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「うわさのズッコケ株式会社」が、私の知らない父の姿を教えてくれた

故人である私の父は、生前、小さな会社の社長をしていた。

昭和の初めの方の生まれの父は、北海道の片田舎で、たくさんいるきょうだいの内の長男として、貧乏だった一家を支える立場にあった。

そんな父はきっと、一代で財をなすことを夢見たのに違いない。

業種は伏せる。でもきっと父は若い頃から車が好きだったのだろうな―とにかくそんな感じの会社を、父は立ち上げたのだ。

そんな父の会社は「株式会社」の形態をとっていた。

私は「株式会社」がどんな仕組みなのかも知らず、ただただ父の会社の社名の頭につく(株)の文字を、まるで飾りのように思いながら育った。

父の会社は、私が生まれる前はそこそこ儲かっていたらしい。母はその頃、仕立て屋さんで上等な布の洋服をあつらえることも珍しくなかったそうだ。

しかし、私が中学に上がる頃には、父の会社はどんどんとくたびれていった。社員に給料を支払うのにも苦労し、銀行で無い所からの借金もかさんだ。私はそれを子どもながらに知っていた。母がよく愚痴っていたから、それが理由のひとつだろう。

ある時母は、私の進学費用にと積み立てていた学資ローンのお金を、父が、会社の為にすべて使ってしまったことを、ぽろりと私に話して聞かせた。

初めにそれを聞いた時には、私は「ふーん」と大して気にせず終わった気がする。

けれども、だんだん—そう、高校受験の直前に父が胃癌で亡くなってしまい、それからはますます貧乏な母子家庭となって、それでもどうにか送っていた高校生活のさなか、ふと、自分には満足に進学先を選ぶだけの資金が無いことを目の当たりにさせられて…私は、ふつふつと父への怒りを抱くようになった。

「パパは、私よりも会社の方が大切だったの?」

私にはそんな、怒りを孕んだ疑問が湧いた。

思えば、幼稚園や小学校の運動会や発表会にも、父はあまり来てはくれなかった。日曜日も関係なく働く父の代わりに、札幌に住むおじやおばが観覧席を埋めてくれた。でも、私が本当に自分の勇姿を見て欲しかったのは、おじやおばではなく、他の誰でもない、父と母であった。そういうわがままを言ってもどうにもならないことを、幼かった私は、幼かったくせに、だんだんと学んでいった。

そうして長らく押し殺していた寂しさが、怒りを孕んだことで力を増してしまった時には、もう父はいなかった。私よりも会社を選んだように見えた父へ、私は本音をぶつけることもできず、もてあました感情を私は、やっぱり心の奥へしまい込むしかなかったのだ。

私は、父の会社が嫌いだった。

もしも私のパパが世間のいうところの「サラリーマン」だったなら、私はこんなに寂しく、こんなに惨めな思いをせずに済んだのだろうか—何度となく私は、そんなタラレバを考えて、ますます苦しくなった。

ポプラ社 こどもの本編集部さんの記事を読んで、その課題図書から「うわさのズッコケ株式会社」を選んで読書感想文を書こうと思った理由は、単純なものだった。kindleにあったから、だ。

そんな、いかにも現代!な理由で選んだこの作品は、少年三人が商売をする—それも「株式会社」という形をとって、という、私の出逢ったことの無い、珍しいストーリーだった。商売をするところまでは、探せば見つかるかもしれない。けれども小学生が株式会社のていで商売をするというのは、少なくとも児童書というジャンルの中ではきっと、なかなか無いものなのではないか。

「ズッコケ三人組」こと主人公の少年三人組が、ひょんなことから釣り場でお弁当や飲み物を売る商売を始める。初めての販売がうまくいった彼らは、株式会社の形態をとることで更に、自分たちの商売を軌道に乗せようとするのだ。

これがまた、すごい。「ごっこ遊び」を超えるクオリティで、彼らは会社を発展させてゆく。その本格的なさまにはもう、唖然としてしまう。株券だ株主だ、配当金だ…一応は大人であるはずの私ですら知らなかった「株式会社」の世界を、彼らはどんどん展開してゆくのだ。

