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noteやブログの「コメント機能」に対する、ちょっとした違和感

今日は、ほとんどの人が気にも留めない、すごく細かい話をします。

noteやブログなどの「コメント機能」について。

ブログ系のサービスには大抵、コメント機能が付いています。感想などを伝えるための、定番のコミュニケーション機能ですね。

この機能に、少し違和感があるんです。どこに対してかというと、「ごく一部の読者の言葉が、残り続けること」に。ポジティブ/ネガティブ問わず。

※コメント機能を否定しているのではなく、とても大事な機能だと思っています。ただ、その在り方に対する違和感の話。



読者の大半は、記事を読んでもコメントしません。「良い記事だなー」と思っても、「いいね」するか、せいぜいツイートでシェアするぐらい。

ポジティブ/ネガティブに関わらず、わざわざコメントを残す人なんて、圧倒的に少数派。いいね100件でもコメント0件みたいな記事は普通にある。

そんなごく一部の読者の言葉が、「コメント(1)」みたいに記事の一部として残り続けることが、どこか不自然な感じがするんですよね。

それが悪いとは全然思ってなくて、ただ、ズレのようなものを感じる。美術館にある作品の横に、よく見たら感想のメモが置いてある…ような感覚。

コメントを書くのは、記事の作者に伝えるため。他の誰かに見せたいわけじゃない。

作者だって、コメントは嬉しいとはいえ、見に来た全員に見せたいわけじゃないでしょう。(もちろん人にも寄りますが)

「コメントを読んで、他の読者の感想を参考にしたい」という考え方もあるかもしれませんが、量的には参考にするにも微妙です。



自分は時々、他の方のnoteに(ポジティブな)コメントをしているのですが、書いた言葉が記事に残り続けると思うと、少し気が引けるんですよね。逆に迷惑かなーとか考えちゃって。

ポジティブなコメントをもらって嫌がる人は、あまり見かけません。驚くほど喜びの返信を返してくださることも、結構あります。

ただそれが、記事にずっと残るのがベストなのか?と考えると、やや疑問です。

公開されていることで、ネガティブなコメントは減るはずなので、良い部分もあるのでしょうけど。

それでも、残らずにサラッと流れていくやりとりができれば、もっとコミュニケーションが活発になるかもなぁ、とか感じたんですよね。

現実の雑談のように、ログに残らないから、気軽に思いを伝えられることはあると思うんです。残したい人だけ後から見えるようにするのも、ありなのかなと。

他のSNSで語ればええやん…って感じかもですが、そのメディア内で完結できたら素敵かなーと思います。



…なんていう、細かいことを書いてみました。でも、こういう「当たり前」に対する違和感は、意外と大切な気がします。


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