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30のコミュニティに重なる男。武井浩三ものがたり

いま、武井浩三たけいこうぞうを伝えたい。

武井氏は、ホラクラシーやティール組織のキーワード、エッセンスが、ほとんど日本になかった2007年から、人間性を尊重することができる組織のりかたを探ってきました。その当時、ベンチャー企業の創業経営者という立場だった武井氏は、資本主義の力学を行使できる存在です。しかし、その力学を武井氏は嫌います。嫌うだけでなく、支配と真正面から向き合い、自らが手にする権力を分散させ、手放すことに挑んできました。これをもっとも体現してみせたのは、2019年9月です。それは、ベンチャー企業の創業経営者という立場を自ら手放すことによって、もたらされます。

武井さん_伝説_03
※出典/武井浩三氏のSNS投稿より

いまから約2年半前。武井氏は、自身が経営していた不動産系のITベンチャー企業を退任します。手段は『選挙で社長を決める仕組み』を導入している自社において『社長に立候補しない』というもの。そのあとの選挙で後任が存在感を強くし、その相手(画像上、固い握手を交わしている人物)に会社をゆずり渡します。渡したのは会社の舵取かじとり役という、社長のポストだけではありません。文字通り、株式会社そのものをゆずります。会長、顧問、アドバイザーなどの肩書きや立場で会社とかかわりつづけることも選ばず、武井氏は完全に会社から離れるのでした。

なぜ、ベンチャー企業の創業経営者という立場を手放したのか。どうして、会社とのかかわりの一切を絶ったのか。社長に立候補しなかった背景には何があったのか。社内における自分(社長)の権力を分散させるとは、どういうことか。なぜ、退任発表のSNS投稿に1,743人からリアクションが集まり、529件のコメントが寄せられたのか。そもそも、ダイヤモンドメディアとは、どんな会社だったのか。きない興味関心を追いかけ「話すと長くなる」ストーリーを本人に代わって伝えます。

いま、この人を伝えたい。

Q:武井さん、今回は企画に賛同いただき、ありがとうございます。今日はじっくり話を聞かせてください。

わかりました。でも、もともと僕は考えかたが、イっちゃってるほうです。それでも大丈夫ですか笑。

Q:大丈夫です笑。ちなみに、それはいつ頃からですか?

小さい頃からです。

Q:どんな子どもだったのかを知りたいので、覚えているご家族とのエピソードを教えてください。

それでいうと、まず、幼いころに無償の愛に触れた子どもは、大人になると自己防衛本能が弱まって意識が発達しやすくなるという話があります。反対に、子どものころに親から否定されたり「こうじゃないといけない」と正解を押し付けられたりすると、競争意識や他人への攻撃性が増すんです。そのどちらかなら、とくに僕は、亡き母の愛情をたくさんもらいましたから、子どものころに無償の愛に触れたと思っています。

Q:たとえば?

5歳のころの話です。幼稚園の年中さんだった僕は、車にひかれました。父の目の前で。

Q:場所は?

家族で行った旅行先です。駐車場に停めた車で昼寝をしている僕が、パっと目を覚ますと、母が近くにいないことに気づきました。探しに行こうと駆けだしたところに車が入ってきてしまって。

Q:その様子をお父様が遠くから見ていた?

いえ。父も車のなかにいて、その目の前で駐車場に入ってきた車にひかれてしまいました。事故のヒドさを物語る爪痕つめあととして、いまも僕の左脚は傷だらけ。当時、搬送先の病院で大量の輸血をしてもらいました。血を提供してくれたのは父でした。そのまま旅先で入院することになった僕に、母は2か月間、付き添ってくれました。ずっと一緒にいてくれたんです。僕、そこで文字を覚えて。なんか、結構、変わったんですよ。

Q:変わったとは?

退院して幼稚園に戻ったら、ものすごい勉強ができるようになっていました。

小学校や中学校では「自分は友達と少し考えかたが違う」そんな実感も。好きでも嫌いでもなかった学校の勉強が急に、できるようになって。いや、できるというよりは「苦労しなかった」そう表現したほうが適切かもしれません。

なんで
みんな
できないんだろう

そう感じた記憶もあります。当時、先生にケンカをふっかけたこともありました。

Q:ケンカとは?

中学生のころの話です。教科書にのっていることを黒板に書き写す先生がいて、理解できませんでした。

なんて無意味なんだろう

そういう先生の授業は出ませんでした。僕は先生に直接、言ったこともあります。「意味がないことは、したくないです」そうやって授業に出ず、先生とケンカしちゃうとか。

Q:すべての授業に出席しなかったんですか?

面白いと感じる授業には出てましたね。

Q:面白い授業とは?

先生が教科書を解釈して、その人なりの世界観で表現しているような授業です。面白かったり、本質的な何かを感じたりする授業じゃないと「価値がない」と思ってしまって。生意気で面倒くさい子どもでした笑。

Q:ただし、武井少年なりの主張や理屈はあった。その前提があり、大人と接していた?

無根拠な反抗ではなかった、という意味では、自分のなかに理屈はありました。それが冒頭で言った、考えかたがイっちゃってるほうなトコロです。いまも根本的な部分は一緒で、その感覚は基本的に変わっていないと思います。高校では音楽をやってメジャーデビューしましたが鳴かず飛ばず。大人になったら起業して、その会社をダメにして。当時の自分が目の前に現れたら、キツく言ってやりたいですよ。

Q:会社をダメにして、とは?

20代前半のときに一度、起業した会社を倒産させてしまった経験があります。

Q:レコード会社などを起業したんですか?

いえ、アパレル系のIT企業です。

Q:当時のことをもう少し聞かせてください。

10代のころの僕は「仕事したら負け」だと思っていて。

世のなかという
大きな歯車の一部になったら
自分の人生を生きていない

そう考えていました。これを大きく変えてくれたのが、アメリカでの留学体験でした。20年くらい前の話ですね。

Q:アメリカはどちらへ?

ロサンゼルスです。

Q:何があったんですか?

高校を卒業し、ロサンゼルスに渡った10代の僕は、周囲の仲間の生きかたにカルチャーショックを受けました。ロサンゼルスは多民族な地域であり、人々は、自分のお客さんや仕事相手が英語を話そうが、話すまいが気にしない。個人のバックグラウンドは多様性にあふれています。問われるのは、自分には何ができて何が好きなのか。アメリカは当時、すでにC to Bのビジネス環境が整っていました。たくさん出会ったのは、個人事業主のようなスタンスで仕事をするアメリカ人たちです。車が好きな人は、友達から仕入れ、販売することで生計を立てる。「そうやって暮らしています」みたいな振る舞いで、堂々と生きる人が周りにたくさんいたんです。それを見て思いました。

仕事って
社会に自分が組み込まれることじゃなく
自分の『好き』や『得意』で
困っている人の代わりになることなんだ
それで「ありがとう」という
お金をもらうことなのだ

その手段が音楽なのか、車の販売なのか、洋服のリメイクなのかの差でしかなくて、すべての本質は一緒。これに気づくことができたとき、それまで勝手に毛嫌いしていたビジネスが、僕の目に『自己表現の1つ』として映りました。

自分も何か表現したい

そう思うようになり、音楽に見切りをつけて帰国。仕事のとらえかたが変わった僕は、さらに新しい視点でビジネスを見るようにもなりました。

Q:どんな視点ですか?

自己表現の1つとしてビジネスをとらえたとき、自分が興味関心を持つことができる領域と、そうではない領域があることに気づいたんです。それを僕は「アスリート型ビジネス」「アーティスト型ビジネス」と名付けました。

Q:競技者と表現者のようなイメージ?

それに近いですかね。僕がやりたいのは後者で、アーティスト型ビジネスです。以来、仕事には、音楽に打ち込んでいたときと同じモチベーションで向き合いました。

自己表現という人生のキャンバスが
音楽なのか
ビジネスなのか
その違いでしかない

心のなかで、そうやって納得することができたときから、ほかの人が気にならなくなりました。

Q:他人と自分を比べて、気にしていた時期があった?

ありましたよ。そうやって割り切ることができてから、十数億円の資金調達を派手に祝う、友人のベンチャー企業経営者が気にならなくなったんです。それまで、彼らを『キラキラした存在』と思ったり、うらやましいと感じたりする自分が、どこかにいました。でも、自分のコアな部分に降りていくと、そこにいたのは、ありのままの自分です。

それは
僕がやりたい自己表現じゃない

気取った表現をするようですが、僕は、根がアーティストなんだと思っています。

Q:アスリート型のビジネスとは?

あくまでも僕の考えかたなので、個人の見解として受け取ってください。

Q:わかりました。武井さんが興味・関心を持つことができない領域に、個人的な関心があるので聞かせてください。

僕の考えでは、ビジネスの領域で、成功する方法とは、成功している既存ビジネスを真似ることです。たとえば、アメリカは日本の〇〇年先を行く、という話がありますが『先進国で成功したビジネス』を後ろから追いかける国が、自分の国に持ってきて真似る方法は、成功しやすいと思っています。

Q:それらをアスリート型ビジネスと呼んでいると。「自分も何か表現したい」そう思って帰国した武井青年は、アーティスト型ビジネスをやりたい。最初に何をしましたか?

『日付の入った夢』を書きました。

Q:夢の年表、みたいなもの?

そうです。何歳で起業するとか、そういうやつです。その通りに会社を立ち上げて、友達を誘ってアパレル系のメディアビジネスをはじめました。「俺、絶対イケっからさ。とりあえず、この企画、見てよ」そんなノリです。いま思えば、当時はインターネットの黎明期が終わり、それが社会インフラになろうとしていました。堀江貴文さんが時代の寵児ちょうじと呼ばれた頃です。「彼も、いまの時代はITって言ってるし」そう説明して、内容の薄い企画書を僕は友達に見せました。でも、それを書いた本人は真剣です。

Q:何歳ころの話ですか?

22歳です。

Q:企画書の通りに起業できた?

できました。僕は、お金を父から借りて、友達にも借金をしてもらい、起業するための資本金を集めました。

Q:何人の友達で、はじめたんですか?

僕を含めて3人です。1人は、進学した大学を辞めて手伝ってくれました。もう1人には、勤めていた大企業を辞めてもらって。それなのに、僕のビジネスモデルはまったくイケてなかった。起業しても、売り上げが立ちません。あきらめず、立ち上げたメディアをそだてようと頑張りましたが全然ダメ。僕らの給与は月に3万円で、極貧生活を友達にもいることに。会社のお金は、あっという間になくなりました。

あ、これもうダメだ
俺、やっちゃったな
人生やらかした

そう思いました。僕にとって、はじめての大きな挫折です。

Q:それまで、失敗や挫折の経験がなかった?

ありません。僕は比較的、そつなく勉強や運動ができました。高校は進学校で、調子に乗って音楽やって、ちょっと結果を出して。バンドの全国大会では賞も獲った。学生時代は地元で『ギターなら武井』みたいに、もてはやされて。僕は思ってました。

人生は自分の思い通りになるっしょ

完全に天狗てんぐです。アメリカに音楽留学してカルチャーショックを受け、ビジネスに目覚めると、今度は自己啓発に、のめり込みました。読みあさったのは、ナポレオン・ボナパルト、デール・カーネギーです。

あ、俺、イケてる

そうやって勘違いして。そんな僕の、はじめての挫折が倒産の危機でした。

Q:当時を振り返って、何を思い出しますか?

恐怖ですね。

Q:何に対する?

人生が終わるんじゃないか、そんな恐怖。あと、営業も怖かったですね。

Q:なぜ?

まったく売れない物を売りに行く行為が、しんどかったからです。

Q:まったく売れない物とは?

自社サービスです。僕は、自分の会社のサービスを『買う価値がない商品』だと、自分で理解していました。でも、売上をつくるために営業しなければならない。うつ病みたいになりました。眠れない日が続き、体中にボツボツが出て、人の目を見て話せないという時期が半年くらい。

Q:それでも「売らなきゃ」と?

それが本当に死ぬほどつらくて。そんなある日、1つのアイデアが浮かびました。

少しでも
お金が残っているうちに
ピボットしよう

Q:ピボットとは?

事業領域を変えたり、撤退したりすることです。いったん退しりぞく、みたいな勇気もあるわけで。そのころ、松下幸之助さんの本も読んでいたんですが、本には「夢はあきらめなければ叶う」と書いてある一方で、「撤退する勇気も大切だ」みたいな。株式投資においても損切そんぎりという概念がありますよね。悩みました。

どっちだよ

Q:あきらめるか、続けるか?

そうです。

Q:ピボット、撤退、倒産が頭をよぎったとき、何を感じましたか。覚えていることを教えてください。

あったのは、アイデンティティが壊れていくような感覚でした。自分という人間の魂が死んでいくというか。

Q:松下幸之助さんの本を読んだのは、どんなきっかけですか?

父親の影響です。

父・敏之としゆきさん

実家は製造業を営んでいて、松下幸之助さんの本を父がたくさん持っています。わらにもすがる思いで、それを手に取ったわけです。切羽詰まった僕は父親に相談しました。「勇気ある撤退ってあるじゃん。ちょっとでも会社に金が残ってるうちにさ、俺、辞めようと思ってんだよね。辞めるつったってさ、それも経営判断じゃん」みたいな。そうしたら、何十年と製造業をしてきた父から言われました。

お前がやるって言って仲間集めてよ。もうかってるもうかっていないは関係なく、お客さんがいて、そこには社会的な責任があるんだよ。その責任は、お前の命よりも重いんだぞ。お前はただ、ビビってるだけだろ。それで会社をどうこうするって絶対に違うよ

Q:どう感じました?

図星だなぁ

ですね笑。父の世代で、かつ、中小企業の社長をしていた人たちは『日本で負の制度が築かれた時代』を駆け抜けた人たちです。個人保証で会社の借金を背負い、1990年代前半のバブル崩壊の影響をモロに受けて。父は、自殺に追い込まれた製造業の経営者仲間を自分の目で見ながら、会社を営んできました。そんな父の言葉に僕は何も言い返すことができなかった。このとき思ったんです。

どんな結果であろうとも
全部
受け入れよう

改めて自分に何ができるかを考えはじめたら、不思議なことに恐怖心が抜けていきました。次第に眠れるようになり、躍起になって悪あがきする日々が再スタートです。結局、起業した会社をつぶすことになってしまったんですが、最後の最後に、アパレル・メディアの事業を「1,000万円で買おう」そう言ってくれる会社と、めぐり会えました。このとき僕たちの会社の預金残高は20万円でした。事業をまるごと売却し、借金を全部、きれいに返済できました。これが僕の社会人1年目。つまりは1年をかけてゼロに戻っただけです。さらに思いました。

結局、俺は
何がしたかったんだろう
お金がほしいわけじゃないんだけど

見えてきたのは、何か大きなことを成しげたいという野心でした。でも、それが原因で僕は友達の人生を振り回し、めちゃくちゃにしてしまった。どう考えても釣り合いが取れません。

理不尽なことを
したんじゃないだろうか
みんなの借金を返すことはできたけど
『ゼロに戻った』のは自分だけ
彼らの人生を僕は狂わせてしまった

そう感じ、行き詰りました。でも答えなんてわからない。それでも自問自答です。

仕事って
そもそも何のために存在するんだろうか
会社はどうだろう
何のためにあって
なんのために働いて
何のために自分は生きるのか
そこをつかめないと次へ踏み出せない

はじめたのは経営を学ぶことでした。とくに、普通とは違う、一般的ではない経営の本にひかれて。

Q:たとえば?

感銘を受けたのは『奇跡の経営/リカルド・セムラー』『非常識経営の夜明け/天外伺朗』『経営の未来/ゲイリー・ハメル』です。

Q:3冊を思い浮かべたとき、最初にイメージするキーワードは?

『管理しないほうが良いよ』

Q:当時を思い返してみてください。どんな記憶、感情がよみがえりますか?

こういう感じだ
どれだけ稼ぐか
どれだけお金を儲けるかではなく
どれだけ人間が人間らしく
生きることができるか
これを経営を通して実現したい

そんな思いがいてきましたね。

Q:それを2社目で実現したくなった?

