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【読書の秋2021】『奥の枝道 其の二 大阪編 レキジョークル』

『歴女』という言葉はいつから使われるようになったのでしょうか。
私の記憶が確かなら(鹿賀 丈史風)、昭和にはその言葉はなく、平成の時代に世に出たはずです。
「平成新語」という本によると、こう書かれていました。

意味:歴史好き、歴史ファンの女性のこと。「歴史好き女性」の略。
出処:この言葉の起こりは、平成17年7月に発売されたplaystation向けゲームソフト「戦国BASARA」からと言われる。(略)
歴女が増え始めたのは『三国志演義』を題材にした中国映画『レッドクリフ』が大ヒットした平成二十年11月ごろから。
この映画の公開記念イベントに参加した歴史好きのアイドル・美甘子が「歴ドル」と呼ばれたことから、一般の歴史好き女性に対して「歴女」という言い方が生まれたようである。
平成21年(略)NHK大河ドラマ『天地人』が放送されると、ブームは加速、歴女という言葉が一気に広まった。

この見解が正しいかどうかはわかりませんが、時期的には平成21年(2009年)頃から『歴女』という言葉が一般的に使われだしているようです。

『歴女たちの気ままな紀行記録 第2弾!」と表紙に書かれている本書は、松尾芭蕉の最後の句「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」から始まります。

旅の楽しみはひとつではなくじつにさまざまであるように、歴史紀行の楽しみもまたひとつではないと言われているかのように感じます。

本書は大阪編となっており、前半は大阪城を中心として、実に多岐にわたる歴史の考察が興味深く書かれています。

「極楽橋」、「大阪図屏風」、「刻印石広場」、豊臣秀頼、石田三成、淀君、そして時空を超えて徳川14代・15代将軍について。

ひとつの城からここまで思いをはせることができるのは大阪城のもつ歴史の重みと同時に、著者である千世さんの歴史知識の深さと、かってその時代に生きていた人々への思いもあるのでしょう。

そして堺での紀行では千利休と与謝野晶子に、上町台地紀行では真田丸跡地を巡りながらの紀行文は、教科書のような歴史的事実の列挙ではなく、自らが感じ、体験し、考えたことを、写真も交えて、読者に伝えてくれます。

羽曳野での埴輪つくりや八尾でのしおんじ山古墳への紀行。
そして、大阪企業ミュージアムでの大阪の偉人たちとの邂逅、新世界・ジャンジャン横丁へと大阪の歴史紀行は痛快に進んでいきます。

大阪もまた奈良や京都同様、歴史が積み重ねられた地であることを教えてくれるとともに、歴史紀行の楽しみ方は(グルメも含め)、決してひとつではないというメッセージをボクは強く感じました。

まだまだ大阪をはじめ畿内にはかけめぐる場所が無数にあり、レキジョークルのみなさんの紀行は続いていくことでしょう。

歴女とは、歴史紀行を通して、生きた人々に思いを馳せ、グルメを味わい、映える写真に思い出を残し、人生を楽しむ女性たちのことなのかもしれません。

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