映画_沈没家族_から見る共同暮らしのコツ

映画「沈没家族」から考える共同暮らしのコツ

映画「沈没家族」は共同保育がテーマになっている。
しかし、共同保育以外にも共同の暮らし等、いろいろな観点の問いの生まれてくる映画でもある。

この映画「沈没家族」を観賞し、トークを聞いた中で、
他人と一緒に創る共同生活という点での考えることがあった。
他人と一緒に創る共同生活とは、一般的なシェアハウスのように、
決められた管理者がいて、一定のルールの上で生活している環境では無く、
自立的に生活を創っている環境のことを指すと考えている。
また、広義においては、夫婦も元々他人通しが共同生活を創るという点で含まれると考えている。

映画「沈没家族」とは

1995年、シングルマザーだった母・加納穂子(当時23歳)が、加納土監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という加納穂子の考えのもと集まったのは独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほど。毎月の会議で担当日を決めて、東京・東中野のアパートでの共同保育が始まった。母・穂子が専門学校やその後の仕事で土の面倒をみる時間が取れないときに、当番制で土の面倒をみていた。
 「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名。
(http://www.chinbotsu.com/ より転載)

加納監督が
この映画を観ると、みんな家族のことを語りたくなるんですよ
と話されるように、
何度観ても、その時々の問いが出てきて、考えさせられる。

家族とは、子育てとは、暮らしとは、パートナーとは、仲間とは...。
そして、自分の家族のことを考え、語りたくなる。

各地で自主上映をやっているので、どうぞ、ご覧ください。

共同子育ての空間

映画「沈没家族」における共同保育には、
沈没ハウス前の、チラシ募集で始めた最初の共同保育と、
沈没ハウスとして共同生活をしながら共同保育をした2つの面がある。

その共同保育の場でもあり、共同の暮らしの場でもある沈没ハウスの中で、
複数の親子どおし、そして保育人達は、
どうやってお互いの関係を創っていったのか、
映画を観ながら考えてみた。

沈没ハウスに出入りしていた保育人達は、
当初からの共同保育に関わっている人、
近所の知り合い、保育人の友人等、
それぞれは何らかの繋がりがある人の集まりで、
だれも知らないと言う人は居なかった。

1990年代半ばインターネットもまだまだ普及していない時期。
誰も知らない人が参加すると言うことは現在ほど無いんだろう。

そんな関係の人々で創られた沈没家族を支えていた一つは、
毎月開かれていた育児ミーティングの存在だと考えている。

毎月一回全員が集まって子育てミーティングをしていたことや、
育児ノートを書いて情報共有していたことは、
映画の中でも紹介されている通り。
余談だが、本格カレーのカレーパーティ-が良くあったらしい。

コレクティブハウスでも毎月のミーティングは行われているし、
日々のコモンミールで食事を共有しているのは同じかな。

この育児ミーティングの中では
育児のローテーションの話をされていたようだが、
他にも、育児に関わること、日々起こっていること、
いろいろな雑談がされていたと考える。

コミュニティー活動でも、
雑談8割ぐらいの方がいい話し合いができることが多い。

そういう定期的なミーティングや一緒に食事をとる時間は
お互いのことを知るキッカケにもあるし、
リラックスした空気のなかで緊張せずに話せることにもなり、
関係づくりの大事な要素だと一つと言える。

共同の暮らしを活かした親子関係づくり

親子というのは、黙っていても影響が強くなる関係。

ともすれば過干渉になるし、過干渉されると反発もしたくなる。
特に親と子が一人ずつという関係の中では、
どうしても頼る存在となり、
過干渉にもなりがちで逃げ場が無くなってしまう。

元々の共同子育ての住まいから、沈没ハウスに変わるとき、
シングルマザーだけが集まるシェアハウスにはしなかったとのこと。

それは、シングルマザーだけの住居では、お互い助けられてしまい、
親子という影響の強い形が形成されてしまうから。

親子という関係じゃない人がいることで、
その影響を軽減する関係性を創ることを意図していたらしい。

この話にはとても驚いた。
親が子供を子供としてみないようにするということは、
意識している人はいらっしゃる人は多いかと思う。
しかし、それを実現するために、
親子関係の無い人も住む環境を創るというのは、
本当に驚いた発想だった。