そうですね。いきがって起業した会社を1年で倒産させてしまい、価値観が変わった僕は、そんな経緯けいいで2社目を創業しました。

Q:2019年に退任されたダイヤモンドメディアですね?

はい。

Q:どんな事業をしていたんですか?

ITサービスで、不動産会社を支援していました。そこで僕は、2019年に後継者にゆずるまで、2007年の創業から代表を務めました。

Q:事業領域に不動産業界を選んだ理由は?

きっかけは偶然でした。たまたま当時、不動産会社のシステムをつくったら成果が出て。

これなら
サービスを提供したら
広がるに違いない

そう思ったからでした。起業後、営業活動の一環でイベントに出展したときの出来事が印象に残っています。不動産オーナーと話す機会があったんですが、じっくり話を聞き、彼らが抱える問題をITで解決するためのサービスをダイヤモンドメディアで展開していきました。不動産業界を勉強し、時間を割いたのは業界関係者に会って直接、話を聞くことです。

Q:経営面はいかがですか。「どれだけ人間が人間らしく生きることができるか。これを経営を通して実現したい」には挑戦した?

しました。人、とくに社内の仲間に依存することなく、仕組みを整えることで、人が人らしく働くための組織構造を研究し、試しました。次第に僕は、かかわる人だけじゃなく、モノや会社などのすべてに貢献することが企業の使命だと考えるようになって。自腹を切って全国の経営塾に出向き、経営の本を読む、実践、研究のサイクルを続けました。そうして生まれたのが、さまざまな制度の山でした。

Q:どんな制度ですか?

上司部下なし、役職権限なし、肩書きは自由、給与は相場で決める、働く場所・時間は自由などなど。内容をまとめた簡単な表をお見せします。

これらは「僕らの職種、業種、業態にとって心地良い制度だった」ということです。飲食店で働いているのに「今日はテレワークします」と言っても、それは働くことになりません。要は、どうやって価値をお客さんや社会に提供するか。この価値提供を僕はすごく重視します。

Q:人事・組織の項目の一番下にある、『稟議りんぎ・相談はslackスラック』とは?

slackスラックは、ビジネス用のチャットツールです。ダイヤモンドメディアには一般的な会社にあるような、承認を得るための稟議りんぎがありませんでした。

Q:どうやって意思決定するんですか?

まず、slackスラックに社内メンバーのグループをつくります。たとえば、そのグループチャット上に「〇〇をやりたいんだけど、どう思いますか」と投稿します。すると、いいねスタンプがついたり、会話や意見交換がはじまったりで物事が決まる仕組みです。

Q:誰が承認するんですか?

誰もしません。それで、数百万円くらいの予算をみんな自由に使っていました。

Q:数百万円を自由に??

その権限を特定の人が持たないよう、ダイヤモンドメディアにおける権力を僕は分散させてきたんです。

Q:そんなことが、できるんですか?

できますよ。会社の財務情報をすべてオープンにしていたので、意思決定に必要な情報をみんなが閲覧できました。だから承認を得る必要性がないんです。

Q:財務情報がすべてオープンとは?

要するに、給与や経費などの、社長が知り得る情報を社内のみんなに公開(オープンに)していたんです。会社の預金残高を週次で報告していた時期もありました。

Q:みんなとは、全社員?

雇用形態に限りはありません、業務委託なども含め、すべてのメンバーへ向けてオープンにしていました。ちなみに、スタッフを『メンバー』と呼ぶのがダイヤモンドメディアのルールでした。

Q:入社したばかりの新人であっても、会社の預金残高を知ることができる?

もちろん。

Q:社歴の長さによる閲覧権限、範囲などの違いもない?

ありません。

Q:なぜ、そんなことを?

理由は1つだけではないのですが、先ほど言ったように、意思決定をするのに必要な情報だからであるというのが大きいです。数百万円くらいの予算をみんなが自由に使うと話しましたが、そのために絶対、必要なのが、情報です。情報は、社内の隅々まで行き渡らせます。これを『情報の透明性』と呼び、僕らのような自律分散型組織のガバナンスでは、欠かせない要素です。極端な例を挙げますが「社長が重要な経営判断を下すことができるのは、社内のすべての情報にアクセスできるからである」僕はそう考えています。経営者だから意思決定できるわけではなく、そのために必要な情報を知ることができるからというのが基本的な大前提です。同じ状況を社内に整えれば、当時のダイヤモンドメディアなら数百万円ほどの予算を使っても良いかどうかは誰でも判断できます。ただし、財務諸表を読み解くための知識共有や、意思決定によって強い影響が及ぶメンバーからは、必ず助言を求めるなど、この運用を実行するために欠かせないポイントは、ほかにもいくつかあります。

Q:ほかにもですか。もう少し教えてください。

情報の透明性について補足すると、全員の給与や経費の内訳といったお金の流れ(情報)以外に、行動履歴や業務時間などの見える化も重要です。もう本当に、全部ですね。徹底的にやります。これだけの情報が社内でオープンになると、経費を誤魔化ごまかしたりミスを隠したり、外で油を売ったりするようなズルが自然となくなります。なくなると、仲間を疑う気持ちが浮かばないんです。

人って
面白いなあ

そう感じました。僕は、葛藤かっとうを抱えるのが人間だと思いますが、それをゼロにしようとせず『抱えたままで人間性を大切にできる仕組み』をダイヤモンドメディアでつくりました。そのいしずえが情報の透明性です。

Q:情報の透明性を重視したのは、どんなきっかけですか?

というよりも、結果的にそうなった、それだけの話です。

Q:そうなった、とは?

結果的に、情報の透明性が高まったんです。不合理な支配関係や権力をなくして、健全な関係性をつくっていきたいと考えたら、自然と情報開示をしていくようになりました。

Q:情報の透明性を高めたかったわけではない?

あくまでも手段です。僕は「誰が偉くて、誰の権限で、最終的な責任を誰がとるのか」を決めたくありませんでした。でも、そんなことは法律上、できません。できないので法律に触れない範囲で試行錯誤しました。すると情報の透明性が高まったんです。社長や役員を選挙で決める仕組みを取り入れたのも、創業経営者という立場だった僕の権力を弱めるための、手段の1つです。

Q:どれだけ人間が人間らしく生きることができるかを経営を通して実現しようとしたら、それらの仕組み、制度にたどりついた?

それらの制度が社内に生まれた、というのが僕の感覚です。でも、それを純度100%でやろうと決めて実践すると、つねに邪魔されました。人は辞めるし採用に困るし問題もしょっちゅう起きる。だから、ダイヤモンドメディアが完璧な組織だったわけではありません。理想的な組織のりかたでもない。そこは誤解しないでください。ときどき勘違いする人もいますが、管理をなくしたり社長を選挙で決めたりする制度が、経営において重要なわけでもありません。僕はただただ、人間性を大切にできる良い会社を追求しただけなんです。

Q:邪魔をしてきたのは誰ですか?

人ではありません。

Q:何に邪魔されたんですか?

法律です。ダイヤモンドメディアを良い会社にしようすると、法律が邪魔してくるんです。

Q:どんな邪魔ですか?

たとえば、会社の情報をオープンにし、会社の私物化を防ぎ、会社を『みんなのモノ』にしようとすると、物凄ものすごく課税されます。これが何を意味しているかというと、社長が会社を私物化したほうがもうかる法律になっている、ということです。

Q:会社を私物化するとは?

経費で自宅や車を買い、社長個人の飲食代を経費で落とすなどです。そのぶん、自分の給料を減らしたほうが節税対策になります。これに気づいたとき、ブラック企業を生み出す元凶は法律なのではないかとさえ感じました。

Q:人間が人間らしく生きることができる組織を追求すると、法律に邪魔される?

邪魔されます。だからダイヤモンドメディアでは、現行法にのっとって、できることをするために「ああでもない、こうでもない」と制度をいじくりまわしたんです。

Q:それが表に整理された制度の数々となった?

そうです。でも、それってつまりは、組織においては権力が問題になるのだと思っていて。それを僕は、特定の個人に集中させたくなかったわけです。じゃあ、集中の反対は何か。

Q:解放?

僕は『分散』だと考えました。

Q:権力を分散させたかった?

はい。

Q:人間性を大切にできる組織のりかたを経営を通じて探った。それを純度100%で目指すと法律が行く手をはばむ。法律の範囲内で実践すると組織内の権力が問題になった。権力の何が問題だったかというと、特定の個人に集中すること。集中の反対は分散なので、権力を社内に分散させた。実現のためには情報の透明性を高める必要があった。これはとくに欠かせない重要な要素だ。そういうことですか?

そうですそうです。

Q:違うテーマを掘り下げてみたいと思います。当時、業界や業種を問わず、組織論の文脈で多方面から声がかかったと思います。そうしたとき、頻繁ひんぱんに相談を受けた社内制度には、どんな質問がありましたか?

それでいうと、給与のことは何度も質問を受けました。さきほど言ったように財務情報がフルオープンでしたし、全員の給与を社内に公開していました。単なる興味本位の質問だった場合も含め、組織変革に関心がある経営者から「自社の給与制度にメスを入れるとしたら何から手を付ければ良いか」その手の質問は少なくありませんでした。

Q:どんなアドバイスをするんですか?

閉された1つの組織のなかで給与制度を整えようとしても、なかなか最適化しないのでアドバイスも難しいところですが……。給与制度についても考えうることは、やりきったと思っています。わかったのは、働く人の適切な給与みたいなものは、複数の会社(コミュニティ)をまたぐことでしか実現しないということです。

Q:複数の会社をまたぐ、とは?

副業です。これはダイヤモンドメディアを離れたあとに気づきました。働く人が複数の組織をまたいで仕事をしている状況でもない限り、1社のなかで給与制度をいじるコストのほうが格段に高くつきます。その覚悟があれば、話は変わってきますが笑。

Q:コストが格段に高くつくのは、なぜですか?

そもそも、労働者は自分の労働を提供して、お金をもらいます。この前提となるのは『経営者はB/S(貸借対照表)に経営責任を持ち、労働者はP/L(損益計算書)に責任を持つ』ことであり、つまり労働者は執行責任を負っているわけなんです。ところが一般的な給与制度は、基本的にP/Lに寄ります。寄るので、B/Sにのらないような労働・価値を会社は評価できません。

Q:B/Sにのらないような労働・価値とは?

顧客や業界関係者と良好な関係性を築く、新しいビジネスモデルや社内のマネジメントの仕組みをつくるなどなど。そういうことができる人を現状の人事考課制度の枠組みで、"適切"に評価するのは難しいです。だから優秀な人ほど辞めて、独立します。そのほうがかせげるからです。そもそも、いまの会社法の枠組みにおける労働の概念が、現代にそぐわないんですよ。

Q:そぐわない、とは?

日本の労働基準法は80年くらい前に制定されています。そのもとになる法律が工場法です。これは1911年、いまから110年前に制定されました*1。

Q:どんな法律ですか?

ひらたくいうと、工場で働くブルーカラーの立場を守るための法律です。工場で安心して働けるよう、勤務時間や休みなどについて定められました。だからタイムカードなんです。当時、労働者=肉体労働者だったわけで、彼らの労働時間と生産性の関係には、個人差がほとんどありませんでした。でも、そこにちょっとでも頭脳労働が入った瞬間、僕は違和感を抱きます。

働く人の生産性を
適切に評価できないなあ

『個人の給与を適切に』を突き詰めると、その瞬間、その場所を給与として適切に測れますかという問題にぶつかります。自宅で湯船にかりながら仕事のことを考えませんか?

Q:考えます。アイデアをひらめます。それも頭脳労働?

それ、労働ですよ。本当は仕事なんです。じゃあ、それに給与を払うのか、払わないのかとなれば収拾がつかないじゃないですか。

Q:では、湯船で仕事のことを考えても、やっぱり労働とはみなせない?

一般的には、みなされませんが、僕はそれを『ないもの』にしたくない。それはもう、強くそう思います。でも、そうすると正直、答えがないんですよ。断言できます。『個人の給与を適切に』を徹底して追いかけると、一般に、その制度をもうけるコストのほうが高くなります。

Q:ダイヤモンドメディアでは具体的に、どんな取り組みをしていたんですか?

当時は、1,000円単位で給与をいじったこともありましたよ。

Q:1,000円という金額感が重要だったんですか?

というよりも、給与の差に対する意味を解消したくて。

Q:意味とは?

社内の同期で、月額1,000円でも給与が高い人がいると、その人は、ほかの同期よりも抜きに出ているというメッセージになってしまいます。これが意味を生んでしまい、邪魔なんです。実際の金額として1,000円くらい正直、どちらでも良いところですが『差がある』その事実に意味が生まれてしまうので「その差の意味は何か」「なぜ違うのか」の議論に発展します。解消のための話し合いも散々やりましたが、このテーマは1つの会社のなかだけでは解決できないという結論にいたりました。

Q:その結論にたどり着いた背景を振り返って、何がきっかけだったと思いますか?

それでいうと、いまの僕はいろいろな組織にかかわったり、新しいコミュニティをつくったりしています。その経験から『個人が副業していると、社内における給与の差が意味をなさなくなる』と、気づいたんです。

別におれ
違う会社で
もらってるから

そうなるので、1つの会社における給与の差が個人に大きな影響を与えないんです。いままでの組織における給与の差は、優劣でした。でも、個人が複数の収入源を持つと、給与は『その組織における、かかわりかたの違い』でしかなくなる。そうなると、めちゃくちゃ平和になるんですよ。

Q:優劣ではなく『かかわりかた』に変わると?

ただし、それを真の意味で実現させるには、副業が社会全体のデファクトスタンダードになることが重要です。わずかな企業だけが副業を解禁しても、みんなが組織をまたいで働くことはできません。閉された1つの組織のなかで給与制度を整えようとしても最適化しないと話したのは、そうした背景からです。このあたりは非常に苦労しました。

Q:どんな苦労ですか?

当時のダイヤモンドメディアは、いまの社会と接合しにくかったんです。流動性の高い組織にしていたので、会社を辞めやすい仕組みもつくったのですが、ほかの会社がそうした価値を推奨すいしょうしていません。そういう人材の受け皿が、社会に少ないわけです。これが非常にきつかった。最近は、コロナという思いがけないかたちで、自由な働きかたができるような企業、社会が少しずつ整ってきました。

Q:話を給与に戻したいんですが、ダイヤモンドメディアでされていた『給与を相場で決める』とは、どうやるんですか?

いろいろやりくして行き着いたのは、話し合いです。『給与を相場で決める』というフレーズがキャッチーなので、対話が深まる前に表層的な議論にとらわれがちですが、自分で給与を決定することが大事なわけではありません。これもやってみてわかったんですが『給与を決めるプロセスに自分がかかわる』それが大事なんです。加えて「自分としてはこの額で」と決める行為は、本人にストレスを与えることもわかりました。遠慮する文化がある日本社会の影響が出るんです。一歩引く国民性を持つ日本人は一定数いて、多くの人にとっては、自己決定しないほうがおさまりが良いんです。でも、僕としては指示命令をしたくなくて。

Q:どうしましたか?

少人数のグループで話し合いました。「相場から見て、こんな感じですかね」と。すると、人は決めやすくなります。いまは、ある程度の枠をもうけることが大事かなと思っています。繰り返しますが、正解があるわけでありません。あと、いまの僕がオススメしているのは、最初に社長自身が副業することです。

Q:なぜ?

組織において、もっとも副業すべきなのは経営者だと思っているからです。それを社長なり経営者なりがやらないと、基本的にほかのスタッフもはじめません。そうした雰囲気が社内に生まれないんです。経営層は抽象的な仕事が多い上に、労働時間などの制約が少ないので「給与制度を見直したい」「副業を推奨すいしょうしたい」そう言うのであれば、それをすぐに実行できる経営陣から、はじめるというのがファーストステップです。ほかの会社で新しい人間関係を築いたり、いくつかのコミュニティをまたいだりすることで数々の学びも得られます。当然ながら収入も増えます。

Q:武井さんも副業しているんですか?

