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「何も困ってない時代」の企画のあり方

企画に慣れてない人

商品企画やサービス企画でもいいのですが、打ち合わせをしている際にこの人は「企画することに慣れていないんだろうな」って感じることがあります。

「論理的な破綻」だったり、「細部にこだわること」だったり、「目的性が不明確」だったり、いろいろなパターンはありますが、その一つに「機能」にフォーカスしすぎるということがあります。

素晴らしい機能

例えば「全く新しい情報のブラウジング方法」といった形で、その詳細のデザインや実装方法がの話ばかりが進むというケースがそれです。デザインのトーンやJavascriptのフレームワークとかより細部の検討に入り込んでしまいます。

もしかしたらとても素晴らしい機能なのかもしれませんが、その機能の話をする前に、それが「どんな意味があるのか」を少し議論をしましょうという提案です。


何も困っていない時代

話は変わるのですが、今、現在「薄型テレビ」 に関して、何か困っている人・何か不満がある人って少ないのではないでしょうか。

もちろん「テレビが見えない!壊れてる!」っていう人はとても困っていると思うのですが、普通にテレビを見ている人にとっては「薄型テレビ」に困ってる・不満があるというのは珍しい存在のように思います。

課題というのは、簡単にいえば「困っている」という状況です。

「薄型テレビに困っていることがない」ということは、つまり「薄型テレビにはもう課題がない。」ということです。(門外漢から見れば、という注釈付きではありますが。)


あるいは昔から「課題は無かった」

現代において、多くのプロダクトに「明確な課題」が少なくなってきています。

多くのプロダクトが「困ったことを全て解決し続けた」結果として 今があります。

私たちは、目立った課題なき時代を生きていて、明確な課題がないなかでサービスを企画しないといけません。

「馬車を使っていた人は自動車を想像できなかった」というフォードの話から考えるならば、いつの時代も「利用者が認識できる、明確な課題は無かったのではないか」ということもできるかもしれません。

新しいプロダクトや概念ができて、生まれたばかりの荒々しい概念や製品が「成熟するプロセス」においてだけ課題が明確になるという形です。

発見・発明が行われ「成熟する過程」だけに課題が明確であるならば、企画マンは「課題ない状況」が普通として企画を立てる必要があるのかもしれません。


機能から意味へ

テレビに困っていない私に、「4Kが8Kになって映像が綺麗になります。」という説明が全く響かないように、困っていない人に対して「機能や性能」をアピールをしても意味がありません。

課題なき「機能」といってもいいかもしれません。

この時代においては、私たちは「機能」を企画するのではなく、「ビジョン」や「意味」を企画するという意識が必要です。

この変化によって、利用者がどのような印象を得るのか、その機能は利用者にとってどのような意味があって、それは利用者が価値に感じるものなのか。

単なる機能の良し悪しではなく、そのプロダクトが纏う新しい「意味」や「目的」を企画する。そういった心構えが大事ではないでしょうか。

サポートいただいたら、それで美味しい珈琲を飲みます。 ありがとうございます。