は疑問に思ってしまいます。 こう考えられるのは自分が東大に入っているから。 そして自分の家庭環境が良かったから。 所謂、親ガチャに成功したから。 というのは

日本人はどうして英語が話せないのか。

結論から言います。 そんなことないです。 日本人は英語が話せないという思い込みが強すぎる。 これに尽きます。 単純な話です。 「英語が話せる」という基準がどこにあるのかは物凄く難しいものです。 例えば英語が母語であるイギリスやアメリカ。 この二つをとっても発音は大きく異なります。 イギリス英語に慣れ親しんだ自分にとっては、イギリス英語が聞き取りやすく、アメリカ英語はあまり好きじゃないです。 (こういうとイギリス人は、「英語はEnglandから来てるからEnglishなのでイ