いまの僕はボタンラリー組織とのかかわりが多いのと、報酬ほうしゅうをお金ではなくモノで受け取っている場合もあって、もはや副業という言葉がしっくりきませんが、いろいろやっています。代表・役員としてかかわっている株式会社が5社、社団法人が6社、NPOが1社、顧問やアドバイザーをしているの会社が8社、そのほかに株主として支援しているソーシャルベンチャーが10社弱あります。

Q:報酬ではなく、モノで受け取るとは?

顧問料などを現物支給でいただく場合があるんです。

Q:たとえば?

チョコレート。

Q:報酬がチョコレートなんですか?

『アドバイザー料が卵』の会社もあります。

Q:どんな会社なんですか?

チョコレートは、友人が代表をしているメゾン・カカオという会社で、コロンビアに自社農園を持ち、フェアトレードでカカオを直接仕入れている、アロマの生チョコレートが絶品のブランドです。卵は、障がい者雇用をしながら、ソーラーシェアリングで再生可能エネルギー発電もして、高いクオリティの卵をつくっているハコニワ・ファームという会社からいただいています。

Q:なぜ、モノで報酬を受け取っているんでしょう?

僕は「お金だけが経済じゃない」そう思っていて、それを体現したいからです。その大切さを本来、人間は知っているはずなのに、現代社会に生きる僕らは忘れ去ってしまったように思うんです。それを取り戻したい感覚もあって。そのために自分自身が、お金じゃない経済のなかに、どっぷりかって活動しています。

Q:お金じゃない経済のなか、とは?

世田谷区でNPO法人 neomuraネオムラという、村社会をアップデートするNPO法人をやっています。内容は清掃活動、お祭り、商店街のイベントなどです。この活動は「地域を活性化する」ということで世田谷区から注目を浴びています。最近なら畑ですね。空き地を畑にする『タマリバタケ』プロジェクトを去年(2021年)から区と共同で、はじめました。『日常生活の一部としての農』をコンセプトにした畑です。ほかにも、 neomuraネオムラでは『チーム用賀』というFacebookグループを運営していて、ここでは物々交換が日常的に起きています。そうした助け合いの、経済を持つことを楽しみながら、みんなと一緒に、お金じゃない経済を実験している感覚です。

Q:武井さんが、またがる組織やコミュニティを数えると30ですね(※2022年3月時点)。何をしている人なのか理解されない場合が多いのでは?

多いです。よくあります。ダイヤモンドメディアにいたころから「武井さんは何をやっている人ですか」と、ときどき聞かれていました。

Q:どう答えるんですか?

コロナで外出が制限され、イベントがオンライン化し、以前よりも気軽に登壇できるようになりました。そんなときの自己紹介は、こんな僕なので「ただただ、一生懸命生きています」と説明してます。本音では正直、面倒なトコロもあります笑。いろいろとやっているので、自分の活動を説明するのに時間がかかりすぎるんです。

Q:それだけの数の組織、コミュニティにかかわると、名乗るときに困りそうですよね。肩書はどうされているんですか?

社会システムデザイナーを自称しています。株式会社もNPOも社団法人も用賀の地域活動も、僕にとっては『コミュニティ』です。同じ認識で町、経済、社会、国をとらえています。ダイヤモンドメディアを通じて、僕が深くかかわってきたのは不動産業界でした。以前は国道交通省のアドバイザーもしていたので、地方創生というと大げさですが、そのサポートをしていた経験もあります。不動産業界のIT化に寄与すべく、仲間たちと不動産テック協会という社団法人も立ち上げました。これらを通じて気づきました。

経営
株式市場
経済
まちづくり
地方自治
税金
政治
国家
そうした仕組みは全く同じシステムだ

僕は、いまの時代は、人や社会が求めるモノが変わってきているタイミングなのかなと感じています。

Q:たとえば?

マッキンゼーの敏腕コンサルタントだった人物に、フレデリック・ラルーがいます。彼が本にまとめた、ティール組織の出現が代表的です。これを現在の経営システムでは簡単におぎなえません。

Q:なぜ?

ティール組織を語る上で外せない、自主経営セルフマネジメント全体性ホールネス存在目的エボリューショナリーパーパス(進化する目的)の3要素を既存の経営システムで扱うのが、とても大変だからです。現在の経営システムは資本主義にもとづいています。その構成の中心にあるのはお金です。経営なら貸借対照表(B/S)、損益計算書(P/L)、キャッシュフロー計算書、コンプライアンス、組織・制度設計などのすべては、現行法のシステムにのっとっています。現行法のシステムとは、会社法、労働基準法、民法などの法律です。誤解を恐れずにいえば、残念ながら現行法は、自然環境や人間性、人の感情をカバーしていません。ところが、ティール組織では人間性や人の感情を扱います。そのギャップをどう埋めるか。ここが問題です。

Q:ティール組織とは?

書籍『ティール組織』の著者であるフレデリック・ラルーが、心理学や経営学などを研究していくうちに出合った、組織パラダイムの1つです。人間の心理発達を段階ごとに定義した、インテグラル理論という西洋の考えかたをもとに、フレデリック・ラルーが見出した組織論でもあります。「いまの時代は転換期を迎えているかもしれない」そんな気づきから、彼は「人類の意識は進化しているのではないか」「組織の姿にも変化や進化が見られるのではないか」という問題意識を持ちました。この仮説をもとに調査・分析したところ、いまの時代に起きているパラダイム・シフトを彼は見つけたんです。「どうやら、さまざまな分野で共通したメタファーが生まれているようだ」と。

Q:共通したメタファーとは?

生命体や生態系というメタファーです。そんな組織をインテグラル理論の考えかたになぞらえ、フレデリック・ラルーは『ティール組織』と名付けました。と、ここまでの話は序章の序章の、序章です。本は本編だけで500ページを超え、付録や解説、参考文献のリストなどを合わせると600ページに迫ります。僕も読みましたが、読むのに時間がかかる本です。にもかかわらず日本での発行部数は10万部を超え、世界では60万部を突破しました。そんな本の日本語版で、国内事例としてダイヤモンドメディアを取り上げていただきました。

Q:ダイヤモンドメディアは、ティール組織の国内事例としてパイオニアであったと?

最近だと「ティール組織を早くから導入されていた武井さん」と紹介していただくことがあるんですが、ときどき、『本が発売される10年以上前から、そういうことをしておりまして』と思うことがあります。言葉や概念が存在する前から、そうした組織を実践していた身からすると、その手の紹介は正直、すわりが悪いというか。情報量の多い本ですから単純に読むのが大変ですし、そんな経緯けいいで、ティール組織についての質問や相談が僕のトコロに来ることもあって。それ自体は本当にありがたいことなんですが。

Q:質問や相談とは?

たとえば、寄稿きこう。そんなご相談の場合は、国内の第一人者をご紹介しています。

Q:どなたですか?

嘉村賢州かむらけんしゅうさんです。賢州さんは、書籍『ティール組織』の日本語版の解説を担当されました。そこで日本の事例として、ダイヤモンドメディアの名前を挙げてくれたのも賢州さんです。彼は、著者のフレデリック・ラルーと太い絆があり、国内で組織変革のサポートもしています。自身でも組織のりかたを探求されていて、自己変容の旅路、それにともなう葛藤かっとうも経験されている人で。ホワイト企業大賞という活動では、一緒に活動もさせてもらっています。そんな彼の思いに、水を差すようなマネはしたくなくて。

Q:「ティール組織のことを僕に聞いてくれるな」と?

いえいえ、そうではなくてですね。イベント登壇の延長や、カジュアルなオンラインの集まりのときは、そういう組織づくりを実践してきた僕の経験をお伝えすることはできますし、むしろ大歓迎です。僕の経験をまとめたフレームワーク『DXOディクソー』は、コピーレフト&無料配布もしています*2。僕個人は、とどのつまり組織の話は、りかた(being)の話に行き着くと思っています。TOPや経営層だけでなく、働く人も含めた個人が『必要なときに必要な葛藤かっとうを体験すること』を積み重ねるだけ。組織論には目指すべきゴールがあるわけじゃなく、あるのは、です。でもそれは、やりかた(doing)を追求した先にしかないとも思っていて。その一助になればと考え、自分の経験をフレームワーク化しました。なので「書籍『ティール組織』を読んでもっと深い概念に触れたい」「ティール組織を解説してほしい」ということなら適任者は賢州さんをおいて、ほかにいないかなと。抽象的な概念ですから、誤解や勘違いも多いので。

Q:わかりました。話を戻します。人や社会が求めるモノが変わってきている時代において、それらを現行の経営システムではおぎなえないという話だったと思います。それは、いまの経営システムが、時代遅れであるという指摘ですか?

指摘しているわけではなく、『古い新しい』の話でもなく、既存の経営を否定するものでもなく「構造が違うんです」という話です。現代の経営システムは、基本的には貨幣経済しか扱えません。それ以外をいまの経営がカバーしようとすると、経営者の人格や人間性に頼らざるを得ないのが現状です。人格とは奉仕の精神、犠牲ぎせいを払ってつくすような気構えとか。場合によっては、細分化された人事考課、手厚い福利厚生などにより、まるでシステムで人間性をカバーしているような制度をもうける会社もありますが、それらは、そもそも前提が違います。

Q:前提とは?

経営システムが人間性を大切にできない環境で、どう対応するかではなく、そもそも、人間性を大切にする環境を前提にし、その上で、経営システムを新しくデザインする必要があるのではないかと。それが僕の考えです。この前提が現状と違います。これに気づくことができたのは、真剣に、本気で、働く人の感情に配慮した組織をつくろうとして、いまの経営システムが、どれだけ不便な仕組みなのかを痛いほどに味わったからだと思います。

Q:何を痛いほどに味わったんですか?

上司は部下の給料を知っているが、部下は上司の給料を知らないとか。これ、なぜだと思いますか?

Q:なぜ……うーん。部下が知らないのは、ズルいというか、理不尽というか。あえてズルい仕組みにしている?

すいませんが正解を知るわけじゃないんです。尋ねたのは、理由を考えたとき、どんな感情を抱くかを体験してほしかったからです。「ズルいというか、理不尽というか」そんな気持ちを僕も幾度いくどとなく味わってきました。痛いほどに。

人によって
使える経費に違いがあるのは
どうしてだろう
なぜ人は
組織のなかで
自分がやりたい仕事を
できないのか
そもそも
会社に社長が必要な理由は?

こうした疑問にぶつかるたび、1つひとつ向き合い、納得できない気持ちを味わい、その仕組がいまそうなっている理由を調べ、納得できる仕組みとして『稟議りんぎ・相談はslackスラック』『管理ゼロ』『社長役員を選挙で決める』などの制度が生まれました。この経験からわかったのは、先ほども言ったように、現行の制度が良い会社をつくることを邪魔する事実でした。じゃあ、どうするか。人の感情を考えながら経営を回さないと、経営そのものが回らないよう、僕は組織をデザインしました。これは極めて重要な前提です。使える経費の上限を自分たちで決め、話し合いのすえに着地させると「ズルさ」「理不尽さ」が生まれる余地はありません。人間の感情を前提にした組織デザインです。さらには、働く人が組織のなかで「ズルい」と感じるとき、背景にあるのは権力なんです。働く人が、ズルさを感じるときは、権力者が特定の環境をコントロールしています。これを僕は嫌い、組織のなかから極限まで排除してきました。してきたんですが、違う問題が生まれます。こうした制度を単純に取り入れるだけだと、経営側は既存の経済システムを考えながら、並行して、人間性を考えるシステムを運用しなければなりません。オペレーションコストが2倍になるんです。

Q:ダイヤモンドメディアでは2倍になった?

なりました。マネジメントとしては、かろうじて成立してはいましたが、経済性と人間性の意思決定プロセスが分離するので、議題によっては、結論がちぐはぐになったり物事が進まなかったりするんです。

Q:どう対処しましたか?

1つのオペレーションに組み込めるよう、また、試行錯誤です。僕も覚えていない部分がありますが、当時は、かなり細部にわたって設計しました。それはもう、徹底して。ダイヤモンドメディアを経営していたときは、そんな日々の連続でした。

Q:なぜ、そんな日々を続けられたと思いますか?

これはもう、性分しょうぶんですね。見過ごすことができなくて。

チクショウ
根源的な問題は
ナンダ

そうやって追究しているとき、僕は組織論だけじゃなく、いろいろな視点を参考にします。そこでの気づきが、また、面白いんです。

Q:いろいろな視点とは?

たとえば、パタン・ランゲージ。オーストリア出身の建築家であるクリストファー・アレグザンダーが、1970年代の後半くらいに提唱した理論で、建築や都市を考えるときに用いられます。彼は「都市においてはなかそとの中間にあたいする領域をデザインすることが重要である」と定義しました。そうした中間領域をデザインすると、人と人の偶発的な出会いを増やせるんです。

Q:具体的に、どうやって増やすんですか?

カフェテリアです。カフェテリアやパティオのような中間領域は、人と人の偶発的な出会いを増やすので、カップルが成立しやすくなり、これは『出生率を高めるデザインである』とも言い換えることができます。そうした、人が心地良いと感じる環境を分析し、クリストファー・アレグザンダーは253の法則を見つけました。

Q:ほかに、どんな法則があるんですか?

背中が守られていて目の前の眺望が開けている環境だと人はリラックスできるとか。中途半端に高い段差があると人間は座ってしまうとか。5階以上の高さの建物になると、それより上の階に住んでる人たちは地上階との関係性が分断され、住んでいる地域にオーナーシップを持ちにくくなるとか。栄える都市には単純に交差点が多いとか。クリストファー・アレグザンダーの考えかたは個人的に学ぶ点が多く、世の中にもっと知れ渡ってほしいと思っています。パタン・ランゲージのほかにも、彼が考案したセミラティス構造も興味深いです。専門性の高い話になりますが、彼は建築学における都市や建物などの物理的なデザインの関係性は、ツリー型ではなく、もっと複雑にからみ合ったセミラティス型だと指摘しました。この構造を上から見ると、組織論でいうところのホラクラシーなんですよ。ホラクラシーは、組織の統治制度であり、日本だと、ヒエラルキーの対比として紹介されることが少なくありません。階層構造を持つヒエラルキー型は三角形で図解され、その頂点は上向きです。これに対してホラクラシー型は、一般に階層構造を持たず、えんで図解されます。されますが、それは特徴的な一面を切り取った説明でしかなくて、実際はホラクラシーにも階層が存在し、えんなのではなく、セミラティス構造を上から見ているに過ぎません*3。パタン・ランゲージにしても、僕からすると建築や都市学の視点から、組織を解説しているようなもので、共感する点や示唆しさがとても多いです。

Q:建築学と組織論には通じるものがあると?

めちゃくちゃありますね。話が専門的になり過ぎるので解説を省きますが、クリストファー・アレグザンダーは答えを提示してるわけではなく「人間は有機的なので、都市は、みんなでつくっていこう」「それが本来あるべき自然な姿だ」そういう主張で理論を展開しています。これは結局、プロセスデザインに落ちているんです。このあたりの発想は僕の組織論にかなりの影響を与えました。こうした理論にもとづいて、自宅の間取りを自分で設計したり、ダイヤモンドメディアのオフィス設計に、風水環境科学を取り入れたり。

Q:パタン・ランゲージの法則は、必ず再現できるんですか?

いえ、計画的偶発性と呼ばれる確率論でしかないです。でも、特定の場所に人が集まり、人間関係が生まれるのなら、そうしたデザインの場になっている可能性があり、そこを検証せず、むやみやたらに人を排除しようとしても無駄だと、仮説を立てることができます。思いつきで具体例を挙げますが、人間関係が豊かになる組織にしたいなら、人間関係がはぐくまれる場にするために、オフィスに中途半端な段差をもうけ、人が座りたくなるようにデザインするとか。人間関係がはぐくまれると、コミュニティが生まれやすくなります。コミュニティを町に置き換えて考えると、町に対する満足度は、その町における知り合いの数と正比例するので*4、組織に対する満足度は『組織における知り合いの数と正比例する』ともいえます。このデザインを実践するなら、知り合いの定義を深めなければいけませんが、ポイントはコミュニティという考えかたです。組織や町だけに限定せず、学校、社会、国などをコミュニティととらえることはできるし、友達や家族といった単位に置き換えても話の要点は同じです。

Q:組織における、知り合いの数を増やすデザインはありますか?

