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「親育て」ってなに?

最近、こんな事件があったという。母親が幼い娘を置き去りにして男のところへ出掛けて、その間にその娘は餓死してしまった。そんな、痛ましい事件が。

ああ、マジか。こういう事件は、そうだ、あの頃にもあった。私が上京してきて間もない頃だ、同郷から来ていてたまたま東京で出逢った友達と励まし合いながら、いつもギリギリの生活をしていた頃。

そっちの事件はホストに逢いに行く為だったろうか、ともかくぐっちゃぐちゃな生活をしていた女が、幼い子供を置き去りにして餓死させたんだっけ。

その時も世間はめっためたにその女を叩いた。けれども私と件の友人は、どうしても世間様のようには彼女を叩く気にはなれなかった。

なんとなく調べてみれば、その彼女は複雑な家庭に生まれたらしく、特にその父親というのは、世の「娘」という立ち位置からは到底理解しがたい部分が強い、そんなおっさんらしかった。こんなん7割がたの「娘」が病むわ、と言いたくなる父親像が、ネットという場で暴露されていた。

先に言っておくけれど、私はけして「虐待」とか「育児放棄」を肯定するつもりは無い。失われた命のことを考えると、言葉にできない絶望を抱く。

ただ私は、世間が抱きがちな「虐待するなんてひどい!ならどうして子供なんか作るのかしら!」と言う「だけ」の意見には、疑問を呈したくなるのだ。それでどうして虐待を減らせると思う?と。

冒頭で話した新たな育児放棄からの餓死の事件だけれど、こないだ私は、この事件に関してのどこかの記事で「こういった母親に対して、社会全体での『親育て』の必要がある」という趣旨の、専門家かなんかの文章を読んだ。そして、違和感を持った。

その文章からだけでは、専門家の真意はすべては読み解けないのも事実だし、編集したメディア側がある程度端折っている可能性もある。けれどもその記事における「親育て」という言葉からはどことなく「この愚かな母親をまともな親に育て上げる必要がある」と言いたげな趣があった。私が取り違えているだけなら、専門家さんごめんなさい。

―それって、違わないか?育てなくてはいけないのは、彼女の「親」の部分だろうか?それ以前に、彼女はそもそも自身が「子供」としての自分を充分に育ててもらえずに来てしまったではないか?彼女の育てるべき部分とはまず、彼女自身の「子供」の部分なんじゃあないのか?

私は、子供が嫌いだった。鬱を発症した頃から、その気持ちが強くなった。

「それって、子供が嫌いなんじゃあなくて、ちゃんと躾をしないその親が嫌いなんじゃないの?」と知人に言われたこともある。多分それが正解。けれども、両親から無条件に愛情を与えられて満面の笑みを浮かべていられる、そういう幸せな子供を見ているのが本当に苦痛だった。それもまた事実だ。

私に転機を呼び起こしたのは、自閉症だった亡き兄のことをもっと理解してみたいという気持ちから何となく始めた、障がい児と放課後や長期休みを過ごす場所でのアルバイトだった。

契約上の秘密的なものがあるから多くは語らないけれど、その仕事で私は揺れ動く子供の気持ちに寄り添う必要があった。それは何というか「両親から無条件に愛情を与えられて満面の笑みを浮かべていられる、そういう幸せな子供」からは見出すことのできない、子供という存在の持つ裏面を垣間見るような、そんな心地を私に抱かせた。

その職場で私は、特に小学生組と一緒に過ごしている時間に関しては、彼らの母親代わりになることを求められていることに気付いた。言葉を選び、不躾に叱ることをせず、ひたすら心に寄り添い、いけないことはいけないと教え、できたことには大喜びで褒める。

そうしていると、気付くことがある。自分も両親にそうして欲しかった、と。もっと心に触れて欲しかった。何故私がこんな行動を起こしてしまうのか、一緒に悩んで考えて、時には一緒に泣いて欲しかった。

してくれたこともあっただろう、勿論。けれども私の親の世代というのは、産めよ増やせよの続編みたいな感覚にあったからか、今よりも育児に関して大雑把な部分が強かったと思う。私なんておばあちゃんのおっぱいを吸っていたらしいし…勿論、おばあちゃんから母乳は出てなかったろうけど。

おむつがどうとかそういうことじゃあ無い。子供のメンタルに対して、大人の向き合い方が今よりずっと雑だったと思う。あくまで割合の話であって、ちゃんと子供と向き合っていたご家庭だってあったに決まっている。でもそういうご家庭はきっと、今と比べるとうんと少なかったと思う。

