ワニ君はいったい何者なのか

「100日後に死ぬワニ」は今twitterをやっている人なら知らない人はいない有名なワニ。「SUPERどうぶつーズ」が代表作の漫画家/イラストレーター のきくちゆうきが2019年12月12日から投稿し始めた4コマ漫画である。初登校から1日たりとも欠かさずに投稿を続け、昨日(3/13)でなんと残り7日となった。
ワニ君は今となってはtwitterで有名人のようになり検索欄に「100」と入力すると100均を越して100日後に死ぬが予測変換の最上位に君臨するほどみんなの注目を浴びているのである。さらに100日後をオマージュした面白いコラが溢れある種のトレンドまでも作っている。リツイート数は内容に偏りはあるものの徐々に増えコンスタントに1万前後ヒットしている、コメントもいつしか「はよタヒねや」、「剝製にしたろか」みたいなアンチコメから有名ツイッタラーから「死なないで」「ワニ君には幸せになってほしい」などのワニ君の生存を望むコメントが寄せられてきている。
この会ったこともなく、名前も知らないワニはいったい何なのか。なんなら実在すらしない二足歩行の爬虫類がどうしてこんなに話題になっているのか。ふと不思議に思い、僕なりに考えてみた。


ワニ君誕生。

僕が初めてワニ君に出会ったのはリツイートで回ってきた時だ。この日は僕の誕生日でもありよく覚えている。「きくちゆうき、あの気持ち悪い絵柄(誉めている)の人の漫画か・・・」と思った。
初投稿は上裸でシーパンをはいているようなワニがただテレビを見て笑っている、およそ内容と呼べるものが皆無な四コマだった。しかし笑顔を見せている四コマ目のワニのすぐ下には「残り99日の文字」が。
確かに、この一見幸せそうなワニのキャラクターに何が起こって死んでしまうのか気になる。
しかし、このなにも変哲の無い四コマのワニなんて1時間後には覚えていないだろうと思い、僕はいいね!すら押さずにリツイートで回ってきたワニをタイムラインの大海原へ流した。


2週間後

僕はもうワニ君の事なんてすっかり忘れ、修論の執筆に勤しみ、クリスマスは家族と過ごして年始の初詣はどうするかという計画を立てていた師走の終わりだった。
研究室を離れた束の間の休息、スマホの電源を付けた瞬間息をするようにtwitterのアプリを起動。するとワニ君のリツイートが。
「なんかワニ君に意中の相手がおる、しかも同じバイト先、そんで断られている。1.5万RT!」
ただテレビを見ていたワニに進展が。僕はきくちゆうきのtwitterをさかのぼって話を追った。こいつ先日までまだテレビを見ていただけじゃんか。そんでその前はラーメン食って生活しているだけ。なんだそういうことか、失恋して自殺でもするんだろ。僕はそう思った。


2020年 Happy New Year

まただ。大晦日にワニ君のリツイートが回ってきて僕はワニ君と同時に除夜の鐘をきいた。友人らしきネズミに告白の激励を受けている。まぁどうせうまくいかずに死ぬんだせいぜい頑張れアリゲーター君。よくtwitterにあがる恋愛四コマだし、と気にも留めなかった。
翌日、僕は家族と初詣に行った。僕は中吉でワニ君は大吉だった。


50日目

1月30日。この日僕は三徹ほどして半死状態で修論を提出した。目の下にできた隈はワタミグループよりも黒く、虚ろになりながら帰宅してtwitterを開くとワニ君が。タイトルは「50日目」。このワニも死まで半分を迎えたのか、てかバイト始めとる。
疲れていたせいかこの一コマに僕はワニ君にえらく感動した。自分なんてあと2ヶ月で社会人になるからバイトなんてしたところとて、と思っているのにこのワニは残り50日の命のためにバイト始めるなんて・・・、死ぬなんて思ってもいないのだろうな。たかがワニに感傷的になってしまった。