ありますよ。ポイントは、偶発性をどうやって高めるか。これは関係性をはぐくむ上できわめて重要で、偶発性を高めるためには無目的、多目的が欠かせません。仕事において目的が明確だったり役割が細分化されたりが行き過ぎると、コミュニケーションが必要なくなるからです。それぞれが、それぞれの仕事に専念するだけになってしまう。業務の範囲が不鮮明なほうが、コミュニケーションは生まれやすくなるんですね。裏を返せば、業務を明確に定義することを突き詰めると、コミュニケーションの必要性が失われます。コロナ禍で雑談の重要性が指摘されましたが、僕からすると「いまの多くの組織は、そもそも、そういう組織構造だった」わけで、リモートワークによってオフィスの偶発性が丸ごと消え、もともと組織が内包していたあやうさが、あらわになったのだと思います。その状態を拡大して僕らに見せたのが、コロナだった。ここが、いまの社会に足りていません。

Q:足りていないのは『コロナ以前から組織は、そもそも問題を抱えた構造をしている』という認識ですか?

というよりは、偶発性の重要性です。そとでもなく、なかでもない中間領域、白黒ハッキリしない、あいまいさが組織のなかだけでなく、社会全体から失われています。これをもっとリデザインしていく必要があると感じます。

Q:リモートワークを続けることには限界がある?

僕の考えは違って、組織なら、たとえばチャットツールの活用があります。slackスラックなどのチャットツールに、どんなチャンネルをつくるか、どんな投稿を誰がするかによって、デジタル空間においての偶発的なコミュニケーションも、ある程度はデザインできます。意見やアイデアが発散される場とは、偶発性が高い場です。でも所詮しょせんは、人の集まりなのでムラがある。時間帯、顔ぶれ、雰囲気などにより発散しやすいときと、そうでないときがあるわけです。だから偶発性なわけで。そうはいっても、ファシリテーターやコーチなどのガイド役を立てれば、セレンディピティみたいなものが起こりやすい場をデザインすることだって、できるわけじゃないですか。人間の集まりである組織にとって、偶発的な『奇跡』という不確実性の高い出来事が起きる可能性を高めることは、もっとも重要だと思っています。でも従来の組織は、そうしたデザインになってなかったわけです。だから、あるとき僕は、自分がしていることは社会システムのリデザインだと気づきました。

Q:それで、社会システムデザイナーを自称している?

はい。ダイヤモンドメディアを辞めてから加わった、株式会社eumoユーモでの新しいお金プロジェクト、自然の摂理を前提にした世界観で、組織論を探求している自然じねん経営研究会、地域活性のソーシャルビジネスであるNextネクト Commonsコモンズ Labラボ、自律分散的な組織をつくるという、コンサルティング事業をしている手放す経営ラボラトリー、働きがいや社会貢献を大切にしている企業の選定、サポートをしているホワイト企業大賞の活動、地域活動のコミュニティであるチーム用賀での仲間とのつながりなどなど。そうした活動のすべては、僕にとって社会システムのリデザイン活動です。いまの僕には、現行システムの問題や課題が、だいぶ整理できてきました。それをいろいろなコミュニティで実践する日々です。その再現性も高くなってきました。

Q:現行システムの問題や課題とは?

僕は、株式会社には致命的な欠陥があると考えています。そもそも法律は不完全で、そこから生まれた税金があまりにも非効率であるとか。それらの根本的な問題を突き止めるのが僕は異常に好きです。好き過ぎて、夢見がちともいえますが笑。

Q:株式会社の欠陥とは?

その説明をする前に「そもそも、なぜ株式会社なのか」「株式会社が動かされている資本主義とは何か」について話をさせてください。

株式会社に組み込まれた3つの欠陥。人を暴走へと向かわせる資本主義のメカニズムとは

以前、株式会社を集中的に研究した時期が、僕にはありました。文献をあさって勉強会に参加して。そこから得た知識で思考実験をするのが好きなんですが、このとき、いつも僕が引き合いに出すのは自然の摂理です。

自然の摂理に
のっとっている

これが僕の理想。ひるがえって『現状は』というと、新型コロナウィルスの存在もあって、リモートワークやテレワークの重要性が叫ばれています。仕事(ワーク)をしながら休暇(バケーション)も楽しむという意味合いで最近、聞くようになっているのはワーケーションです。その前なら、遊牧民や放浪する人を指す『nomado』から転じた、ノマドワーカーが流行はやりました。こうした存在によって「会社という枠組みは不要になるのではないか」そんな意見を耳にしますが、会社のなかでも、とくに株式会社には意味があると思います。なにより、便利です。

Q:株式会社が便利?

機能面に秀でた株式会社という共同体は、2つの点で個人を超えます。

Q:2つとは?

「共有資産の永続的保有」「そこから生まれた富を公平に分配できる」です。この2点が個人の能力を超えています。これが僕の見解です。ただし、学者でもないので客観的なエビデンスを求められると正直、困ってしまう場合もあって笑。もし、僕が話す以上に詳しく知りたいキーワードがあったら、お手数ですがインターネットで検索していただければ、僕の説明よりも詳しい解説がたくさんあります。武井調べ、という前提で話を聞いてもらえると助かります。

Q:わかりました。共有資産の永続的保有とはなんでしょうか。解説をお願いします。

1800年ころの話です。当時、はじまった『私有財産権の確立』が、社会を近代へと向かわせました。近代社会の前提とは、個人の財産を他人がおかすことはできないという考えかたです。それは、たとえ国家であっても同じで、許されません。そうして資本市場が生まれました。科学技術の進歩により、発展したのは経済でした。経済成長は、輸送や通信の技術を進歩させます。これによって社会は民主化した、というのが、ざっくりの時代背景です。

Q:社会が民主化しても、財産がおびやかされることがない個人は、重視されてきた。それが前提としてあると?

そうです。そんななか、頭角を現したのが会社のような法人でした。法人は人格を持つことが許された共同体であり、資産を持つこともできます。さらに、物理的な寿命がありません。この側面から「個人よりも法人のほうが優れた機能を有している」といえます。優れているので、法人は必要であるというのが、いまのところの僕のスタンスです。

Q:個人には寿命があるが、法人には寿命がなく、しかも資産を共有できるので永続的に持ち続けることができる。そういうことですか?

そうですそうです。なかでも株式会社は優秀です。いまある共同体のなかで、もっとも優れた機能を備えています。

Q:どんな機能ですか?

経営、労働、所有を3つにわけ、成り立たせているところです。3つの分業により、1つだったころにはできなかったことが、できるようになりました。歴史をさかのぼると、分業により生まれたのは経済や貨幣です。3つの分業は間違いなく良いことだったと思っています。思っていますが、その分業により生まれてしまうのが、株式会社の不祥事であり、ここが致命的です。

Q:不祥事を起こす株式会社に、どう対処するかがポイント?

というよりは、不祥事を起こしてしまう、構造に問題があると僕は思っています。経済の成り立ちから考えると、株式会社は不自然な存在なんですよ。

Q:経済の成り立ちとは?

けいせいさいみん、経世済民と書きます。世をおさめて民をすくうという意味です。これが短く略され、経済です。つまり経済とは、何かの犠牲の上に成り立つものではありません。ところが現代の資本主義における経済は、必ず犠牲が生まれる仕組みです。

Q:どんな仕組みですか?

社会性と経済性が分離した仕組みです。その罪滅つみほろぼしをするかのように、多くの企業はCSRや、最近ならSDGsに取り組む。これが正論としてまかり通る仕組みは資本主義の欠点であり、いまの経済の課題でもあります。ソーシャルビジネスという言葉を頻繁ひんぱんに聞きますが、それ自体、経世済民けいせいさいみんの言葉の成り立ちから考えると、本来はおかしな話ですから。

Q:社会性と経済性が分離した仕組みについて、もう少し解説してください。

現代の経済や株式市場は、企業に無限成長を求めます。社会性はゼロに等しい。それが実態です。あったとしても表層的で、お飾りの場合がほとんど。できるだけ早く、できるだけ大きくなってほしいというプレッシャーを株式市場・資本市場は、株式会社に与えます。その環境下だと企業は延々と成長するよういられます。社会のため、人のためではなく『目の前のお金を効率よく増やす』ことが目的になるわけです。これを企業は、いま、際限なく求められています。そのとき、すでに社会性を失っているわけです。

Q:際限なく増やすことは可能なんでしょうか?

僕は経済学者ではないですが、これまで自分なりに不動産業界で実務を重ね、不動産テックベンチャーを経営し、組織論を勉強・研究・実践してきました。

この経験から、経済や社会のりかたを僕は肌で感じてきました。思うのは、無限成長の難しさと不自然さです。それなのに企業は「成長しなさい」そう急き立てられるので、成熟した一部の上場企業は、意識的か無意識的かにかかわらず、社会通念や人の幸せを無視してしまいます。そうして起こるのが不祥事です。内側から不動産業界を見てきて思うのは、業界内で起こる不祥事のほとんどは東証1部上場企業だったということです。成熟したマーケットで成長するよういられると、企業はモラルハザードを起こしてしまいます。なぜ、モラルハザードを起こしてしまうかといえば、そのメカニズムが株式会社に組み込まれているからです。

Q:モラルハザードとは、不祥事?

倫理や道徳などを失うことで、統制(ガバナンス)がかなくなるような状態を指します。

Q:そうして不祥事が起こると?

そういうことです。

Q:株式会社に組み込まれた、不祥事を起こすメカニズムとは?

3つの観点から説明します。1つ目は、組織内部における情報の不透明性を寛容している点です。これは特定の業界に限った話ではなく、すべての企業に当てはまります。

Q:情報の不透明性を寛容しているとは?

上場ガバナンスは、情報の不透明性を許していて、これに似たような形式的で本質を欠いたガバナンスがたくさんあるのが現状です。社外取締役が何人必要、IRを四半期ごとにやらないといけないといった形式要件がそう。内部情報の透明性を担保するガバナンスがないことは、株式会社の構造体のなかで重大な問題点です。社内において経費や給与などの、お金の流れをオープンにしないといけない、というガバナンスもありません。コーポレートガバナンスは、情報の非対称性を解消することに着手していないんです。

Q:2つ目の観点は?

多数決のスキームで動くところです。

Q:多数決がダメなんですか?

多数決は長いモノに巻かれる仕組みなので、本当に良いか・悪いかという決めかたではありません。これが組織内で繰り返されると、失われるのがリーダーシップです。リーダーシップがない組織は官僚化していきます。そうして削られるのが、多くの『本当に良いモノ』『それはどう考えてもダメだろ』という道徳観です。権力を奪い合い、派閥はばつが生まれ、人間性はどんどんぎ落とされます。これが進むと組織は惰性だせいでしか動けなくなる。無限成長を要求されるマーケットにおいて、すべてが多数決で動くメカニズムは、株式会社の致命的な欠点です。

Q:3つ目は?

株式会社が刑事責任を負えないこと。人が車を運転している状況で説明します。仮に、故意じゃなかったとしても、トラックのドライバーが居眠り運転で人をはねてしまい、歩行者がくなってしまったとします。これは一般に、ドライバーの罪は業務上過失致死傷ぎょうむじょうかいつちししょうという個人の罪です。ところが、その労働環境をつくった人たちは刑事責任を問われません。株式会社は民法でしか罰せられず、会社が不祥事を起こしたとしても、刑事責任を負えないんです。

Q:その環境を会社がつくったとしても?

そうです。企業には、法人格という人格があります。法は、株式会社に人格を認めておきながら、その人格に対して刑事責任を負わせることができません。

Q:違和感を覚えました。なぜだろう?

これ、おかしいんですよ。ずいぶん前の話ですが、日本の大手自動車会社がリコールをしなかったことで、痛ましい事故が続きました。民事による賠償ばいしょうはされましたが、それは、お金で解決することを意味しています。民事では、善管注意義務違反ぜんかんちゅういぎむいはんというんですが、管理者全員における責任をたせていないことで処罰しょばつの対象になります。先ほど言ったように企業(法人格)という存在は、刑事責任を負うことができないので、当時、その日本の大手企業の経営層(個人たち)が刑事責任を問われました。でも、問われた刑事責任の内容は「1人当たり数十万円の罰金、以上」です。ありえないじゃないですか。トラックの運転手が、頑張って働いていて、故意ではなく不慮の事故であったとしても、人を死なせてしまうと、それは当然、罪に問われるわけです。一生、交通刑務所で過ごしたり、数億円の負債を抱えたりします。そうしてつぐなうわけです。しかし、株式会社という法人が刑事責任を負うことはありません。しかも、そのほとんどの場合、経営層などの、上の人は自ら責任をとらないわけです。場合によっては責任を役職者に押し付け、トカゲの尻尾切りのようにクビにし、問題を解決したように見せます。いやいや、ちょっと待ってくださいよと。法人として起こした事件なので、責任は法人にすべきではないですかと。でも、そうならないんですよね。問題の根本は法律の不備にあると僕は考えています。この問題は、根が深いです。力学として、株式会社は暴走する宿命にあるのだと感じます。だって、そのほうがもうかるんですから、みんな暴走していきますよ。

Q:3つの問題点を解消する方法として、武井さんは何かアイデアをお持ちですか?

僕は、資本主義が限界を迎えているという認識です。CO2などの排気ガス排出量を誤魔化ごまかす日本企業が以前に続出しました。これは、もとをたどると資本主義が問題です。株式会社に無限成長を求め、人格を認めた法人格に刑事責任を負わせることができない状況だと、追及されないので、無自覚な場合も含めて企業は暴走してしまいます。言葉を選ばずにいえば、倫理や道徳に反することをしたほうがもうかるわけです。この構造を資本主義は許してしまっている。その経済システムのなかで上手うまくやっていくために、企業は自分たちの組織構造をアジャストさせてきました。これが現状です。

Q:どんな組織構造ですか?

ヒエラルキー構造です。

Q:ヒエラルキー構造にも問題があると?

ヒエラルキー構造は、機能するときと、そうでないときがあって、構造そのものが問題という認識ではありません。さかのぼると、資本主義の日本において非常に機能していた時代もありました。しかし、いまの時代は機能していません。成長が限界に達しているにもかかわらず、無理を強いられているのでおかしくなり、機能不全を起こす側面が大きくなったのではないか、というのが僕の問題意識です。

Q:どんな時代にヒエラルキー構造は機能したんでしょう?

社会が拡大していたときです。

Q:具体的にいつ、というのがあれば教えてください。

僕は、終戦の1945年から90年代前半くらいまでと考えています。

Q:いわゆる、高度経済成長期からバブル期くらいまで?

