コロナウイルスを題材に、自分の思考様式を考える

※このnoteには、医療情報およびそれに類するコンテンツは一切含まれていません

コロナウイルスというものが世間を席巻しておりまして、ネットもテレビも大騒ぎなのは、皆さんよくご存じのことかと思います。日本だけじゃなくて、BBCやCNNも大騒ぎですし、もう、とんでもないことになってます。

こういうとき、シンカホリックを名乗っている僕としては、不謹慎ながら「これは、良い題材が来たぞ」と思うわけです。何の題材か。もちろん、己の思考を深めるための題材です。

本日は、コロナウイルスに対する自分の態度を客観視することで、自分の思考様式を考えてみる、というお話です。

軸を決める

こういう場合、最初にやるのは「評価軸を決める」ということです。唯一無二の一軸を決める、というのは無理なので、いくつかの評価軸を出します。アンケート調査をイメージしてください。

例えば・・・

事態の捉え方:傍観スタンス ⇔ 自分事として捉える
改善意向:このままで良い ⇔ 何かしら改善したい/Actionを起こしたい
情報処理の姿勢:論理 ⇔ 感情(激怒、強い不安、陰謀論など)
自他の重みづけ:平等指向 ⇔ 何かしらの差を付けたい(他国も含めて)

というような感じです。

左を1、右を5、どちらでもないを3とすると、僕は「1,1,2,2」くらいな気がします。

画像1

自分の思考の癖を知っておくと、便利。

1,1,2,2 ということは、一連のコロナウイルス騒動について

・完全に傍観している:ぶっちゃけ他人事だと思っている
・現状に満足している:政府の対応や、自粛要請に、さしたる不満は無い
・論理に依拠すべきと思っている:とはいえ、多少は不安だけどね
・身内を守りたいというよりは、全世界でうまく鎮圧して欲しいなと思う:まぁ、さすがに日本びいきなのは否めないけれども・・・

というくらいのスタンスだと「自己評価」している、ということです。

この自己評価が正しいかどうか、および、このスタンスが良いのか悪いのかはさて置いて、こういう風に自分の「思考の癖」を理解しておくことは重要です。割と、良い事もあります。

良い事の例 1:自分の行動を制御できる

自分の機嫌は自分でコントロールするしかない、という言葉がありますが、多くの人にとって、これはなかなかできることじゃありません。そもそも、自分がどういう理由で、いまの感情を抱いているのか、が明確じゃないので、手の打ちようがないんですよね。(僕も、修行中です)

そういう場合に、自分が「物事に対して、どういう捉え方をしているのか」「どういうスタンスにあるのか」を把握しておくと、客観的に自分を眺めることができるようになります。

特に、今回のコロナの一件は「未知の病原体である」「重篤な症状に陥ったり、死に至るリスクがある」「イタリアなど、一部地域では医療体制が崩壊してしまっている」「外出禁止令などがでている都市もある」「各国が感染拡大を回避するために入国制限をしている」というような ”大変そう” という情報が溢れている緊急事態です。通常とは違います。そういう状況下で、自分が、どういうスタンスで物事を捉えているのか、は、自分自身を理解するために非常に役立ちます。

僕は、知らない場所に行くことや、知らない人と会うことに対して、拒否感が強い人間です。新しいレストランに行くのはドキドキしてしまうし、小売店でお店の人に話しかけられると逃げたくなり、初対面の人と会話するときは(表面上は取り繕っているかもですが)とても緊張しています。

しかし、こんなに「不明点が多くて、不安になってしかるべき」と思われる状況において
・まぁ、インフルエンザ程度のリスクだろう(健康であれば、死ななそう)
・僕にできるのは、手洗い・うがい・アルコール消毒(手元にあるならマスクも)に加えて、栄養のあるものをたくさん食べて良く眠ることくらい
という、割と冷静な(一部、諦観の念もありますが)スタンスになっているのは、ちょっと意外でした。
普段は論理性を極めて大事にしているという自覚がありますが、こういう時は、もう少し感情にベクトルが振れるかな、と思ってたんですよねー。

そして、ひとたび、こういうスタンスを自覚すると、
・変に煽られておかしな行動をとるのはよろしくない➡トイレットペーパー買いしめてどうするの?
・他国を批判したり、自国の政府に文句言っても仕方なくね?➡有事に批判しても仕方ないし、文句があるなら次の選挙で示すしかないでしょ
・僕らみたいな素人が、感想を述べても、状況は1mmも改善しないよね➡専門家に任せようよ
という風に、自分の取ったスタンスに引っ張られて、自分のとるべき行動が明らかになって便利です。

もちろん、「不安で押しつぶされそうなので、その状況から逃げるために、敢えて客観的なスタンスをとって精神のバランスを取っている」という可能性もありますが、感覚的には、そんなに無理してるとも思いません。割と、こういうヤツなんだなろうなと思う次第です。

良い事の例 2:意味のない議論を避けられる

また、自分の思考を理解しておくと「あまりに距離のある人との議論をしなくてすむ」というメリットがあります。

さっきの4項目が割と近い人とは、分かり合える部分も多いので、議論になることもまれです。

多少ズレているくらいでも、同じような価値観が多少あれば、そこを起点にして、議論を深めることもできるでしょう。

しかし、全てにおいて、大きく離れていると、無理です。議論になりません。っていうか、議論するだけ無駄です。

本件に限らず、「データで考えよう!」と言ったときに、「データは改ざんされている!」とかいう反応をされると、もう、そこから先には進めないじゃないですか。

そういう人達と距離を取って、無駄な時間を過ごさないことも、自分の平穏のために役立ちます。

あるいは、単純に「感情的な人」から距離を取ることで、自分自身をを冷静に保つ効果もあります。(もしくは、自分自身が「感情的な人」になっていないかをチェックするのも良いです)

個人的には、人は、信じたいものしか信じませんし、見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞きません。ただ、自分が「何を信じようとしているのか」「何を見たいのか」「何を聞きたいのか」を把握しておくと、ふと「おまえ、ほんまにそれでええんか?」と自分自身が語りかけてくることがあると思うんです。

折角の機会なので、自分の思考様式を見直してみると良いと思うんですよね。シンカホリックからのご提案でした。ぺこり

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