65日目

2月11日。このころから大学のヨッ友以下の存在のワニ君が意識的に気になり始めた。きっかけは彼女の一言だった。この日僕は家で彼女とご飯を食べていた。「あ、7時だ。ワニ君どうなったかな~」。ご飯を食べ終わったころに彼女はそうぼやき、ワクワクしながらtwitterを開いてワニ君を見ていた。僕は驚きを隠せなかった。まず彼女がワニ君を追っていたこと、それよりも毎日7時に投稿していることを僕はこの日初めて知った。1日目の初投稿は10:39だったがそれ以降はこの人はきっかり7時に投稿している。
僕は彼女に聞いた「ワニ君知ってるの?」
彼女「知ってるよ~、今バイト先の先輩に告白するか頑張っているところだよ」
俺「前から見てるんだ」
彼女「まあぼちぼちね、友達のネズミ君とモグラ君に励ましてもらってて、でも内容よりコメントとか読むの面白いよ」

物語の状況を把握してしかもコメントまで読んでいる・・・!!知らなかった。ただテレビを見ていたワニにネズミとモグラの友達がいたことそして彼女がそれを追っていたこと。そしてあの日からもう2ヶ月が過ぎていたこと。
このころからワニ君に不穏な空気が漂い始め、僕は100日後に死ぬワニシリーズで初めていいね!を押した。


そして今日まで

僕は65日以降ワニ君が気になっていた。逐一確認するほどではないが19時~20時頃なるとワニ君どうなったかな、と思うようになってしまった。僕は普段テレビを全く見ない人なのだがいつのまにかワニ君はネットのサザエさんのような19時を教えてくれる存在に僕の中でなっていた。ワニ君や友人のネズミ君がかける一言一言に、大丈夫かな、笑顔で良かった、とほっこりしている。他人にあまり干渉しない自分がいつのまにか名も知らぬワニ一匹に同情しているではないか。


ワニ君はいったい何者何か?

 ここまで僕を気にさせるワニはいったい何者なのか、不思議で仕方なくなってきた。結局ワニ君はバイト先の先輩と仲良くなりデートまでしている。あれ?こいつ死ぬ前に恋愛成就しとるやん。なんなら欲しかった雲の布団までゲットして、ますます死因が気になってきた。
 良い友達に囲まれ、意中の先輩と懇ろになり、欲しいものも手に入れて、ゲーム大会で優勝する夢を持ったワニはなぜ死んでしまうのか、気になって仕方ない。というよりもこんな素朴な四コマにいつの間にか引き込まれている自分が不思議でたまらない。そもそもワニ君の死に意味なんてあるのか?コメント欄には面白い意見や考察が寄せられているが、意味のある死、いやこの場合目的ある死なんてあるのか。


 考えたみた結果引き込まれる理由はワニ君は自分が死ぬことを知らないことだと思う。よくある医療ドラマでは患者が余命宣告をされ、自分の生き方を考え直すという設定のもの。しかしワニ君の場合はどうだろうか?第三者である我々がワニ君の余命を知り、一方本人はのうのうと生きているのを傍観している。他人事で応援されるようなことをしているわけでもないのにワニ君は1万以上のコメントをもらっている。死は誰にとっても突然であり、避けることのできない出来事であるが故に、余命を確認できる人知を超えた力を手に入れた我々はたとえ上半身裸のワニ君でさえ救いたいと思うようになったということなのか。いつからTwitterは他人の幸せを素直に望むようなプラットフォームになったんだ。


僕らは「ワニ君に幸せになってほしい」、「ネズミ君救ってやれ!」、「ワニ子さんを悲しませないで」なんてコメントしている。友達、恋人、バイト、夢。すべてを持ったワニ君は今幸せの真っただ中ではないのか。幸せは瞬間的なものではなく継続されるべきものだとワニ君は僕らに教えてくれているような気は僕はする。現代を生きている若者は大きな夢や野望がないと上の世代に言われるが、ぼくらゆとり世代はワニ君みたいな素朴で小さいけれど幸せな日常を継続的にすごしたいだけなのかもしれない、僕はいつしかワニ君に自分を投影してた。




死の真意はわからないがあと一週間楽しみである。

ワニ君死なないでくれ。

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