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曽根崎心中で有名な露天神社(お初天神)に行ってきた

大阪駅近くの露天神社に詣でて参りました。

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曽根崎町はそれ自体が歴史深く、相応にカオスな区画なので、地域のバックボーン含めて調べたものを紹介したいと思います。

公式サイト:

http://www.tuyutenjin.com/

■歴史

古代~中世にかけて、曽根崎は淀川流域に浮かぶ小島の一つで、「曽根洲」という名で呼ばれていたそうです。そこに「住吉須牟地曽根ノ神」を祀る祠があり、これが露天神社の始まりとされています。

古地図

このころの大坂では天皇即位の際、「八十島祭」が行われていました。大阪湾の島々を神に見立てて儀式を行い、天皇の身に招魂することで神性を高めるというものでしたが、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀る曽根洲もこの儀礼に参加していたと言われています。

参照:
http://sonezaki-area.com/history.html
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ru11/ru11_00860/index.html

■露天神社の由来

「ろてん」と読みたくなりますが、「つゆのてん」が公称のようです。

菅原道真が太宰府へ左遷される途中、この地にに立ち寄って「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」という歌を詠んだことにちなんで、「露天神社」と称するようになったと伝えられています。

他に「雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たため」というものも。

前者は「露」に関係するが「天」に絡まず、後者は雨から「」に関連付けられるが、水滴を意味する「」を持ってきてるのが謎。雨露を意識してる?(井戸から水がわいたから名付けたって・・・( ,,`・ω・´)ンンン?)

とにかく露と天で露天神社です。

■曽根崎心中

時は下って江戸時代、醤油問屋の手代と遊女がこの地で心中する事件が起きました。この事件に着想を得て創作されたのが、近松門左衛門の「曽根崎心中」です。

あらすじは、強引に組まされた縁談の結納金を親友に騙し取られて、身の潔白のため馴染みの遊女と来世の愛を誓いつつ心中します。親友が遊女に惚れてるので、当てつけという側面も無きにしも非ず(多分そう部分的にそう)

この時心中した遊女の名が「おはつ(本名:妙)」といい、以降「”お初”天神」とも呼ばれるようになりました。

アキネイター

・「江戸時代の人物?」の後に、ユーチューバーか聞いてくるアキネイター

〇神社の見どころ

露天神社はオフィスとアーケードと飲み屋街が交錯する場所にあります。

左を見れば高層ビル、右を観れば古い看板が立ち並ぶ裏路地に通じ、本殿の脇を抜ければ直接アーケード商店街へと入れます。

都市機能を分けずにゴッチャ煮したカオス地帯。

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・ビルの見える神社の町

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・裏路地への入り口

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・猫はいます

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・トンネルをくぐれば、カオスの町でした(千尋)

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柱石には第二次世界大戦中の弾痕が生々しく残ります。

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・右近の橘、左近の桜。


以上、ご覧いただきありがとうございました。


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