そうです。その期間は、日本のヒエラルキー構造は非常に機能していたといえます。

Q:理由を教えてください。

社会が拡大しているとき、私たちは暴走による問題をすべて巻き込めます。逆説的にいえば、90年代前半くらいまでなら、ヒエラルキー構造の組織で働く人の幸福度が、もっとも高かったわけです。その絶頂がバブル期といえるでしょう。社会も企業も個人も拡大している時代では、上司や部下が暴走しても、それ以外のみんなも暴走しているから、自分も暴走できます。誰も気にしません。社会全体が成長しているし、自分も気にしないんです。自分も他人も出世していくからです。でも、成長が終わった市場や環境、業界、企業においては、以前のように出世しません。個人も企業も、頭打ちになります。そうなると、それまで暴走していた人たちが機能不全のとなり、組織内で異変が起こりはじめるわけです。

Q:暴走について。いまから3年ほど前に聞いた話を思い出しました。70歳を超える1人の漁師が、琵琶湖びわこの現状をなげいていた話です。ふなって60年になる漁師のうったえです。

いま琵琶湖びわこでは、ふな寿司の原料である魚のふなが獲れなくなった。もう琵琶湖びわこは死んだ。以前は貝や魚をたくさんることができ、とても豊かだったのに、1960年代からの60年間で、400万年の歴史があるこの湖は死んでしまった。通説では、外来種が在来種を駆逐くちくしたことなっているが、国策による、農薬の影響が大きい。でも、農家や農業を悪く言うつもりはない。皆が支持したし、しょうがない。消費者は、できるだけ安いものを。それに応えるため、生きるため、農家は国にしたがい、やった。国も後押しした。自分たち漁師も乱獲した。みんな共犯者だ。でも、119の川が流れ込む琵琶湖びわこには、それらの川に流れる、モノが集まってしまい、いまでは湖の底が汚泥おでいだらけになった。

これも、いわゆる高度経済成長期の話です。武井さんの話を聞きながら漁師の主張を思い出しました。私たちは物質的に豊かになりました。その弊害へいがいとして在来の魚やふなれなくなり、琵琶湖びわこの底に汚泥おでいがたまってしまった。環境や生態系を壊してしまったとしたら、それは豊かさを求めた私たちの、暴走に原因があったのではないだろうか。その社会構造に、私たちは気づくことなく、いまも加わっているのだろうか。ただ加わるだけではなく、これまで以上の力で走る必要があると「もっと力をふりしぼれ」「まだ行ける」そう誰かから、耳元でささやかれているのかもしれない。そう感じました。暴走は、組織のなかで、いまも続いているということでしょうか?

そうなりますね。

Q:話を戻します。成長が頭打ちになった社会では、以前のように暴走する人が組織のなかで機能不全を起こす。そうだとして、組織のなかでは具体的に、どんな異変が起こるんでしょうか?

たとえば、若くて優秀な人から会社を辞めるという事態です。強力なヒエラルキー構造の大企業で、その現実に危機感を抱く中間層が僕のところに、ずいぶんと相談に来ました。

Q:中間層とは?

30代、40代くらいのビジネスパーソンです。

Q:なぜ、中間層なんでしょう?

相談を受けるなかで僕が感じたことをお話すると、まず、中間層の上の年代は、多くが50代です。その人たちは、いまのビジネス環境だと60代で定年を迎えます。あと10年で逃げ切れるわけです。「自分の会社に課題がある」と感じたとしても異を唱えない。それによるハレーションを嫌がったり、自分の立場を捨てる覚悟で改革に動いたりは、もちろん、しません。危機に気づいても知らないフリで定年まで、自分の立場は安泰あんたいです。その思考自体を私たちが否定することは、できないと思います。同じ環境に置かれれば、誰もが同じように保身を考えるでしょう。自然な発想だと思います。でも、優秀な30代、40代のミドル層は、いまを犠牲にできない。「まだ20年ある」となります。その時間で何かできると、そう感じるんじゃないでしょうか。ところが20代は「ダメだ」と感じると、すぐに組織を抜けてしまうそうです。

Q:30代、40代が自社を変えたいと思っても、上の年代が邪魔をして組織が活性化せず、その起爆剤となる20代は組織のなかでそだつ前に姿を消す?

そこに課題意識を持つミドル層が大勢、ダイヤモンドメディアのオフィスを訪ねて来ました。

Q:なぜ、彼らは武井さんを訪ねて来たのだと思いますか?

僕に共感してくれているからだと思っていました。

Q:それは不動産業界の人?

いえ、多岐たきにわたります。日本の大手電機メーカー、大手ガラスメーカー、金融機関、省庁関係者などなど。海外からの来訪もありました。韓国から来てくださったのは、世界的な財閥ざいばつ企業です。みな「どうやって組織を変えたら良いですか」と口をそろえます。彼らは例外なくミドル層で、抱く危機感は強かったです。どんな危機感かといえば「若くて優秀な奴ほど辞めちゃうんですよ」です。みんな、一様にうれいていました。

Q:国内に限った話ではなく、コロナ以前からあった問題意識でもあるんですね。どんなアドバイスをしたんですか?

具体的なアドバイスをできるわけではありません。できることがあるとすれば、対話です。僕は、相手の話を聞いていくうちに、世のなかの動きというか傾向というか、向かうべき先がぼんやり見えてきました。それは偶然にも自分が「進みたい」と感じていた方向です。いま僕は、そちらの社会像を目指しています。自らの脚で向かうし、向かう先の世界を自らの手でつくっていきたいんです。それが、ほかの人よりも少しクリアに見えているだけ。感覚的な話です。

こういう感じだろうな

そんな世界観があります。でも、これって、ありがたい話だと思うんです。

Q:ありがたいとは?

これまでのビジネスで、巨大なC to C事業をつくって会社を上場させたとか。日本中のみんなが使うサービスを開発したとか。数百億円の資金調達をしてユニコーン企業を生み出したとか。そんな実績が僕にあるわけではありません。小さなベンチャー企業で、自律分散的という変わった組織をデザインしてきただけで、まだ何も僕は成しげていません。にもかかわらず、そんな僕に声がかかるんです。「武井さんの話をちょっと聞かせてほしい」そう言ってもらえるのは、僕が持つ世界観に共感してくれる人がいるからだと思っています。

自分だけじゃない
1人じゃない

そうした自信にも、つながりました。見ず知らずの他人で、これまで接点がなかった人が、同じ想いから僕に声をかけてくれるわけです。仲間ですよね。ありがたい。その人たちと一緒に、そちらの世界、社会、経済、組織、コミュニティを僕はつくっていきたいと思っています。つくるだけじゃなく、自らの軸足もそちらに置いて。そうやって突き詰めていくと、いつも1つの壁にぶつかります。それがまた、いまの資本主義の難しいところであり、僕が向かう世界観においてきわめて重要な部分でもあります。

Q:1つの壁とは?

所有権です。

英雄なき革命が、ポスト資本主義をもたらす

大前提として、いまの社会では、株式会社は誰かの所有物です。

Q:株主?

そうです。株主のモノなんです。法人格としているくせに、会社は現状、誰かのモノなんですよね。法人格とは、会社に人格が認められていることを意味します。では、人格が何かというと人権です。人権が何かというと、誰かの所有権から外れること。

Q:人格を認められた法人が、誰かに所有される現状に違和感がある?

めちゃくちゃありますね。昔は、人を支配し、持ち物として奴隷どれいを持っている人がいました。基本的人権は、生存権、私有財産権を国が絶対に守ることなんですが、奴隷どれいは、それらの権利がおびやかされた存在だったんです。誰かに所有権をにぎられていました。これと似たようなことが資本主義における株式会社で起きていると、僕はとらえています。 

Q:私有財産権とは?

ひらたくいうと4つの資産に分類できます。

  • 金融

  • 現物

  • 現金

  • 人本じんぽん

人本じんぽん資産とは、人を収益還元法の視点で扱うことです。金融では、年収を逆算して、その人の生涯年収を割り出したとき、生涯年収=その人の資産であると考えます。たとえば、僕が誰かに3億円を貸したとします。その人の60歳までの生涯年収は、3億円です。「では、あなたの人生は僕のモノですね。その代わりに借金をチャラにします」この考えかたで奴隷どれいは扱われ、いま僕たちは、その考えで会社を扱っているのが実態です。もとをたどれば支配構造に問題があるわけで、僕は、人間世界に分断を生んでいる原因は所有権だと気づきました。

Q:分断の原因である所有権が資本主義の欠点であり、武井さんが向かおうとしている世界では、なくしたい?

その通りです。所有権が強いものに何があるかというと株、土地です。世界中の大金持ちは所有権を持っている人であり、それは株主か地主です。どちらかの、ぬしになるためのゲームが資本主義です。このゲームにおける勝ち組とは、持たざる者から持つ者へ変わることを意味します。持つ者になりたいから、創業社長になって株式を上場させることに、多くのベンチャー企業経営者が必死になります。いまの資本主義社会における、成功者になれるからです。

Q:いまの武井さんは、成功者に魅力を感じない?

感じません。

Q:興味や関心もない?

お金をたくさん持っている人を見ると、うらやましいなあとは正直、思います。ただし、興味や関心でいえば、僕は自分を『平成という時代に上場企業をつくった人たちの、次の世代の人間』だと思っています。僕らの世代が担っているのは、資本主義ではない世界観そのものを生み出すこと。新しいパラダイムの創造です。

Q:社会主義や共産主義とも違う?

違います。それらも不完全で、いまの時代では機能不全を起こすイデオロギーだと考えています。

Q:〇〇主義、のような言葉なのか概念なのか。一体、どんなモノなのでしょうか?

ポスト資本主義があるならば、それは、そもそもの枠組みや構造が、資本主義とはまるで異なると考えます。資本主義のなかに新たな企業やサービスを生み出し続けても、それは資本主義のメカニズムを踏襲とうしゅうした何かでしかありません。僕はそう思っていて。難しい挑戦だと理解してはいますが、100%ではないにしても、できるだけ資本主義の力学にしたがわず、何かを生み出したいんです。それこそが新たな社会創造だと信じています。

Q:武井さんは、革命家を目指しているんですか?

いやいやいや、目指していません笑。でも関心はあります。

Q:革命家に関心がある?

『次の社会がどう生まれるか』そのプロセスに関心があります。いまの僕は組織、コミュニティづくりをいろいろなトコロで、やっています。それらすべては人の集合体であり、人間関係のデザインです。それをどうデザインするか、というのプロセス次第で、つくられる社会は違ってきますからね。

Q:武井さんは、次の社会像をイメージできているんですか?

おおよそは。

Q:聞かせてください。

互助ごじょの機能が、しっかり働く社会です。僕は、勝手に次の時代では、持続可能性が優先されると思っています。持続可能な社会において何が重要かといえば、中央集権ではないことです。求心力があるカリスマみたいな人がトップに立って「次の世界はこうだ」と叫び、ゴロっと世のなかをひっくり返すようなものは持続可能ではありません。クーデターのように革命を起こすプロセス自体が、中央集権的です。持続可能な社会を中央集権でつくるというのは、僕には矛盾した話に聞こえます。

Q:革命のようなことが今後、起こるとして、それはどんなプロセスなんでしょうか?

あるとしたら……自律した個人が、草の根活動をやり、それが各地で分散して起こるプロセスであるように感じます。これを僕は『英雄なき革命』と呼んでいます。順序があるとするなら『1人ひとりが、どんな生きかたをしたいかを探る』の総和によって形成される変化です。そう考えると、まずは1人ひとりのマイノリティが、つながることが大事だと思っています。つながって、個人同士で助け合える関係性です。そこでは自分らしく生きる人たちが、自分の活動をインターネットやSNSなどで発信することが欠かせません。その総和が新しい社会を結果として生み出すのであり、自律分散的に個人やコミュニティから、ジワジワはじまる変容が各地に点在する。それがポスト資本主義における変化かなと。

気づくと
なんとなく社会が変わってきた

そんな、パラダイム・シフトです。幸いにも僕の周りでは、まったく違う環境にいる、さまざまな立場の人たちが、各々のアプローチで、その世界観を目指しています。きざしの1つといえるのは、ブロックチェーンに代表される自律分散的なテクノロジーです。これは、ダイヤモンドメディアを創業した当時の僕の周りには皆無でした。でも、いまは違います。

Q:ポスト資本主義、新しい社会のアイデアについて、もう少しお聞きしたいです。何かキーワードを1つだけ挙げるとするなら?

1つだけ、ですか……。そうですね、やっぱり所有権ですかね。それに振り回されない世界。繰り返しになりますが、人間の分断は所有権という概念が原因だと考えています。だから僕は所有権をなくしたい。

Q:人間のいさかい、分断をなくしたいと?

もちろんです。所有権をなくすとは、お金のない世界の実現を意味します。これは道のりが相当に長いです。僕が生きているうちに、ギリギリ、実現するかしないか。少なくとも今後20年、30年の間に、お金をなくすことはできないような気がします。

Q:実現のために時間がかかる?

かかりますね。僕がいた不動産業界を例に挙げると、お金をなくすには、不動産の法律をすべて変えないといけません。乗り越えるためのハードルが、どれほどの高さであり、その数がいくつあるのか。関係する個人、企業、業界団体、官公庁、法律がからみ合っている実態もわかりました。前述したように所有権が強いものに株、土地がありますが、いずれも不動産業界と密接です。こうした事情があるので、既得権益も強大です。

Q:突破口となるようなアイデアは?

不動産業界には『土地を所有する』という概念が、非常に根強く残っていますが、これは今後、少しずつ『共同所有』の概念に変化していくのではないかと考えています。所有の反対は『公有』であり、共有ではありません。そこへたどり着く前に、共同所有の概念をるのではないだろうかと。何に端を発したアイデアかというと「本来、土地を持っているのは、どこか」そんな発想です。

Q:国が土地を持つのが本来、ですかね。だから、公有が望ましい?

考えかたの方向性はそうなりますが、本来、土地を持っているのは地球であるとする考えかたもあります。この概念にもとづいて行動する実践者も現れ、少しずつ増えています。

Q:たとえば?

パーマカルチャーやエコビレッジのコミュニティをつくる人たちです。

Q:パーマカルチャーとは?

自然の摂理にのっとって、純粋に生きている人たちです。エコビレッジをつくっている友人が沢山いて、彼らのコミュニティを僕は何度も訪れています。無農薬野菜、オーガニックなモノで生きようとし、ベジタリアンであることも多い。農業を中心に自給自足をしているコミュニティがあって、いま僕が住む世田谷にも数名の実践者がいます。

Q:質素な生活で十分だと?

というよりは、何かの犠牲の上に生きていたくない、地球を壊したくない、という感情や信念にしたがっているだけだと思います。その思いに水を差すのが、所有の概念であり、お金です。現代社会を分断している要因をたどると、最後は、お金に行き着きます。お金で人間関係が分断されていくのは、やっぱりおかしいですよ。

Q:それは、人がお金=豊かさを求めて競争し、奪い合うからですか?

そもそも『豊か』とは、お金を持っていることではないと思います。パーマカルチャーにおいても、豊かさには9つの資本があると定義されています。

出典元◆https://www.instagram.com/p/CDvO5pzjRTZ/
  • 金融

  • 物理的

  • 精神的

  • 知的

  • 文化

  • 経験

  • 社会

  • 生命

  • 余裕

いまの資本主義は、最初の2つの資本だけで成り立っています。

Q:金融資本と物理的資本?

そうです。しかし、パーマカルチャーでも大切にされているような、残りの7つの資本を本来、私たちは持っているわけです。それなのに、その7つを資本主義は扱えません。精神的資本、知的資本、文化資本、経験資本、社会資本、生命資本、余裕資本が私たちの目に見えないからです。

Q:見えないと、7つの資本はどうなりますか?

毀損きそんされます。

Q:なぜ?

『金融資本と物理的資本だけを見る』で生きるよう強制されると、ほかの価値を無視してしまうからです。そうすれば迷わず、見える価値を量産できます。夢中になれるわけです。これも暴走のメカニズムです。手に取ることができない資本であっても、そこに僕たちは価値を感じるじゃないですか。パーマカルチャーでいうところの社会資本を僕は、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)と呼んでいますが、要するに人間関係です。目に見えませんが大切ですよね。

Q:私たちは目に見える資本だけを扱い、それ以外の多くを見捨てている?

それをいられていると、僕は考えています。

Q:いられる構造のなかで生きている?

そうですそうです。そもそも、いまの資本主義は金融経済をふくらませるために、「あなたたちは足りていませんよ」というメッセージを植え付けます。お金、洋服、見た目の良さなどが足りず「あなたは不完全な人間です」そんなメッセージが前提です。不完全さをおぎなうために「これを買いませんか」と資本主義は言い寄ります。これを方法論で発展させるのがマーケティングです。適切な広告があることを否定しませんが、率直に言うと、マーケティングは基本的に、不必要なモノを売り込むためのマインドウオッシュや脅迫きょうはくです。

Q:目に見えない資本は無駄。いるか、いらないか、にかかわらず「とにかく目に見える金融資本と物理的資本を大切にしろ」そう押し付けられている?

