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毎日定時で帰るカツカツの低所得層と、深夜まで働く優雅な高所得層の話

1年以上前の記事ですが、そうだよね、と思いましたので。

要するに「毎日定時に帰る優雅な生活」は幻想で、実態は「日々の暮らしに苦しみつつ、毎日定時に帰る人」と「日々死ぬほど働いて、優雅なバケーションを過ごす人」の二種類なんだよ。と言うお話です。(ジョブ型雇用についての問題提起でもあるので、ご興味のある方は是非ご一読を。)

ワークライフバランスについては、僕は常々「選択の自由」が担保されるべきであって、どのバランスが最適なのかは個々人が決めるべき、だと主張してるんですよね。

若者が「毎日定時で帰る生活」を選ぶということは、そのまま40年なり50年なりを、大した昇給のないまま働き続ける人生を選ぶと言うことになる。
一方で、寝る間も惜しんで働いてさっさと昇進する、転職する、という選択肢もある。
極端に言えば、そのどちらを選ぶか?の話。

もちろん、その中間で、ほどほどに働いて、ほどほどにプライベートを楽しむ、というのが一般的で、それこそ「バランス」なんだと思うんですよ。

欧米的な分断社会が理想だとは全く思わないので、こうした複数のルートを自由に選べるように、社会全体がなっていくと素晴らしいことです。
ただし、社会が理想的な形になったとしても「選ぶのはあなた自身」である、ということは変わりません。

なお、ひとつだけ注意が必要なのは「死ぬ気でバリバリ働くルート」は、歳をとってからは選べない、ということ。
まぁ、選んでも良いんだけど、体力的にも精神的にも、この選択はツラい。
僕は26歳の時にギアチェンジしたけど、マヂで死にそうだった。
あれが30歳だったら、どうなってたか分からない。

言うまでもなく、人の可能性は無限なので、挑戦し続けることは尊い。が、やはり、一定の制約はある。
将来発生し得る制約を見定めつつ、正しい選択をし続けること、あるいは、正しい選択をしようと最善を尽くし続けること、が、極めて大切なのだと思うんですよね。

これを「社会の構造が悪い」と言うふうに断じるのは簡単です。そして、それを変えようとするのは、とても素晴らしい活動です。

しかしながら、その活動は、あなたの目の前の問題を解決してはくれません。
その活動は、あなたの給与を上げることには、直接的にはつながりません。

あなたの給与をあげられるのは、あなたの雇用主です。
あなたの生活を幸福なものにできるのは、あなた自身です。
社会問題、政治に答えを求めること「だけ」では、自分の生活は、ほとんど変わらないのです。

自分自身の、たった一度きりの人生です。未来の自分が後悔しないように、耳障りの良い話、都合の良い夢物語に騙されないように、日々、精進していきたいなと思います。

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