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解りやすいよりコトや人よりも、「解りにくい」コトや人が、これからの時代を生きていける人になれる?

いままで「解りにくい」を「解りやすくする」ということが大きなテーマとして仕事をしていましたが、仕事をしていく中で、いろんな事柄を解りやすくして相手が「複雑」を解かずに受け取りやすくすることは本当に良いことなのだろうか?と、考えるようになりました。

解りやすくすることへの違和感...

ひとつの仕事の中に分かりやすくして良い所と、そうしてはダメなことがあるということではなく、私の仕事への考え方そのものが、解りやすい方へ流されてしまっているという事に違和感を感じていて、でもはっきりとした原因がわからないままでいました。

ただ、結果を出さなといけないので、いつも「解りやすさ」を考え、仕事をしていましたし、解りやすい方が反応が良いから心地良いし、安心するのは明らかでした。

でも、複雑なものを単純にするということは、場合によってそれは別物になってしまうことがあるということと、単純なものに触れつづけた人は考えることをどんどんと遠ざけてしまっているということを徐々に感じるようになってからは、私の仕事の結果として納得が出来ないようになり、原因をしっかり見つけなければならないと強く感じました。

答えは自分の長所の中に。

最近、とうとうその違和感の原因と答えがはっきりとわかったんです!
それは自分の長所がわかったことが答えになりました。

今までは自分の中の「複雑さ」が短所だと捉えていましたが、
私の複雑さが長所だと思えるきっかけがあり、
複雑を長所として捉えると、自分の仕事の見え方が変わり始めました。

理解して欲しさに私を解りやすく受け入れてもらうことは、
複雑な私を「解りやすい」に捻じ曲げて表現しているからこそ、
違和感を感じていたんだと気づき、そうと分かると、一気に気持ちが解けていきました。

自分の美味しいと思う味の作り方に流儀を持って、表現出来ることと、その表現を感じれる人になること。

複雑なのは私だけではないと思います。誰だって、複雑なのだと思います。
シンプルで解りやすい人もいるでしょうが、それでもどこかは複雑さを持っていて、その複雑の中に個性があると私は思います。
今まではシンプルに解りやすい方が良し(世の中のマーケティング、デザイン、思考的に)という傾向だったように思いますが、これからは解りにくさを自分の流儀にまで磨き、表現出来ることと、それを感じれる人になれるかが、今の時代では「生きていける人」になるのではないか、と私は考えます。