株券を作るのに年賀状用の印刷機(おそらく作品の書かれた1986年当時だと、家庭用の孔版印刷器…いわゆるプリント〇ッコが出回っていた頃だから、きっとそういうものだろう)を使う辺りは、なんとも小学生らしい。でも、逆に言えばその辺りくらいしか「小学生らしさ」が見当たらないのに、それでもストーリーはなぜだか非現実的に思えてこない。それがもう、作者の那須正幹先生の凄さなのだなあと感嘆するばかりだ。

もちろん、会社経営は現実と同じで常に順風満帆ではあらず、ズッコケ三人組もまた、訪れた経営難により苦しみを味わうこととなる。

しかし、舞い降りたチャンスを掴んで再び浮上してゆくそのさまもまた、現実に成功している経営者を思わせて、なんというか本当に、物語なのに、いい意味で生々しい—そんな風に思う。

クラスメイトをも巻き込んで、時には苦しみながらも、どんどんと発展してゆく彼らの株式会社の姿を見、私はふと、父のことを思った。

「うわさのズッコケ株式会社」を読むまで、株式会社がどの様に運営され、株主総会とはどんな会議であり、株主とはどんな人たちなのか—そんなことまでロクに知らなかった私は、ズッコケ三人組のおかげでやっと、ずっと知らずにいた父の「社長」としての姿を、垣間見ることができたような気がする。

父もまた、利益を出し、会社や社員を守り、株主の納得を得る為、血のにじむような努力を重ねていたことだろう。

そう、父の会社は、父だけのものでは無かった。もしも会社が傾けば、社員や株主、取引先…父の会社に関わるすべての人に、迷惑がかかってしまう。

だからこそ父は、たとえば私の運動会を蹴ってでも、仕事をせねばならなかったのだ。

父のかかえてきたものがどれだけ重く、どれだけ大きかったのか―私はきっと、それをちゃんと受け止めたくなかったのだと思う。

私は「寂しい」という気持ちを優先させた。あんなに幼かったのだし、それは仕方なかったと思う。同年代の子が当たり前に親に甘えられていた頃合いだ、逆に寂しがらない方が、子どもらしくなくて気味が悪い。

本来は天秤にかけることではない「会社」と「私」だったのに、私は寂しさを加速させて、父にとって「会社」と「私」のどちらが重いのか、勝手に判断し、そうして勝手に苦しんでいたのだ。

だから私は、自分の中で帳尻を合わせる為にも、父を悪者にした。

学資ローンのことだってきっと父は、取り返してチャラにするつもりだったに違いない。だって「一代で財をなす」のが目標だったであろう父だもの、私にだって本当は、好きな私立大にぽーん!と行かせるくらいのお金を、用意してくれるはずだったに、違いないのだ。

でも、私は寂しかった。全部父のせいにして、やり場のない怒りをぐつぐつと煮えたぎらせた。

そんな私に、株式会社をやっていくのがどれだけ大変で、どれだけの人に支えられていくことなのかを、ズッコケ三人組が、彼らの作った「HOYHOY商事株式会社」を通して、教えてくれたのだ。

もしも、私が子どもの頃、まさしく児童書を読む適齢期に「うわさのズッコケ株式会社」に出逢えていたら…私は、もっと父に優しくできたのだろうか?

私は、父のことをもっと、父の生きている内に、理解してあげたかったと思う。

物語の最後、株主総会の中で、株主の一人である陽子ちゃんが、ズッコケ三人組をねぎらうシーンがある。

彼女は「お金をかせぐって、たいへんなのよね。」という言葉を口にする。そんな風に三人組をねぎらい、気にかけてあげる彼女の様子に、私は正直、とても救われる思いだった。

陽子ちゃんは、私の代わりに父に言葉を掛けてくれた気がした。私の代わりに、陽子ちゃんは私の父をもねぎらってくれたような、そんな気持ちになった。

読んで、良かったと思う。

遅かったとは思う、思うけれど、それでも父のことを少しわかってあげられたから私は、やっぱり「うわさのズッコケ株式会社」を読んで、本当に良かったと思うのだ。




#読書の秋2020 #うわさのズッコケ株式会社

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