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執着しない、と、諦める、は違う

お金への執着を捨てると、人生が楽になる。という話はよくあります。

でも、お金に執着しない、ということと、お金を諦める、は、別の話です。混ぜちゃダメです。

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清貧の思想は美しい

清貧の思想は美しいです。素晴らしい。この本とか読んで、心を洗われたいものですよ。

でも、この欲にまみれた資本主義社会が何でこんなに隆盛なのかというと「便利で快適」だからです。

いや、別に社会主義がどうとか、共産主義がどうとかいう難しい議論をしたいわけではなくてですね。単純に、資本主義というものの「物質的な豊かさを、お金で買う」という基本的な側面が、「現代的な、便利で快適な暮らし」には極めてぴったりくるわけです。(詳しい方には、資本主義社会によって定義された豊かさが、現代の価値観だからそう見えるだけだ、とかいうツッコミを頂戴するのかもしれませんけど)

そりゃ、世間は広いので「物質的な豊かさなんて欺瞞だ!」という方もいらっしゃるとは思うんですよ。それも一理あるでしょう。いや、正しいよね、とも思います。
しかしながら、大半の人は、物質的豊かさによって、快適に暮らしてます。事実として。

ですから、地方(というか、田舎)に移住して晴耕雨読で暮らすんだ!という人がいても、その価値観を否定しようとは思いませんが、その一方で「全人類がそうすべきである」ってことにはならないよなーと思うわけです。

身の丈を知り、弁える

では、欲望にまみれて生きるのが最高の人生なのか?と言えば、それもそれでいかがなものかってなります。

酒池肉林とか、ハリウッドセレブ的なうぇいうぇいライフとか、そういうのもそりゃぁ楽しいんだろうなって思うですけど、それが即ち「心を満たす」ということなのかしら?って気持ちになりますよね。

※ならない人は、ボヘミアン・ラプソディーを3回連続で観てから、再度お越しいただければよろしいかと思います。

誰しも、物質的豊かさを「それなりに」は欲しいんですよ。でも、「ちょうどいい」ってのが、なかなか難しい。

ときどき、精神的に満たされていないから、その穴を物質的に埋めようとしている、って人もお見掛けします。その穴は、その方法では永遠に埋まらないんで、なかなか厄介な状況です。

そこで、最初に取り組むべきは「身の丈を知る」ってことなんじゃないかなと思うんですよね。

自分の器、自分の能力、自分の性格。そういうのって、人生の前半では、正確にはわかんないんですよね。過小評価したり、過大な期待を抱いたりしちゃう。でも、どこかのタイミングで「ああ、僕は、こんなもんかな」って思う。(もちろん、中には、そんなこと思わない人もいるでしょう。でも、例外的な存在だと思いますよ。)

あたりまえですが、茫洋と何も考えずに生きて、年齢を重ねたからと言って「身の丈が分かる」ってもんでもないんですけど、着実に人生経験を積んでいくと、なんとなく限界とか実力値とか、そういうのが見えるんですよね。

野球が得意な少年も、県予選を勝ち抜けないとか、甲子園で優勝はできないとか、プロ野球選手にはなれないとか、スタメンを張り続けることはできないとか、大リーグに挑戦するのは無理そうだとか、どこかで気づくじゃないですか。

範馬刃牙も言ってますよ。

男子(おとこ)はね、誰でも一生のうち一回は地上最強ってのを夢みる
程度の差はあるけどね
これは誰でも見る

けれど 誰もがそれを どこかであきらめていく
兄弟喧嘩に敗けたとき
ガキ大将に出逢ったとき
父親の拳骨の痛さを知ったとき・・・

そういうものです。そういうものなんです。

あるいは、いま諦めた、とは自覚しなくても、あるタイミングで気づくんですよね。ポルノグラフィティも歌ってます。

僕がかつて小僧の頃イメージした壮大な人生プランからは多少見劣りはする
案外普通だし常識的なこれまでさ それはそれなりに そう悪くはないのさ

マイケル的生活じゃなくても、まぁええやん。というお話ですね。

ポルノグラフィティが「普通」って言われると、いやいや、めっちゃ成功してますやん、と思ったりもするわけですが、どこまで行っても「自分がどこまでを目指しているか」というものを基準に置いた相対比較でしかありえないんですよ。

だから、「自分はこのあたりだな」というのを理解するのは、精神的な安定を得るためにも、極めて重要です。

足るを知る=執着しない

さて、ここで冒頭のお話に戻るわけです。
「お金に執着しない」は、「お金のことを諦める」でも、「お金のことを憎み、忌避する」でもないんですよね。

・自分にとって、必要なお金がどの程度なのかを知る
・自分の稼げる/手に入れられる金額の大きさを知る
・ギャップがあるなら、調整する

ギャップ調整は、必要なお金を減らすか、稼ぐ力を上げるか、の二択です。

もちろん、時間、という武器もありますので、「今は我慢するが、少しずつ稼ぐ力を上げて、それに比例して、必要なお金も増やしていく」というアプローチも可能です。

これが「お金に執着していない」状態です。

一方、お金に執着してる、というのは、「自分にとって必要じゃないレベルのお金を求める」だったり、「既に満たされているのに、それ以上に稼ぎたいという気持ちに縛られてしまう」だったりしている状態です。

こうなると、人生が楽しくないです。

言うまでもなく、自分の限界を超えるよう日々努力して、実力を伸ばす、成長する、ということは素晴らしいことです。しかし、それが、身の丈に合わない無謀な挑戦だった場合は、自分も、周囲も、そして巻き込まれた人達も、みんな等しく不幸になります。

「客観的に、己の実力を見極める」は、幸せに生きるための最初の一歩であり、最大のポイントだと僕は思います。

執着は、お金に限らない

お金というトピックについて書いてきましたが、執着する対象は、お金に限りません。
地位や名誉、異性や美食への欲求、あるいは知識欲などのこともあるでしょう。

これらに対して執着を捨てると、そりゃ、楽になりますよ。

でも、全てを捨て去ることなんてできません。
結局のところ、足るを知り、身の丈を弁えて、これらのものと「ちょうど良い距離感」で生きていくことが大切なんですよ。

仏法に帰依して、悟りを開き、現代のブッダになろうとするなら、いざ知らず、世の中の大半の人(もちろん僕も含めて)は、俗世にまみれて一生を終えるわけですから、バランス感覚を持って暮らす、物事に固執しないで生きる、を意識して日々を過ごしていきたいものですよね。

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