そうやって不用品を売り込むマーケティングの本質は、マーケットの対義概念にあたるコミュニティから整理できます。

Q:マーケケットの反対がコミュニティ?

この話は僕が個人的に研究・勉強した範囲において、どこの文献にも書かれていない考えかたです。僕が勝手に構造化した理論であり、独自の考えなので、それを前提にお聞きください。

Q:わかりました。教えてください。

僕がかかわる会社に、eumoユーモという会社があります。経営理念は『共感資本社会の実現を目指す』です。新しいお金の概念やコミュニティ通貨をつくり、そのお金に期限をもうけて、循環経済や共感資本社会を創造したいと考えています。そのようなお金をデザインするために、僕が取り組んでいる1つが、お金の歴史を自分なりに勉強・研究することです。方法は、本を読んだり専門家と対話したりです。そうやってお金の歴史をひもとくと、面白いことがわかります。大昔の話です。150人くらいの部族がありました。彼らの暮らしのなかに、まだ、お金は存在していません。部族の人たちは、お互いに誰が誰なのかを知っていて、素性がわかっています。同じ部族のなかで暮らしているから『信用(クレジット)』が担保されている状態です。これを『顔が見える関係性』、その集団を『コミュニティ』と呼びます。コミュニティとは、1対1の関係が広がっている総和のことです。1つのコミュニティに、あまりよく知らない人がいても、その人と、自分が知っている知人を介して、顔と名前が一致する集団です。すると、こうなります。

A さんと B さんが、つながっている。自分は、A さんをよく知らないけど、自分は B さんを信用している。自分が信用する B さんが「 A さんは信頼できる人だ」そう言っているから、自分も A さんを信じよう

つまり、コミュニティとは、そこにいる人たちの間にある、顔と名前を知っている関係性を意味します。これに対し、マーケットは顔と名前が一致しない関係性です。株式市場で考えてみてください。株のもうけかたは、株をできるだけ安く買い、割高のときに売るものです。その差益をみんなが求めます。専門用語でいうところのキャピタルゲインです。その差益でもうけると、反対側で、必ず損をする人が生まれます。それがもし、マーケットのなかではなく、コミュニティのなかで起きていたらどうか。

Q:取引をする相手が、自分の知り合いならどうか、ですか?

そうです。もし、顔が見える関係性なら「相手(知り合い)を損させて自分だけ得しよう」とは、あんまり思わないじゃないですか。数人の友達で出資して会社をやりましたと。友達の誰かが大損し、自己破産したのに、自分だけが1,000億円をもうけても、あんまりうれしくないですよね。それなら、得したぶんを均等に分配すれば良いじゃないですか。顔が見える関係性があれば、馬鹿みたいに大儲おおもうけしようとは、なりにくいわけです。でも、いまは、そうなっていませんよね。これは資本主義の、構造が問題なんです。いまのままの市場取引では絶対に解消されない問題です。

Q:どうして?

株式市場は、市場のなかに、みんなで株を出し合って、それを売ったり買ったりしています。ここでのポイントは、誰かに売ったり買ったりしていない点です。マーケットに売ったり買ったりしているのであって、顔が見える誰かが、いません。株などを売買するときの取引形態には、市場取引、相対取引の2つがあり、前者には取引をする誰かが存在しません。相手がいないので、誰が損をしているのか見えないんです。だから、損した人の痛みを無視して、得をし続けることができてしまう。市場取引は絶対に富の格差を解消できず、損する人と得する人を生み出します。それを裏付ける法律の1つが、独占禁止法です。この法律の存在そのものが、いまの市場経済のバグを意味しています。「自由にやってOK」となっているにもかかわらず、どこか1社がシェアを独占すると「消費者の不利益になるからダメです」といい、国が介入するわけです。それのどこが自由にやってOKなのかと、僕はたずねたい。これが資本主義や新自由主義、ネオリベラリズムと呼ばれる現代社会です。反対側には共産主義や社会主義があるとされてきました。国が、全員の報酬ほうしゅうを同じにすれば良いという、対立構造としてのイデオロギーです。それに失敗し、時代は資本主義になって、僕たちは物質的に非常に豊かになりました。でも、行き過ぎた。資本主義とは、とどのつまり貨幣優位の経済です。これを進め続けると、環境や人権が毀損きそんされます。僕は現状を見過ごすことができません。どんな現状か。先ほどの例で説明すると、150人くらいの部族のなかの誰かが、外のコミュニティへ向かうとします。知らない人たちと物を交換するのが目的です。でも、相手が、どこの(部族の)誰だか、わからない。顔と名前が一致しない関係であり、日常的な接点を持たない相手です。普段、顔を合わせない関係だから「じゃあ、この場限りで、うらみっこなしね」という交換ルールとして、お金は生まれました。お金には、等価交換、同時精算の2つの機能があります。知らない人たちと売り買いをして、できるだけ自分が得をするように交渉する場がマーケット、市場です。この現状、構造から考えると、マーケティングの本質も見えてきます。あえて強い言葉を選びますが「自分の利益のために、知らない相手や、顔が見えない相手から、どれだけふんだくるか」の追求です。資本主義の現代で、マーケティングが花形の職種なのは、ぶんどる力が強く、派手で目立つからです。そうなりたい人や、それが得意な人が、他人の消費を駆り立てます。ガムの味はすぐに消え、破けないことは、ほとんどの服でもっとも重要視される条件ではありません。

Q:なぜ重要視されないのですか?

すぐに新しい商品を買ってもらうためです。ガムの味や服が長持ちせず、それとは違った条件を魅力的だと感じてもらうための、消費を駆り立てるための手法でもあります。ファッショントレンドは、顔が見えない、知らない相手の消費をうながすために、ファッション業界が仕掛けるマーケティングです。誤解を避けたいので付け加えますが、ファッション業界を否定しているわけではありません。「資本主義の構造が、そうさせている」その事実を伝えたいんです。

Q:それぞれの業界や、そこで働く人が悪いわけではないと?

もちろんです。

Q:問題は資本主義という構造にある?

あります。ありますが、資本主義そのものを否定するものでもありません。繰り返しますが、物質的な豊かさを僕らが享受きょうじゅできているのは、資本主義があったからで。ただ、行き過ぎているのではないか、限界に達しているのではないかという話です。

Q:限界に達したので、そうではない、これまでとは違う新しい社会をつくりたいわけですね? 自らも、そうした存在になりたいと。

そうです。世界を見渡すと、そうした企業も増えてきました。

Q:たとえば?

アパレル業界なら、パタゴニアが有名です。オランダで生まれた在宅ケア組織・ビュートゾルフもそう。先駆的な企業としてブラジルのセムコは世界的に知られています。ほかにも、アメリカには靴のECサイト運営をしているザッポスがありますし、イタリアにはFairbnbフェアービーアンドビーというプラットフォーム・コーポラティブスも生まれました。

Q:プラットフォーム・コー……なんですか、それ?

プラットフォーム・コーポラティブス。利益分配や所有構造そのものを社会に分散化させた、共同体のことです。コモンズ化された組織を意味し『共同体としての組織』という考えかたで、すでに日本では農業の分野で使われています。コミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャーと呼ばれるスキームで、地域支援型農業を意味します。特定の消費者が、生産者と一緒に農産物の種類を決めながら、そのコミュニティ地域に事前にお金を入れる仕組みです。

搾取さくしゅ構造から抜け出す『第3の出口戦略』コミュニティ・エグジットにふれる

出典◆https://fairbnb.coop/it/

Q:事前に、ということは前払い式?

それに考えかたは近く、サブスクリプション型ととらえることもできます。毎月、お金を特定のコミュニティにプールし、そこから作物の種や農機具、農地などを買ったり耕したり、時期になったら収穫したりして、そのすべてをコミュニティのメンバー全員で味わうわけです。つまりは、共同体としての事業体です。これをすると特定の消費者には『毎月の支払い』が発生し、これによって農家さんの収入が安定します。天候や収穫物の良し悪しに収入が影響されません。農協などにおろさないため中間マージンが発生せず、結果として良くなるのが、コストパフォーマンスです。Fairbnbフェアビーアンドビーも、そんなイメージの会社です。こうした共同体に着目した法整備は日本でも進んでいて、僕はとても期待しています。

Q:どんな法律ですか?

ワーカーズコープ法。2020年に制定され、今年(2022年)から施行されます。

Q:ワーカーズコープ法とは?

自分たちで出資し、自分たちで経営し、自分たちで働くという、労働・経営・出資者が融合した組織を認める法律です。これを用いれば、株主が労働者を搾取さくしゅする資本構造から抜け出せます。設立にあたって準備は現状、非常に面倒で、実際にやろうとするとかなり大変だと思いますが、ワーカーズコープ法が日本で制定された流れに、とても大きなトレンドを感じます。その先行事例の1つが、Fairbnbフェアビーアンドビーです。ヨーロッパでは数十年ほど前から存在する制度で、共同体の概念も日本に比べ、とても強くなってきています。それらをプラットフォーム・コーポラティブス協同組合と呼び、プラットフォームに参加する労働者、経営者、出資者などの属性に留まらず、共同体の一員として全員がかかわろうとするものです。背景には、『だつ資本主義のために、資本の分散化と民主化が必要である』とする考えかたがあります。社会にとって良いことやろうという単純な話ではありません。

Q:Fairbnbフェアビーアンドビーとは、どんな会社なんですか?

ビジネスモデルがAirbnbと、ほぼ同じです。違いは何か。社会課題を解決するためのビジネスであり、利益の50%を地域に還元する点にあります。これは、もとをたどると、Airbnbなどの巨大なプラットフォーマーが、地域経済を壊してしまう現実と関係しているんです。Google、Apple、Meta(Facebook)、Amazonなどの『GAM(F)A』に代表されるような巨大プラットフォーマーは、資本主義の力学をたくみに生かし、僕らに便利なサービスを提供してくれる事実がある他方で、新たな搾取さくしゅ構造を生み出す権力者として、彼らが君臨くんりんしてしまっていることも否定できません。Uberなどの新たなプラットフォーマーにしても同じような背景があるため、好ましく思わない人は一定数いるのが現実です。

Q:好ましく思わない人が一定数いるのは、犠牲ぎせいの上に成り立つサービスだから?

マクロな視点でいえばそうですが、ミクロ経済では、すでに実害が見過ごせないレベルにきています。イタリア以外なら、たとえばフランスです。Amazonのサービスが、ガンガン入ることで、フランスではパリを中心に、地域に根付いた個人書店が経営危機におちいっています。フランス人に愛される街の個人書店は3,000店以上ありますが「それらの地域経済が壊されている」という指摘です。巨大プラットフォーマーのサービスは非常に便利で素晴らしいと思います。利便性が高く、僕も頻繁ひんぱんに利用します。しますが、結果として一部の株主だけが大金持ちになる仕組みの上に成り立つサービスであることは否めません。そこで、プラットフォーム・コーポラティブスやワーカーズコープ法です。Fairbnbフェアービーアンドビーなら「利益の50%を地域に還元する」と約束していますし、そもそも、みんなで出資した『持ち合い型』の組織になっているので、百歩ゆずって、このサービスがものすごい企業価値になったとしても、誰か1人だけが大金持ちになることはありません。既存の搾取さくしゅ構造から抜け出た仕組みを前提に成り立っています。これは真に、社会にとって、すごくフェアな仕組みだと僕は思っていて。プラットフォーム・コーポラティブスやワーカーズコープ法の存在は、もっと広く知れ渡ってほしいです。

Q:GAM(F)Aを利用することへの警鐘けいしょうですか?

それは誤解です。加えて、彼らの存在を否定するものでもありません。僕は、選択肢が少ない現状をずっと問題視していて、新たな選択肢としてプラットフォーム・コーポラティブスやワーカーズコープ法の存在を多くの人に知ってほしいんです。Fairbnbフェアービーアンドビーのようなビジネスが、すべてだと主張したいわけでもありません。従来の競争経済があっても良いし、助け合いの経済があっても良いし。持続可能な社会における経済とは、ときと場合に応じて、使い分けることができる選択肢があることだと考えています。とくに「これからベンチャーを起業したい」と思っている人たちに伝えたくて、なかでも、ソーシャルな領域でスタートアップを考えている経営者には、この選択肢の存在を知ってもらいたいです。

Q:なぜ?

現代に残る社会問題は、既存のビジネスのりかたでは、もはや解決できません。本当の社会問題は、いまのビジネスでは解決できない領域に山積しています。この現実を目の前にしたとき、企業価値をつり上げ、高値で売り抜ける選択肢は、ソーシャルビジネスの性質に馴染なじまないと思うんです。いままでの資金の集めかたでは、最後は「IPOかバイアウトか」の2択になりがちです。それはつまり「じゃ、何がもうかるの」「それはもうからないから止めよう」という、お金の力学に引っ張られることを意味します。でも、ソーシャルビジネスはもうけることが最大の目的ではありません。ここが、いま、ゆがめられてしまっていると思っています。そうしたとき第3の出口戦略として、選択肢として、僕はプラットフォーム・コーポラティブスやワーカーズコープ法などを用いた『コミュニティ・エグジット』の考えかたがあっても良いんじゃないかと思うんです。

Q:イタリアのFairbnbフェアービーアンドビーや、日本のワーカーズコープ法の存在は、資本主義における、搾取さくしゅの構造から抜け出る新たな一手。それは、次なる琵琶湖びわこの漁師のような存在を生み出さない手立てにつながりますか?

つながります。日本の過去を振り返るなら、高度経済成長期に、現在からすると『負の遺産となるような制度』が、たくさん設計されました。それを現代社会で繰り返さないためにも、何度も申し上げますが、多くの、とくに、ソーシャルビジネスの起業を考えているスタートアップ経営者には、是非とも知っていただきたい選択肢です。

Q:負の遺産となるような制度設計とは、何ですか?

不動産業界の事例を挙げると、たとえば、建物の耐用年数の設定があります。なぜ、木造住宅の減価償却げんかしょうきゃくが22年なのかというと、国策として大量生産、大量消費をし進めているからです。スクラップ&ビルドで再度、建て直しをうながすための単なる税制上の都合です。

Q:22年が構造上の限界ではない?

そうです。パワービルダーと呼ばれる住宅メーカーが、20年くらいですたれるデザインの家を建てさせらているわけです。そうではないメーカーも当然、存在しますが、マジョリティは違います。多くの木造住宅は20年後に時代遅れのデザインとなり、減価償却げんかしょうきゃくが終わる仕組みです。そこで、建て直しやすくするためだけの話です。

Q:ほかには?

住宅ローンの35年の数字の根拠にも、似たような話があります。木造(22年)、鉄骨造(34年)、RC造(47年)の順に耐用年数が長くなるなかで、中間の鉄骨造に住宅ローンの年数をそろえたという話です。新卒で入社した3年目の25歳で家を買い、35年ローンが定年の60歳で終わる。すべては『型』にはめて設計されただけです。その型を優先する町づくりをすればするほど、町は、つぎはぎになります。

Q:つぎはぎ、とは?

代表的なのが、タワーマンションですね。

Q:タワーマンションが、つぎはぎ?

あそこでは、顔が見えない関係性がはぐくまれます。これを危惧きぐした自治体が神戸市です。神戸市はタワーマンションの建設を一部、規制しました。

Q:神戸市で何があったんですか?

神戸市は、以前、住民アンケートをとって、神戸の町をどうしたいか意見をつのりました。すると、タワーマンションの住人からの回答率が、いちじるしく低かったんです。これが何を意味しているかというと、町に対する参画意識の低さです。この無関心さはタワーマンションに一因があって、地域性を持たない住人を生み出してしまう、構造なんですよ。マンション住民の、付き合いについてのアンケート結果を見ても『ほとんどない』と答えた人が6割、『あまりない』を加えると7割から8割が、マンション内や地域住人との付き合いを持ちません*5。そうした人たちや、そういう建物が町に増えたら、顔が見えない関係性も増えてしまうわけです。

Q:それで町はどうなりますか?

壊れますよね。極端にいえば倫理や道徳の崩壊が起きて、最悪の場合はディストピアみたいになっていく恐れも。

Q:なぜ?

