大学院はなぜ行くのか?【後編】

さて、大学では考え方の違いという名の「教養」を学ぶのに最適な場所と前回は書いた、なら大学院は何をするのか?

これも僕個人の経験から考えることなので色々な意見はあると思うが「実践」だと思う。僕自身は理系なので文系の学生まで当てはまるかは定かではない。もしかしたらかなり理系に偏った内容かもしれないのでご了承を。


なにをするのか?

まず初めに多くの人は大学院を「専門性」を身に付ける場所だと考えていると思う。さてこの「専門性」という言葉なのだが、かみ砕いていくと3つの要素が含まれていると思う。


1.その分野の知識が豊富である
2.その分野で経験がある
3.新しいことを発見・創造する

がニュアンスとして含まれている気がする。僕が考える、大学院での「専門性」は2番に当たるものだと思う。大学では色々な分野に触れて興味がわけばその分野に進めばいい、と書いたがその進む先が大学院であり、座学の次はやはり実践、大学時代やってたことをさらにレベルアップさせる場だと僕は思っている。では何をするのかというと

1.大学時代培った「比較」する力をさらに高める
2.実際に自分でやってみる


1.「比較」について

いろんなジャンルを雑食していた大学時代から、なんとなくこれが良い、とかなんかこれが面白い!をもっとしっかりした数字や資料で比較していき、説得力を強めていく。さらにこの研究が必要されている背景や研究内容のどこがユニークなのかを論理的に考えていく。これは簡単そうに見えるが実は難しい。なぜかというと比較をするわけだからいくつもの分野や理論を跨ぐ必要がある。そのため一筋縄では成せないし、そもそもこの比較は正しいのか?なんて根本的なことも大学院では厳密に考えると感じた。大学では過去のことを、修士課程(大学院前期)では現状を、そして博士課程(大学院後期)では未来を考えるのかなと感じました。比較検討することで「ではいまはどうなのか?」を考える訓練になったと思っています。

 もうひとつ、より深く考えたいテーマを与えらるのではなく自分で探してこないといけない、というのも個人的には大事なステップでした。よく考えたら今までの人生で「コレやりたい!」なんてことを自分で考えたことあるだろうか?僕自身なんだかんだなかった気がする。習い事は親にいわれて始めたし、大学もとりあえず偏差値が高いところから受けていく、趣味でさえなんとなく部活でやってたとか、なんか友達が進めてきたからやってみたとか、、、
そう考えると自分で探すってかなり難しくないですか?めっちゃ簡単に言われるけど。


2.実際に自分でやってみる

自転車を例にとって考えてみたい。

【大学】

教授「自転車はタイヤとフレームとハンドルとチェーンでできています。」
学生「へー」
教授「良い自転車は軽くてスイスイ進むものです。」
学生「ほー」
~終わり~

【大学院】


教授「自転車って知ってますか?」
学生「なんか色んなパーツがあって軽いといいやつでしょ?」
教授「おk、んじゃ作ってみようか」
学生「ふぁっ!?」
教授「どうせ作るなら、今までにないすごいのを作ってくれよな」
学生「オウフ・・・」
~実際やってみた~


大雑把だけどこんな感じだと思う。けどここがかなりきついと僕は感じた。なぜなら実際作るとなると教えてくれなかった様々な疑問が浮かんでくるからだ。
例えば、
・そもそもタイヤとかチェーンってどっから入手するんだ?
・てかサイズはどうしよう
・てかお金ない
・てか組み立てるのに工具必要じゃん
・てかどんな工具必要なんだ
・てかこの工具どうやって使うんだ
・てかお金ない
・てかお金ない

みたいに無限に考えることが出てきてその都度勉強していかないといけないので学ぶのが苦手だと死にます。これを楽しいと思えれば院進は向いているのではないでしょうか。

ここで大事なのは「実際にやる事」と最初に書いたが、このように実際に作ってみるだけでかなりの経験と勉強になる。そして修士は2年しかない。こんなことやっているうちにあっという間に卒業です。
なので「専門性」の1番、3番なんてやってる暇ないです。修士で研究背景をしっかり理解して自分の研究を最後まで遂行できれば御の字。なので大学院に行く目的が「専門的な知識」を身に付けて卒業してからに有利!と考えるのは違うと思います。
やはり「興味持ったものの実戦経験がある」というのが強みなので、すばらしい結果やプロ並みの知識はここでは二の次なのではないかと感じました。知識なんて、あくまで他と比べてちょろっと知ってる程度大丈夫。何かを最後まで組み立てる考え方を、修士は実践を通して訓練する場なのではないでしょうか。


修士の強み

最後に修士を通して得ることのできる強みです。大学を終えてから振り返ると大学生活では様々なものに触れて自分の視野を広げることができたと思っています。そして修士を終えてからは先ほど書いた比較と実践を通して、物事の全体像と自分の立ち位置を考えられるようになったと思っています。固く言えば客観的に事象を見て、自分が何をするべきか考える能力を鍛えられたかなと。少ない情報で勝手に想像することなく、見たいものだけを見る訳でもなく。それで全体像を掴むことができれば自分の立ち位置がどこにあるのかが分かり、自分の立ち位置が分かると自分の進むべき道が見えてくるものだなと感じました。

ちなみに「専門性」の1番、3番は博士コースになるのではないでしょうか。
これもさらに厳しい道だと僕は思いましたが、教授やPDをみるとやはり何にも代えがたいやりがいと達成感はあるようです。

以上です。




これは余談なのですが東大は修士の学生はみんな博士コースに進むと、教授に勝手に思われているので修士課程なのに博士まがいの質疑応答が行われるので良い言い方すればレベルが高いですが、とてもきついです。僕みたいなロンダ修士卒業ぽいぽいうんち学生は死にかけました。



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