そして、その関係は日常の中で当たり前に行われていたようだ。

例えば、子供である加納監督がカセットテープから磁気テープを抜いてしまったとき、
「テープが聴けなくなるから困るよね、どうして欲しい?」
との問いかけに、
「どうすればよいと思う?」という形で返していたそうだ。

親としての自分が決定してしまうことの
子供、そして保育人に対する影響を懸念していたと考える。

また、このエピソード以外にも、
親子という強い関係を減らすために、
さまさまな取り組みがされていたと思われる。

そのような関係だからかは不明だが、
保育人たちも、それぞれの関わり方で子供たちと接していた。

一緒に遊んだ人も居れば、適度な関わりだった人も。

映画の中で出てきた一人の保育人
「子育ての実験をさせてもらっていた」と話していた。

こうするという絶対的な指針が無いからこそ、
それぞれが、様々な関わり方を試していた様子がうかがえる。

そして、穂子さんが親の影響力について考えていたことは、
こちらのインタビュー記事からも読むことができる。

すべてのパーツが揃った状態、父と母と子がいて、「コレが家族です」っていう状況ですね。家族のパーツが揃ってしまうと、自分も無意識にパーツとしての役割を果たそうとしてしまう。内へ内へと向かう力が働いてしまうんですよ。
たとえば何か「しんどい」ことが起こったり、トラブルが生じた時に、すべてを「家庭内」で解決しようと考えてしまうことがある。「お母さんなんだから、しっかりしなきゃ」みたいな感じですね。私も例外じゃないだろうなという危機感が、家族だけに閉じずに「共同保育」をしようと思い立った理由です。
子どもに対する自分の影響力が大きくなりすぎることが怖かった。

共同で暮らしていたからこそ、
その暮らしが有意義になるような親子の関係性を創っていたようだ。

共同の暮らしは危険なのか?

この沈没家族の話等、
他人と一緒の暮らしは危険なんじゃないかいう心配の声があがる。

そういう心配は、沈没家族の中でも話されたいたそうだ。

その対策の一つとして、
子供と大人が一対一にならないよう
大人が複数人と言う状況をつくっていたとのこと。

初めて保育に参加した不慣れな人が困らないようにとの配慮でもあるが、
大人が複数人居ることで安心できる状況をつくっていた。

子供の立場としても、
複数の大人がいたことで、遊び相手を選択することができた。

子供は、遊んでくれる人には近づくけど、
あまり遊ばない人や、酒臭い人には近づかないとか、
近づく人や状況で選んでいる。

これって、コレクティブハウスも同じく、
居住者だから仲良くするという一辺倒では無く、
人によって距離感を変える関わり方を子供は選ぶ。

でも、この関わり語って大人も子供も同じようになっていることではないかな。

そんな訳で、大人が複数いることは、良い影響となっていたようだ。

他にも、何かある前に気づくようにしていたという点も話されていた。

ちゃんと調べたわけでは無いけど、
近しい関係での犯罪は、突発的なものよりも、
積み重なってのことが多いのではないだろうか。

そういう積み重なっていく兆候があれば、
周りに居る人は少なからず気づくってのはあると思う。

何かあったら困るから、切り離すということは良くあること。

でも、そういうことがわかる関係づくりも
とても大事な予防だと気づかされた。

共同で暮らすための関係創り

映画やトークをお聞いて「沈没家族」としての暮らしは、
毎月の育児ミーティングや食事、育児ノート含め、
ちょっとしたことでも話をすることができる
関係創りの上で成り立っていると感じた。

そして、沈没家族もそうだし、コレクティブハウスもそうだと思う点は、
共同で暮らすことを前提として、暮らしを創っていたという点。
これは、既存のマンション等とは大きく異なると考える。

共同で暮らすことを意識しているからこそ、
自分の暮らしを大事にしているし、
相手の生活も大事にする関係性ができあがっていく。

そして、

他人通しが共同で生活を創る関係と言うことでは、
夫婦という存在も同じ事だと考える。

それぞれが違う環境で暮らしてきたなかで、
一緒に暮らしを創ろうとしている。

毎日とは言わなくても、月に一回でも、
気になっていることを話したり、
一緒にご飯を食べたりする時間の共有は
家族という関係を創る上で、
とても良いことではないでしょうか。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?