分離、分断をうながすデザインだからです。都市学や構造学を研究してわかったんですが、町は、所有者と利用者が分離しているほうが汚れていきます。マンションも同じです。分譲マンションよりも賃貸マンションのほうが汚れます。住んでいる人が利用者であり、所有者ではないからです。これが現代だと、都心を中心に「共同のゴミ捨て場が汚れている。おれらは金払って住んでんだから管理会社が掃除しろよ」となります。

Q:自分の家、地域じゃないから?

自分の家、地域、町という意識も感覚もないわけですが、同時に事実でもあって。利用者にとっては実際に、自分の家(所有物)ではありませんよね。これは人のつながりを断って、細かい関係性を増やすデザインです。関係性を細分化したほうがお金になります。お金は中間流通のなかに存在し、人間同士のかかわりを断って関係性を区切り、人間関係でやらずにお金でやるわけです。これを僕は『公衆トイレが汚れる理論』と名付けました。公衆トイレは、みんなの税金でつくられているのに、多くの人は汚れていても自分が汚しても気にならないですよね。自分が払う税金でつくられているのに、です。なぜか。プロセスにかかわっていないからだと考えます。

ここにトイレ、あったらいいな

そう思って「お金を出して、ここにみんなで設置しよう」となれば、完成したトイレを決して、いい加減には扱わないはずです。むしろ大事に使うんじゃないでしょうか。でも、多くの現状は違いますよね。

汚れているのに区は何をやってんだ

この町の役所は仕事してない

こっちは税金払ってんのに、けしからん

同じお金を払うなら第3者に業務委託しましょう

それならコンペで値段の安いところに

そうなっていくわけです。値段が悪いところは質が悪い場合も多く「この事業者はどうなってんだ」となる。この悪循環は、構造に問題があるんです。人間関係を排除し、プロセスにかかわらない意思決定のデザインが悪循環を生み出しています。

Q:顔が見える関係性をはぐくみ、町をつくる過程に住人がかかわることで、好循環がデザインできると?

それが本来のコミュニティの姿です。町に対する満足度は、その町における知り合いの数と正比例しますから、顔が見える関係性が増えると人間の幸福度も上がるわけです。

Q:現状が、そうなっていない背景には何があると考えますか?

資本主義ですね。何度も繰り返しますが、決して、すべてを否定するものではありませんし、必要な変化だったと思います。ただし、ここまでの話からかんの鋭い人は、たとえば、日本の新築信仰が前述のマーケティングによるり込みと、金融政策からきていることさっするかもしれません。不動産領域と金融政策は事実、密接な関係性です。住宅ローンは新築のほうが圧倒的に優遇されます。そちらへ消費者が流れるのは当然です。それをなぜ国策としてめないか。政治が「経済はインフレさせないといけない」と思い込んでいるからです。いまの経済を止めたら大変になると思い込んでいるから、新築は中古よりも優遇され続けています。だから、どんどん、ガンガンと建つ。先進国で住宅総量規制をいてないのが日本だけなのは「それをすると日本経済が終わる」と不安におちいり、政治が二の足をんでいるためとしか僕には思えません。金融政策において大鉈おおなたを振るわず、ずっと、延命処置をしているに過ぎないですよね。この事態を新型コロナウィルスが加速させている、というのが僕の見立てです。いまの時代に本当に必要なのは『無理にインフレさせなくてもOKな経済システム』なんだと思っています。これまでの薄利多売はくりたばい、インフレ経済は、何かの犠牲ぎせいの上に成り立つ経済です。何度も言いますが、それはもう限界ですよ。これをeumoユーモの創業者である新井さんは嫌がっていて、それは僕もまったく一緒。そうした世界観をすでに持っている人たちのなかで流通させる『新しいお金』に、いまの僕は精力的に取り組んでいます。

Q:新井さん、とは?

鎌倉投信を創業した新井和宏あらいかずひろさんです。

新井和宏さん

新井さんは、世界最大級の資産運用会社で、ファンドマネージャーをしていました。当時、彼に任されていた運用額は十数兆円という規模です。金融業界で知らない人はいません。NHKの有名なドキュメンタリー番組にも取り上げられた人物です。

Q:eumoユーモとは?

説明するのが難しいんですが、キーワードを挙げるなら『いまのお金の反対をいくお金』です。そのプラットフォームをeumoユーモは提供しています。

Q:反対をいくお金、とは?

いわゆる、アプリ決済です。PayPay、メルペイ、LINE Pay、楽天ペイなどと同じで、eumoユーモは、スマホ決済サービスの1つです。1つですが、それらの普通のお金とは大きく違います。

Q:たとえば?

eumoユーモには、められない、くさる、面倒などの機能が意図的にデザインされています。これは、いまのお金が抱える欠点をカバーするような設計です。

Q:面倒で、められず、くさるお金……ピンときません。くさるお金などのアイデアはどこから?

それでいえば、アイデアは僕らが生み出したわけではありません。考えたのは、ドイツの実業家であり経済学者でもあったシルビオ・ゲゼルです。

彼は、人がお金の奴隷どれいになってしまうような貨幣システムに疑問を抱きました。その上で、パンや野菜などの商品と同じように、お金も少しずつ価値が減るべきだとし、現行の貨幣システムの代替案を何冊かの本にまとめています。1890年代ころの話です。この理論をもとにした『価値の減るお金』は実際に生まれ、使われた歴史があります。

Q:eumoユーモでは、価値が減ることをくさと表現している?

そうです。

Q:eumoユーモ以前に、くさるお金が存在した?

しました。1930年代前半に、オーストリアのヴェルグルという町で発行・使用されていた自由貨幣(地域通貨)が有名です。

Q:1930年代前半、日本は昭和一桁ですね。そんな時代にオーストリアで。どんなお金だったんですか?

労働証明書と呼ばれる紙幣で、その経済圏だけで使える機能を持っていました。ヴェルグルの町が独自に発行した紙幣です。1週間や1か月の期間で、紙幣の価値が減っていく(くさる)よう設計されていました。当時、世界中が深刻な経済恐慌きょうこうの時代で、地域経済もボロボロ。そんな時勢にあって、法定通貨の発行権を持つ国家につぶされるまでの1年間、『価値の減るお金』は、ヴェルグルの経済をあっという間に立て直し、町の失業率上昇を食い止め、改善までしたことでも知られています。通称『ヴェルグルの奇跡』です。「その概念をいまに再現するなら」そう考えたとき、新井さんたちは、ゲゼルの思想や地域通貨の良いところをIT化する発想に、たどり着きました。なので『くさる』『お金の価値が減る』という考えかたが、真新しいアイデアなわけではありません。

Q:まさか100年以上前にあった考えかたとは思いませんでした。eumoユーモの歴史も簡単に教えてください。

実証実験をスタートさせたのが、2019年9月。2回目の実証実験も終わり、すでにリリースしてあったスマホアプリを2021年7月にリニューアルしました。このタイミングで、eumoユーモは会社の代表を新井さんの1名体制から、創業メンバーの岩波さん(画像下の真んなか)と、僕を加えた3名体制に変更しました。

eumoユーモの共同代表3名。左から、新井さん、岩波直樹いわなみなおきさん、武井さん

2021年10月には、2度目のクラウドファンディングを実施。そのときは前回とは違い、株式クラウドファンディングです。3日間の募集期間に、かかげていた目標募集額を集めることができ、最終的には3,830万円という応募金額に達しました。出資してくださった株主は217名です。eumoユーモはIPOやM&Aを目指さしておらず、配当による利益分配を株主にしないことを定款ていかんに定めている、非営利型株式会社です。このような僕らに対して、投資家のみなさんからの期待や思いを改めて感じました。ちょっと話がそれますが、話していて思い出したんですが、株式クラウドファンディングの募集WEBページが好評で。

eumoユーモの概要がまとまっている

そんなポジティブな声をいくつもいただきました。予備知識をまったく持たない人に説明するのが難しい会社なので、株式クラウドファンディングの募集は終わっていますが、eumoユーモに興味があれば、そちらのWEBページを見ていただくと良いかもしれません*6。事業内容は大きく2つです(2022年3月時点)。ペイメントサービスであるプラットフォーム事業と、共感資本社会の醸成じょうせいへ向けた人財をそだてる教育事業です。教育事業は大企業との連携がすでに動き出し、プラットフォーム事業では地方自治体との共同プロジェクトがはじまりました。

Q:それが新しい世界観であり、武井さんが向う新しい社会像の1つ?

1つですね。分散化され、小さな経済圏であることが望まれます。実現のための要素として欠かせないのが地域通貨、コミュニティ通貨、カテゴリー通貨などです。

Q:それは、小さいコミュニティや、地域通貨の経済圏外では使えない?

使えません。

Q:困らないんでしょうか。不便というか。たとえば、eumoユーモが使えない経済圏では、どうすれば?

そうしたときは国が発行している法定通貨を使うんです。

Q:日本円ですか?

そうです。分散化され、小さな経済圏が生まれたとしても、日本円は残りますよ。そもそも、僕らは日本円に替わろうとしているわけではありません。

Q:共存すると?

eumoユーモの新井さんから言葉を借りると、それは多様性です。多様な世界が持続可能な社会だと考えます。多様であるといっているのに、物差しが1つだけなのは、おかしいわけで。それはお金にも当てはまります。日本円は当然あるし、eumoユーモがあっても良いし、それ以外の地域通貨があっても良いわけです。それが多様性ではないでしょうか。

Q:eumoユーモは、選択肢の1つを提示している?

それに近いですね。現実に戻って考えると『円』は非常に便利です。便利な日本円と密接な不動産を現在の資本主義で回すと自然環境、町、人間関係が壊れます。前述のように、高度経済成長期のような時代で人口が増えているときは、それでも機能します。ですが、2010年から日本の人口は減少の一途をたどっています*7。にもかかわらず、〇〇ニュータウン、タワーマンションなどの建造に歯止めがかかりません。それらがゴースト化していくのは当然で、冷静になって考えれば当たり前の話です。問題の根本には、お金の存在があると思っていて、eumoユーモは、その問題に取り組んでいます。

Q:人口が減っているのに、次々と新築が建つというのは、考えてみると不自然は話です。何が原因なんでしょうか?

個人見解ですが、新築規制の不在だと思っています。あとは、ITインフラの基盤がないのも根本的な問題です。そこに取り組む難しさは、先に説明した通りですが、難しいからといって見過ごすことが性に合いません。

Q:倒産を経験し、働く意味や会社が存在する意義など、本質的な何かと向き合ってきた武井さんらしいセリフですね。ここまで話を聞いて、そう感じました。武井さんのこれまでを振り返ると、音楽、アパレルメディア、不動産、お金などの土俵に、自分の立ち位置を移してきたわけですが、その変遷へんせんを振り返って思うこと、頭に浮かぶキーワードなどはありますか?

僕がやっていることは、僕のなかで全部、つながっています。とくに、ここ10年の出来事は濃密であり、2019年、2020年は転換期でした。eumoユーモの活動も同じ文脈です。本質を突き詰めると全部、一緒の世界観の話なんです。すべては、僕のなかでつながっています。

Q:つながっているなら、切り離さず、つながったままでも良かったのではないか。そんな疑問がわきました。ダイヤモンドメディア退任の件です。一般社団法人自然じねん経営研究会や、ホワイト企業大賞などの活動は、ダイヤモンドメディア在籍時からのかかわりで、現在も活動を続けているとお聞きしています。ところが、ダイヤモンドメディアでの活動を武井さんは終えています。終えただけでなく、顧問、アドバイザー、会長、株主などの立場でかかわることも選びませんでした。創業から、ベンチャー企業の代表を12年にわたり務め、退任してから2年半が過ぎたいま、改めてお聞きしたいです。社長を退き、会社とのかかわりの一切を絶ったのは、なぜですか?

「自分が向かいたい方角と違っただけ」創業社長を降り、その会社とのかかわりを絶たせた、もう1つの信念

ダイヤモンドメディアが10期目を過ぎたあたりから、とくに僕の活動や関心の領域が、会社の外に増えていきました。その活動と不動産テックベンチャーの社長である自分が離れていって。退任までの2年、3年くらいは正直なところ、もどかしい感覚がずっとありました。

会社のビジネスを通じて
自分がやりたいことを
できない

一方で、手ごたえもあったんです。

会社として
やっている事業には価値がある
社会の課題を解決する
 1つになっている

そうした確信めいた実感もあって。そんなあるとき、ダイヤモンドメディアは資本主義のなかでやるべきことを見つけました。「そのためにアクセルを踏んでいこう」と、社内で着地したんです。当時の僕たちは、自分たちの会社を人格を持った1人の人間としてとらええていました。会社を引き継いだ現・社長(元・同僚)と、よく話し合ったのは、ダイヤモンドメディアさんにとって何が良いかでした。一般に、企業は経営者のやりたい、になりがちです。その良し悪しをここでは脇に置きます。僕が目指す次の社会では、法人格という企業、そのは誰かの所有物ではなくなります。でも、資金調達が、ダイヤモンドメディアさんにとって良い選択だと心の底から思えたとき、ただただ、それは僕が行きたい方角ではなかっただけで。

Q:会社が行く先と、武井さん個人が行きたい先に、違いが生じた?

それに近いですね。正確な順序があったわけではなく、すべてが同時並行で起きた感じです。当時、僕はCommonsコモンズというプロジェクトもやっていて、そこでは『コムコイン』というコミュニティ通貨を発行していました。これは新しい経済圏をつくる活動です。

Q:いつ頃からCommonsコモンズのプロジェクトに、かかわるようになったんですか?

ダイヤモンドメディアを去る1年くらい前でした。

Q:2018年?

ですね。その頃には、若手官僚と社会課題の議論をするのが日常でした。そんな出来事が同時発生的に、どんどん増えていて。2019年のダイヤモンドメディア社内役員選挙を迎えたときは、そんなタイミングでした。このときは社内から次のような声がいてきました。

やっぱり、会社がどこへ向かうか、ハッキリさせないといけないんじゃないか

この問いかけからはじまって「(会社の)代表を変えてみては」という議題が上がり「じゃ、そもそも俺は立候補しないよ」と。

Q:それで、何が起きました?

問題提起をしたメンバーが社内選挙に立候補したり「それなら取締役が新代表を務めたほうが良いのでは」と意見が出たり。これをきっかけに僕は会社を去ることになります。でもそれは人間関係が悪化したからではなく、ケンカ別れでもなく。繰り返しますが、ただただ、会社の代表である僕と、僕個人の向かいたい先が違ったという話なんです。自分と自社が向かおうとする未来が違ったので、会社を社内のメンバーに任せ、僕は会社を離れました。それが自然なことに思えたので。

Q:立候補しないと宣言する前から、会社を去ろうと思っていた?

いえ、宣言したあとですね。

Q:積極的に辞めたいとは思っていなかった?

思っていませんでした。会社のことが好きだったし、事業にも思い入れがありましたからね。

Q:立候補しないと言ったあとに、会社を去るタイミングなんだと気づいた?

順序でいえば、そうなります。

Q:なぜ「立候補しない」と言えたんでしょうか。ご自身では、どう振り返りますか?

確信が深まったから、なのかもしれません。会社が向かう先に、何か良さそうな手ごたえがありましたし、でも、そのはた振り役を僕が率先そっせんしてやりたいとは思わなかった。

やりたい人が
やれば良いんじゃないだろうか

そう感じたときに心にあったのは、こんな感覚でした。

ああ
ダイヤモンドメディアで俺がやること
なくなったな

辞める意味なんて、当時はわかりませんし、それは、あとからわかるものですよね。14年前に1社目をつぶしてしまい、個人の働きかたや、従来の経営とは違う組織論に僕は傾倒けいとうするようになったわけで、その当時に、いまの自分を想像することはできません。同じように、会社の行くすえを話し合った経験が、あとになってどんな意味を持つかを僕は想像もしていませんでした。

Q:どんな意味を持ちましたか?

