世界を”分断”してはいけない

週末に、僕にしてはかなり感情的になったnoteを書いたので、その反省を込めつつ、コロナ騒動をとりまく過剰に攻撃的な舌戦に関して、現時点の感想を書き留めておきます。

先日も書いた通り、「普段もさることながら、とりわけ”有事”においては、できるだけ冷静であるべきだ」と思うからです。

他人に文句を言うのは簡単

人のやっていることに文句をつけるのは簡単です。
もちろん、人の意見を疑うことも、生きていく上では大切ですが、それは、客観的であることが大前提です。

個別具体事例と、世の中全体の話は分けて捉えなければいけません。
n=1の実感値は、それはそれで大切な情報ですが、1億分の1の話をしているに過ぎないこともあり得ます。
自らの信念に盲目的になりすぎて、他人に対して攻撃的になるのは好ましくありません。

僕たちにできることは、「自分の持ち場で頑張る」ことです。それ以上でも以下でもありません。

「意見」の信頼性は、等しく低い

意見は意見です。誰が言っても、意見そのものの信頼性は変わりません。等しく「信頼できない」ものです。(いま、あなたが読んでいる、このnoteも、僕の意見に過ぎず、信頼性は極めて低いと考えてよいです)

もちろん、そこに根拠が提示されたり、専門領域であるからということで「信頼しても良いかもしれない意見」は存在します。

しかし、大変残念なことに、「専門外のことを、さも専門知識があるかのように話す」とか、「断片的な情報を、適当につなぎ合わせて、論理構成を無視して話す」とか、「結論ありきで話す」とかいう人が、極めて多いです。

もしあなたが「特定の誰かの意見は信じるが、他の誰かの意見は信じない」というスタンスになっていたら、それは危険信号です。自分で考えて、自分で判断していない可能性があります。

「〇〇さんの意見だから信頼できる」は間違っています。「領域Xにおける専門家である〇〇さんが、領域Xについて語っているから信頼できる」とか。「ファクト、エビデンスを複数集め、構造的且つ論理的に持論を展開しているから信頼できる」とかいうお話であるべきです。

「データ」は、出所によって信頼性が変わる

意見の根拠として用いられるデータにも注意が必要です。データは出所(でどころ)の信頼性によって、取り扱い方が変わります。信頼できない所からでてきたデータは信頼できません。信頼できる所からでてきたデータは信頼できます。シンプルですね。

しかしながら、データの出所(例えば政府)の信頼性を疑い始めればきりがありません。そこで「複数のデータを比較検討し、無理が無いものは”正しい”と置く」という態度が求められます。

国を跨いだデータを比較し、データ期間の違うデータを比較します。複数のデータを集め、比較すると、何かがおかしいと気づくことがあります。

データは整合性が求められます。そんなに簡単に「違和感なく」改ざんできるものではありません。仮に一時しのぎで逃げ切れたとしても、一定期間を超えると、ほころびが出ます。

また、アリがちな失敗として、そもそもの「データの”定義”を確認しない」というミスがあります。これをやると、前提が食い違ったまま議論が進み、事態は混沌に向かって爆走していきます。データに触れる際には、「これは、いったい、何を示すどういうデータなのか」を最初に考えねばなりません。パッとみて「グラフがググっと急激に伸びている」というような印象だけで、何かを語るのは危険です。データを扱う際は、しっかり向き合ってまじめに考えないと、たいていの場合、あとで痛い目に合います。

「事実」を探す

意見やデータが信頼できるかどうかはさておいて、結局のところ「事実」は「事実」です。事実は揺らぎません。事実を探しましょう。

大量にあふれかえる意見や、出所の良く分からない膨大なデータの海の中で溺れてはいけません。しっかり、自らの力で泳ぎ切りましょう。

先鋭化してはいけません。攻撃的になってもいけません。他人の説得を試みてはいけません。ただ、淡々と事実を探すのです。

コミュニケーションは、誰かを傷つけるための武器ではなく、事実を探し当てるためのツールです。他人の話は「情報」です。話を聞くことは、「手元の情報を増やすこと」であり、「データの比較対象を増やすこと」です。

RPGと同じです。みんなの話をちゃんと聞かないと、聖なる武器が手に入らないどころか、最初の村からでた後に、隣の町にたどりつくことさえできませんよ。

好き好んで敵を作るのは愚策

誰かを敵認定しても、物事は良くなりません。無駄な戦いは避けましょう。分断を深めるよりは、距離を置きましょう。(お互いに)冷静になる時間を持ちましょう。その結果、自分自身に改めるところがあれば、ためらうことなく改めましょう。

意見の違う人がいても、所詮は「お互いに信頼性の低い情報」です。事実が不明確なまま、意見と意見を戦わせるのは、マシュマロをぶつけ合うようなものです。致命傷にはなりませんし、お互いベタベタになって気持ち悪く、また、マシュマロがもったいないです。もう少し、有意義なことに時間を(できれば、マシュマロも)使った方が良いです。

異なる意見の持ち主を見ると、どうしても攻撃してしまう!ということなら、twitterやFacebookなどで、対象となる人をミュートもしくはブロックしましょう。攻撃してしまうくらいなら、距離を取る方が得策です。(FBはいざしらず、直接の友人じゃないケースも多いtwitterなら、なおさらです)

みんな仲良く元気よく

もちろん、意見の違う友人と疎遠になるべし、と言っているわけではないです。価値観が違うという前提で付き合うのがベストです。例えば、その話題に触れないことも一案です。でも、それができないなら、喧嘩するよりは距離を取るべきでしょう。

万が一、今回の件で、友人と疎遠になったしても、大丈夫です。楽観的なシナリオに則れば、数か月で山を越えるんです。まぁ、事態が落ち着いてから、友人関係を再構築すれば間に合いますよ。

未知の病気が蔓延し、みんなストレスを抱えて生きてます。こんなときだからこそ、本当に「平和を求める」スタンスに立ちたいものですよね。

人は人、我は我。できるだけ、心穏やかに過ごしましょう。

いただいたサポートは、このnoteで紹介する書籍の購入に使わせていただきます。