そもそもスクールカウンセラーなんて言葉、私が高校の頃にやっと聞くようになった気がする。通信制の高校だって昔よりうんとあるし、今はネットを使って授業も受けられるようになってきているっぽいから(コロナ禍の影響が強いのが残念だけれど)、不登校を続けていた、けれども本当は授業を受けたかった子供にも、少しか希望の光が射しているかも知れない。

社会は変わってゆく、だから若い世代は特に、今までとは違う価値観で生きていける。

話を戻そう。そういった仕事をしていく中で、私は「子供って、可愛い」と思うようになっていった。時給にまったく見合わないくらいにしんどい、自分もメンタルをとことん削られる仕事だったけれど、子供たちと心を通わせられた時に感じるものは、本当に尊かった。自分の世代が彼らの未来を守らねばならない、とはっきり思うことができた。

私は前述の仕事を通して、疑似子育てを体験した。そして、自分の心と自分のやりたいことの為には、敢えて「子供を作らない」生き方を選択した。

(病んでる時と落ち着いてる時の発言の明度の差がなんていうか激しいな…。)

でも、何となく共感できることがある。相手の男がまず責任を取らないであろうことが判っていても、できてしまった子供を産むことにする、けれどもその後めちゃくちゃに病んで生きることがしんどくなってしまう、そういった女の子たちに関してだ。

正直、そういうコは今まで結構見てきた。たとえば小学校からの幼馴染にもいた。今その幼馴染は、子供を置いてどこへ行ったかわからない。ある日突然、まだ小学生の娘とまだまだ赤ちゃんの息子を置いて、どこかへ行ってしまったきりだ。

否、あくまで私の狭い見分の上での「共感」ですので、この記事をお読みいただいている中に「そんなんじゃねーよ!勝手に共感すんな!」とお思いの方がいらっしゃったらごめんなさい。私の考える上での話であって、勿論全部の人の総意ではないことをここで断っておきます。

さて、思うのだ。幼少期に抱えた寂しさというものは、なかなか解消されない。解消どころか、年齢の上での「大人」になってからの自分に多大なる影響を与える。父親不在の家庭に育つと年上の男性と付き合いがちになっちゃったりするのも、多分そういう影響のひとつなのだろう。

父親というのは時に家庭内で不遇な存在であるにも関わらず(年頃の女の子にウザがられたりね)、実際にはかなり影響力の強い存在だ。たとえば私は「里の秋」という童謡を聴くたび、泣いてしまう。著作権がアレなので歌詞は引用しないけれど、その曲で泣くたんびに私は、自分にとっては父の不在がどれだけつらいものであったのかを、改めて自覚させられる。

国の批判とかするつもりは無いけれど、長らく「両親が揃っていて健全な家庭」を理想として掲げすぎだったんだろうね、日本は。まあ両親揃っていて健全、というのは子供が育っていく上ではイージーモードに違いない。ただあまりにも、子育てに対する理想の押しつけが、随分と長い間、強すぎたとは思う。

核家族化への批判とか、今となっては「うるせーよ」って感じだ。口うるさい姑と同居していちいち子育てに口出しされる嫁さんの身にもなってみなさいよ、それで仮に嫁さんが病んじゃっても、核家族のスタイルは悪かい?

…話がずれてきた(゚∀゚)

とにかく「家族」という形は、難しい。簡単に歪む。というか理想の形なんて描くのが間違いなのかも知れない。どんな形であっても正解、と思えるようになれるのが、きっと一番いいんだろうけれど。

そういう中で、私には何となく伝わってくるものがある。さっきの「共感」の話だ。

子供ができる、というのは、相手の男との間に絆を作る。子供という存在を介して、他人同士だった男女が「家族」となるのだ。

菜摘ひかるさんもそんなようなことを著書で書いていらした記憶があるけれど(うろ覚えなんで違っていたらごめんなさい)、「結婚」は男女を「家族」にする。親と自分(と人によってはきょうだい)という「家族」とはまた別の「家族」という場所を、新たに自分に与えられるのだ。

それと同じことだ、「結婚」していない状況であっても「子供」ができたらば、そこで男女には絆が生まれる。絆、という言葉は現代では凄く清らかで誠実なものに感じるけれど、グーグルで「絆とは」って検索すると、

