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温「新」知新 /Re:温故知新

昨日、温知新というnoteを書いたんですが、今日は、温知新です。

内容的にアンサーnoteになっているというわけでもないのですが、取り扱いたいトピックが今話題沸騰中のChatGPTさんなので、どう考えても「新」だよなということで、そんなタイトルになっています。

chatGPT / bing AIは、おそらくシンギュラリティの蓋を開けたのだと思うんですよね。

ただ、この先「筋の良い仮説を出しくれるパートナー」として進化していくのか、「答えをくれる便利な機械」として進化していくのかで、話が変わるんじゃないかと思うんです。

僕は、典型的なオールドタイプなので前者になってくれることを強く望むのだけれど、ニュータイプな方々は後者すなわち自律的判断システムを好むのかもしれません。
いや、むしろ、現時点では、前者としてしか使えないのに、すでに後者だと思ってる人もいそうな気配を感じています。そのあたりにヤバい空気を感じてますね。僕は。

加えて言えば、前者的進化を遂げて「筋の良い仮説をAIが出してくれる」ことが常態化したときにも、「筋の良い問いを立てる」能力は求められ続けるのではないか?というところは、とても気になっています。
もちろん、それさえも不要になる(問いを立てる必要もなくなる)という可能性もあるんですが、オールドタイプの僕としては、やはり「問いの設定」は人間の手の中に残るイメージがあります。(そうじゃなくなったら、知的産業において人間が付加価値を出す領域は消え去るわけなので、マトリックスの世界になっちゃうよね・・・)

「筋の良い問い」を立てる能力を身につけるために、「筋の良い仮説」をつくる思考訓練が必要なのではないか?と思うんですよ。
このあたり、どうなんでしょうね。
もし、それが真ならば、AIによって仮説思考の訓練機会を奪われてしまうことにより、適切な問いを立てる人材を育成できないのではないか
なんてことを危惧してしまいます。

まぁ、これもすべてオールドタイプな僕の「自分のスキルが、今後も求められ続ける社会であって欲しい」という願望を具現化した我田引水的理論に基づく杞憂なのかもしれないのですけれどもね。
(10年前に「シンギュラリティは、すくなくとも10年くらいは来ない」と言ってたのはギリギリ正解だったけど、今後は本当にどうなるか分かんないですしねー。)

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