書籍から得られる学びを増やす。

ラーナビリティについては、コチラで考察しているのですけれど、それに関連して、最近気になってることがあるんですよ。

「この本読んだことある?」と聞くと、「読みました」と回答されるものの、「え、読んでそれなの?」って言いたくなるくらいに、何も実践されていないというか、思想にも行動にも反映されていない人が、あまりに多い。

読み方が浅い、とかいう話もあるけれど、そういう読解力の話ではなく、そもそも「本に書いてある知識をどう使うのか」という視点が欠落しているんじゃないか、と感じる。

本を読むというのは、自己の中にインプットを溜め込む作業です。そして、インプットは、何かしらのアウトプットにつながらないと意味がない。

まぁ、溜め込むだけ溜め込んで、発酵するのを待つというのも一つの使い方だし、セレンディピティを期待するのも良い事だし、知識レベルでコネクティング・ザ・ドットとが起こることもあるので、乱読することが悪いとも思わない。でも、やっぱり、アウトプット思考で、目的意識を持って本を読んだ方が、(特にビジネス書の類においては)タメになる。

ちなみに、アウトプットは、文字としてまとめることに限らない。
その内容を自分の血肉とすることで、己の日々の意識や行動をプラス方向に変化させることも、十分にアウトプットと呼べると思う。

もっと本を読もう。そして、その学びを活かそう。

なぜ、僕が本を勧めるのか。それは「最低限の品質保証」が為されているからです。

コチラの記事で解説した通り、Amazonや店頭で皆さんが目にする本は、(自費出版を除いては)企画会議を経て、世に出ています。それは「読むに値する本じゃないと、世に出してくれない(だって出版社が儲からないから)」というスクリーニングが働くからです。

更に言うと、僕が今書いているこのnoteを含む、ブログ類の大半は「誰のチェックも受けていない状態」です。出版書籍は、少なくとも「編集者」のチェックが入ります。また、「校正係」のチェックが入るケースも多いです。

つまり、「書籍」の形で世に出ている時点で、文章としての読みやすさや、論理構成の正しさについては、最低限の品質保証が為されている、と考えてよいでしょう。(もっとも、誰のチェックもされていないメディアの際たるものがSNSで、特に短文であるTwitterが、不正確さが上がりやすいとも言えます。)

とは言ううものの、信頼性が著しく低い内容を記述している書籍もあります。いくら読みやすく、論理構成が正しくても、その記述内容自体が間違っているケースは排除できません。医療関係や経済関係について、トンデモ理論が書かれている可能性は否めません。インターネットよりも多少マシ、という程度で捉えるべきなんですよね・・・という話は長くなるので「情報リテラシー」というテーマで別途記述したいと思います。

閑話休題(それはさておき)、そうして、最低限の第三者チェックが済んだ本を読むと、何かしら「わざわざ本にしてまでお届けしたい情報」が書かれているはずなんですね。

1.それを読み解く。理解する。
2.そして、その情報から、概念(コンセプト)を抽出する。
3.最後に、その概念(コンセプト)を、自分の日々の活動に適用する。

この3ステップで、書籍の内容を血肉とするんです。これが「ラーナビリティ(=学習能力)が高い」という状態です。

本に書いてある具体例が、そのまま、自分の人生に、どまんなかでフィットするような都合の良い事はりません。

具体例を積み上げて、帰納法的に概念に昇華し(=抽象度を上げる)、その概念を自分の状況に当てはめる。

こういう思考方法がでいる人は、例えば、「ワンピース」を読んで、登場人物の行動原理を概念として捉え、自分の行動指針として落とし込むわけです。(それがいいかどうかは別にして、ですよ)

是非、ラーナブルな人間になりましょう。読書は、そのための、良い訓練です。

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