馬・犬・たか等をつなぎとめる綱。転じて、断とうにも断ち切れない人の結びつき。

…なんて出てくる。意外とドライな言葉だ。

きっと一部の「彼女ら」は、男と「家族」になることを求めたのだと思う。

すべての「彼女ら」がそうであったとは言わない。けれど、割合的には「家族」のあり方に歪みが生じる中で幼少期を過ごし、充分に「子供」として育ち切れなかった女の子たちが「彼女ら」には多いのではないかと思う。決めつけてごめんね。

ここで勘違いし易いのが、両親が揃っていたって、裕福な家庭にあったって、そういうのが「豊か」であるとはけして言えないということだ。そこにどんな歪みがあったとて、よその人間にはそうそう見抜けない。そういうのが放置されたまま、育ち切れない子供たちは大人の社会に放り込まれた。大人のふりをして、必死で生きていかねばならなかった。

だから「家族」に憧れた。両親が揃っていて、その愛情を無条件に受ける子供のいる家庭が、幸せな家族像であると夢見て(だってそういう世の中なんだもん)。だから絆を求めた。好きな人と絆で結ばれた「家族」になりたかった。自分も、世の中が理想というスクリーンに投影するテンプレ家族になりたかった。新しい「家族」を育めば、自分の抱く途方もない寂しさも消え失せるのだろうと、そう信じていた。

―それが私の勝手な妄想でないならば、私はそういう気持ちに「共感」する。私だって実際、子供を産んでテンプレ家族になりたいという気持ちを、子供嫌いだよ時代から既に持っていた。子供が嫌いだったはずなのに、だ。

それをすっかり手放したのが、バンド活動に本腰を入れ始めてから。「私は自力で自分という幼女を育てねば、」という気持ちになった。やりたいことをきっちりやって、好きなように、自分の中にいる幼女のままの自分を育ててやりたい。つまり、育ち切れていない「子供」の部分の自分の存在を自覚した私は、そんな自分を我が子の代わりに一生かけて育てていく決意を固めたのだ。

虐待は連鎖する、と説く人も居る。親から子へ、子からまたその子へ、と、続いていってしまうのだと。

もしも私が上記で論じた話がそれなりに当てはまっていたとして、あくまでそのケースをもとに考えるならば、「大人」の不在こそが、そういう負の連鎖に影響しているのだと思う。

そこには「大人」がいないのだ。生育歴のどこかに何かがあって、心が育ち切れずにきてしまった「子供」が、生まれてきた我が子を自分なりに必死で育てる。でもそこに「大人」がいないのだから、うまくいかないことが起きても、パートナーもいなかったりで余計に、乗り越える力が足りない。それでも必死に頑張って、それなのに世間から見たら「愚かな親だ」とののしられる。そうして助けをどこに呼んでいいかもわからず、時にそれは、お金や何やらを支払えば受け止めてくれる相手に「甘える」という形に置き換えられて、そのまま解決されずに、時に痛ましい悲劇が起こる。それをまた、昼間のワイドショーを真に受けているような層の世間様がめっためたに叩くだけ叩いて、けしてその出来事について解決への尽力をしない。本当の意味での救いの手を差し伸べようとしないのだ。

冒頭で紹介した事件に関しては、私も詳しく知らないから、あまり偉そうには言えない。けれどもその後に話した、父親の存在が物凄くいびつだったらしきあの女についての事件に関しては、私は、未だにくやしささえ感じることがある。

「産めよ増やせよ」の声が無責任にもまだまだ多い今の社会で「親育て」プロジェクトなんて始めたら、きっと「あなたはなってない」「そんなんじゃダメ」なんて言い出す年配の「元・父親母親」がうんと現れて、自分の子育て論を熱弁して、まーた歪みが悪化するんじゃあないのか、なんて、ひねた考えを私は抱く。

安易に「育てられないなら然るべき場所に預けてしまっていいよ」とは言えないけれど、それでも、虐待してしまうなら、育児放棄してしまうなら、逃がしてあげたい、「親」という役割から、少しだけでも。そして必要ならば何らかの形でもう一度、自分が育っていく過程をやり直させてあげたい。心理面からのアプローチとかも、きっといろいろあるだろうし。そういう勉強もいずれできたらいいなあ、私も。それはさすがにおこがましいか。

なんてことを、雨の続く毎日に考えていた。

今までにないくらい推敲に推敲を重ねて書いたけれど、もしもお気を悪くされる方がいらっしゃったら、本当にごめんなさい。ひとえに私の文章力の無さと、偏った思考によるものです。

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