ダイヤモンドメディアを抜けたことは、最初に起業した会社を倒産させてしまった出来事と同じくらい、僕にとって、とても大きな意味を持ちました。「これからの僕にとって、価値ある経験となる」そう確信しています。

Q:当時を思い返して、覚えている感情は?

やっぱり、つらかったですね。

Q:「やりたい人が、やれば良いんじゃないだろうか」というセリフから、あまり悩まず、ドライな感情を想像していたんですが、あっさりそう思えたわけではない?

いや、まったくですよ。

Q:退任への葛藤かっとうがあった?

ありました。頭では「いまがタイミングなんだ」そう理解していましたし、僕がやりたいことは会社の外にあり、その割合のほうが大きい事実も客観的にわかっています。会社を嫌いになったわけでも、会社の仲間を嫌いになったわけでもありません。すべての可能性を探ることに費やしたのは、辞める前の3か月から5か月ほど。この期間は、まったく眠れませんでした。町を歩いていて突然、涙があふれてくることが2度、3度ありました。何とかしたいと思っても、できたのは毎朝毎晩、座禅を繰り返すことくらいです。

Q:あふれる涙は、悲しさ、寂しさ、むなしさ?

怖さ、不安ですかね。会社や誰かへの『うらみ、つらみ』ではなく、感情のいきおいというか、どこに向ければ良いかわからない、もどかしさなんですかね。当時も1社目のときと同じで『会社=自分のすべて』だったように思います。会社を去るとは僕にとって、自分のアイデンティティが死んでいく感覚で、その肌感覚があのときも確かにありました。

これはもう
死んじゃうかも、俺

そこへの言いようのない恐怖。あと、もう1つ覚えていますね。

現実問題として自分は
次の仕事を
どうやってカタチにしていくのか

妻と2人の子どもがいるにもかかわらず、僕は、具体的に次の仕事が決まっていませんでした。

お金は
大丈夫だろうか

そんな不安も脳裏をよぎりました。

自分には
自分が思っている以上に
不安があるんだ

そう自覚して。そんなとき、心の支えとなってくれたのが仲間でした。すでに、僕が向かいたい先の世界観をつくろうと活動している仲間たちです。

僕を受け止めてもらった

そんな感覚が、彼らに対して強くあって。そんな社会という存在のありがたみが身にしみました。

Q:当時を振り返って、学び、得たことに何がありますか?

すぐに浮かぶのは2つ。僕は、組織の探求と実践を自分なりに突き詰めてやってきたわけですが、そこでのテーマは『いかに、人に依存しない組織を自然な状態としてデザインするか』でした。これを研究して『そもそも組織とは何か』が、わかりました。人です。

最後の最後に行き着くトコロは
属人的なのだ

僕の場合ですが、社内メンバーの存在が、退任を決めるときに極めて重要だったんです。

やっぱり
この人だったら任せられる

それに気づくことができたとき、なんだか笑えましたよ。

Q:どうして?

重なり合う社会構造をポリモルフィック・ネットワーキングと呼び、これを日本語にすると、多形構造(たけいこうぞう)と訳せるそうで。僕のフルネームです。ダイヤモンドメディアで僕が取り組んだキーワードは、自分の名前そのものでした。

Q:『名は体を表す』が自分の身に起きて、笑えてきた?

その言葉と自分の名前の妙なつながりに気づいたとき、今世における天命というか宿命というか。そんなものを感じました。この話は自己紹介のネタですが笑、そんな僕がたどり着いたのは、組織とは単なる人の集まりだということです。人に依存しない組織を探求した結果に見出した答えは、組織は人だったと。この結論、なんだか笑い話みたいじゃないですか。これが学びの1つ目です。

Q:2つ目は?

落ち着いて考えてみれば、次の誰かが自然と現れる経緯けいい、流れは、自然界では当たり前で、循環なんですよ。自然の摂理を理想とする僕からすれば当然といえば当然で。そこに思いをせることができませんでした。一般に、社長が交代するときは権力を持つ人たちが次の社長を指名、任命するわけですが、そうではなく出てくるのを待つことの大切さ、その偉大いだいさを改めて学んだ気がします。

Q:もし、会社を任せられる人物が現れなかったら?

現れなければ、僕はダイヤモンドメディアを渡せなかったんだろうなと思います。さらに思うのは、その予感らしきものを退任の数年前から少しずつ、受け取っていたのだろうなと。

Q:何を受け取っていたと感じますか?

コモンズのプロジェクトや若手官僚と社会課題を共有する時間、そうした世界観です。その、流れに気づくことができて、受け入れられるようになっていくと、新しい気持ちが見えてきます。

中途半端に残るよりは
ここを
ターニングポイントにしたい

Q:だから、顧問や会長などのつながりを持つことを選ばなかった?

自ら手放した、そんなニュアンスが僕の感覚です。

Q:ケンカ別れや人間関係などが原因ではないと?

原因ではありません。後任の新代表とは、いまも仲良しです。ただただ、ダイヤモンドメディアにとっても僕にとっても、これからの社会にとっても、そうしたほうが良いんじゃないかなって。そこから僕の気持ちや人との関係性は、さらに広がります。その1つがeumoユーモの新井さんとの縁です。名前や存在を知ってはいましたが面識はなくて。だから会社を辞めることが決まってから、新井さんに会いに行きました。そうしたら新井さんから「武井君、一緒にやろうよ」って声をかけもらって。

Q:ダイヤモンドメディアを辞めることが決まってから?

そうです。正式に退任を決めたのは2019年7月のはじめころ。そのタイミングで、会社から完全に抜けると決めました。そのあと、知り合いに雑談や世間話の流れで退任の件を話すんですが、相手から「じゃ、武井さん。一緒に、なんかやりましょうよ」って言ってもらえることがチラホラとあって。同じ世界を実現したいと思っている仲間なら「もう、一緒にやるしかないよね」みたいな。人との縁、タイミングってあるんだなあと実感しました。

Q:社内選挙の仕組みは、そもそも、社長という自らの権力を弱めようと、武井さんが試行錯誤を繰り返してきた仕組み1つでした。ですが、その仕組みをいま振り返ると『創業社長の立場を自ら降りること』のハードルを下げる仕組みでも、あったように思います。社長を退任しやすくするための、自分のための仕組みでもあったというか。いかがでしょう?

社長を選挙で決める仕組みは僕にとって『立候補しないことで創業社長がスムーズに会社を去ることができる仕組み』であったのだと思っています。

あ、これ
出るタイミングだ

背中を押してくれた1つだったのは間違いありません。退任の件は、当時、SNSに投稿したんですが、いろんな人から温かい言葉をもらえて。そうした出来事にも、ずいぶんはげまされました。

自分で起業した会社を自ら辞める行為そのものが、武井さんが目指す世界観の1つだ

一貫している

自分の主張を退任で体現した

これらの言葉は非常にうれしかったです。僕は支配者になりたくないので、会社の株にもこだわりがありませんでした。後継者に額面でゆずったのも、そういった信念からです。もし僕が株を持ち続け、会長や顧問としてかかわるとなったら、それは所有権を手放さずに既得権益きとくけんえきをむさぼることを意味します。僕がもっとも嫌う行為です。

Q:いまの武井さんには、次の社会や組織のりかたは、どんな風に見えていますか?

経営オタクの僕からすると、株式会社の仕組みは、便利であることは認めつつも、終わったコンテンツである、オワコンに映ります。なので、そうではない、もっと、エシカルな株式市場があっても良いなあとは思います。ほかに、議決権の問題ですよね。物事を決める意思決定のルールは、プロキシファイトを辞め、『権利を主張する人を増やさない構造』の重要性を痛感します。そこには「自分は、こんな風にかかわって、こんなことを求めている」という、1人の当事者としての意見があるだけで、良い悪いなどの優劣がありません。そのために、どんなプロセスが必要なのかの要件も整理できてきました。

Q:たとえば?

アドバイス・プロセスと呼ばれるものです。「これをやりたいと思います、何かご意見ありますか」と、社内SNSへ投稿すると、やりたい人の思いを中心に、プロセスが生まれていきます。そこには従来の管理概念や受け身の姿勢がありません。これは、書籍『ティール組織』でも紹介されていて、すでに世界中に実践者がいます。

「国を自律分散型にしたい」新たな社会像のヒントをさぐる

Q:アドバイス・プロセスでは、やりたいと手を挙げた人を周囲がサポートするイメージですか?

サポートといっても「あなたがやりたいと言うソレは、危ないんじゃないのかな」という反対意見もあります。全部を受け入れて、最終的には「やりたい」と言い出した人が、主体者となって動く仕組みです。もしくはチームや場で議論をして着地させます。重要なポイントは、絶対に多数決を使わないことです。

Q:稟議りんぎがなかった、ダイヤモンドメディアでの仕組みに似ていますか?

そうですね。

Q:当時のように上手うまく決まりますか?

そもそも『決める』という概念は、あやふやです。意思決定は静的な切り取りに過ぎません。従来の議事録は「この会議には誰が参加していて、多数決で何票と何票。結果、この決議がとられました」というものです。本来は、そこに行き着くまでに、どんなやりとりがあったかが重要で。これを僕は、コンセンサス(合意)ではなく『コンテクスト(文脈)』と呼んでいます。「いろんな意見がちゃんと出た上で、議論し、これになりました」があれば、自分と違う意見であっても、言い出しっぺは納得できるわけです。でも、いまの会議体だと「これをやります」と決めて、そのプロセスをすっ飛ばしてしまうじゃないですか。もはや、かかわることすら、できません。コンセンサスが使われる典型的な例が政治です。見てわかるように、結果だけをつくろうとすると絶対にあらそいになるんですよ。

Q:武井さんが政界に興味を持てないのは、コンテクストを大切にできないから?

いまの政治の仕組みはヒエラルキー構造で、この仕組みは、先ほども言いましたが僕はオワコンだと思っています。できることなら国をティール組織のような自律分散型にしたいです。

Q:政治家から声かけられるのでは?

「一緒に政治を変えましょう」とかですか?

Q:そうです。それもない?

最近は、元国会議員のかたや現職の地方議員のかたなどから「やってよ」なんて社交辞令しゃこうじれいで言っていただけることは、ありがたいことにあります。

Q:でも、興味がわかない?

わかないです。第一に、僕が仮に政治の世界に入ったとしても仕組みを変えられないですからね。日本の政治はマイノリティだと変えられない仕組みです。僕ができるのは、議員さんの知り合いを増やして、彼らと、これからの社会や世界観を対話・共有していくことだと思っています。

Q:あちこに、武井さんのクローンを増やすイメージでしょうか?

というより――。僕が、正しいわけじゃありません。共感の話だと思うんです。

Q:共感の話とは?

僕の話や、この手の話題に興味を持つ人は「そっちのほうが良いじゃん」と、とてもシンプルな共感があるからだと思っています。でも、そこに正しさはない。eumoユーモの新井さんのセリフを借りると『正直者がバカを見ない社会』とか。これに共感するか、しないか。仮に共感するとして、そうした人たちの間には上下関係や優劣、成否はなく、あるとしたら役割です。その社会や世界を実現させるために何ができるか。オタク気質な僕は「じゃあ、そもそも、いまの資本主義が、どんな仕組みなのか」の解明から入ります。僕は、いまの時代や資本主義の仕組みをクリアにしているだけです。

Q:それが武井さんの役割?

学者でもないですけどね。それでも、僕の話を聞いた人のなかには「ああ、そうそう!」「そうだね」って、それだけの話です。たまたま、ほかの人よりも僕は構造化したり言語化したりするのが、好きなだけですよ。

Q:役割は人それぞれあると?

実務家として実践するのが得意な人がいれば、大企業の人たちと連係して社会をアップグレードするのが得意な人もいます。僕の知識は受け売りでしか、ありません。気づいている人は僕だけじゃなくて、ほかにもいっぱい、いますから。

Q:自分の話に共感が生まれるのは、どうしてだと思いますか?

一般に、経済の話と自分のお財布の話って、つながらないじゃないですか。でも、僕のなかではつながっているんです。僕のなかだと経済とは本来、循環することであって、なのに、なぜ『お金持ち』という言葉が生まれてしまったのだろうかと。現代社会でのお金持ちとは『ため込んで循環させない人』のことですから。英語にして考えるととらえやすくなります。

Q:英語にして考える、とは?

『豊かさ』の意味でリッチ(Rich)を使う場合がありますよね。誰も、マネーホルダーとは言っていないのに。

Q:誰が『豊かさ』と『お金』を結びつけたんですか?

さあ笑。でも、それが近代的な価値観です。この50年くらいで『豊かさ』に『お金』が結びついてしまった。それが悪いわけではないですが、弊害へいがいのほうが大きくなっていると言わざるを得ません。経済学者のなかには、次の経済をニューノーマル・エコノミーと呼ぶ人がいます。コロナを経験した新生活様式(社会)はニューノーマルと言われ、聞き馴染なじみがある人も、いるかもしれませんが、それは経済においても同じです。いまは、次の社会におけるスタンダード、新たな経済を生み出すタイミングなんじゃないだろうかと感じます。

Q:ニューノーマル・エコノミー、新たな経済とは?

過度なインフレやデフレをしない定常経済、循環経済です。それは、本来の姿でもあります。歴史を振り返ったとき、これまでの50年、60年間がおかしかっただけですよ。

Q:いまから50年、60年前のアメリカンドリームは、自由を手に入れることだった。それがいつしか、リッチになることがアメリカンドリームになった。そんな話を聞いた覚えがあります。現代人は自由になるために、お金、豊かさが必要なんでしょうか?

それまでは、貧乏人は貧乏人、お金持ちはお金持ちでした。出生の壁を越えられなかったわけです。能力主義が生まれて、努力次第で持たざる者から持つ者に成り上がれると。それが日本なら高度経済成長、アメリカではアメリカンドリームを追い求めた時代だったのかもしれません。必要な変化だったと思います。思いますが、いまの時代に必要でしょうか。

Q:ある哲学者は「人がねばり強く努力したとしても、その努力は、幸運な家庭環境によって生じるものであり、私たちは自分の功績であると主張できない」と指摘しました。出生による経済格差を日本では『親ガチャ』などと表現することもあり、関心が高まっているテーマの1つです。国籍を問わず、生まれながらの格差が存在しているのも事実です。武井さんは、それをなくしたいんでしょうか?

僕は、そもそも、持たざる者や持つ者という概念が、いまの社会のりかたに、そぐわないと感じます。みんな同じ地球に住んでいて、2022年のいまも貧困に苦しむ人たちが、日本だけじゃく世界中にいて。反対側には、使いきれないようなお金を持っている人もいて。「もっと循環させようよ」と僕は言いたいです。格差を循環によって平らにしていけば、誰もが、やりたいときに、やりたいことをいつでもできる時代になります。それこそが本当の豊かさだと思う。この話だけを聞くと、少し社会主義っぽく聞こえるかもしれませんが、僕が伝えたいのはそれとは違うんです。

Q:資本主義でも社会主義でもない世界観とは?

まず、ベーシックインカムが欠かせません。そもそも税金とは、富の格差を是正ぜせいするためにつくられた制度です。これが何を意味しているか。資本主義という経済システムを不完全だと認識した上で、それでも資本主義を採用し続けている事実です。富の格差は生まれてしまうし、その差は埋まらない。この事実を僕らはこの50年、60年で証明してしまいました。税金には持ち過ぎた人のお金をめぐって来ない人のために循環させようとする機能があります。だから、めぐって来ない人に「そうなったのは自己責任ですよ」と言ってしまうのは本来、間違いです。すべてを自己責任の言葉で、ぶった切るようなマネも、してはいけないんです。

問題は人にない

これは資本主義の不具合である

その構造に致命的な欠陥がある

ここをどうにかしないといけません。そのためには次の社会システム、次の経済システムが必要です。企業は、経済を通じて社会とつながっています。良い会社をつくろうと思ったら、良い社会システム、良い経済システムじゃないと本当の良さを維持できないわけです。僕は、そう気づいてしまいました。気づいてしまったからには、どうしても、いまの資本主義に迎合げいごうしたくなくて。資本主義のパラダイムではない指標の必要性も感じます。そのための勉強会もあります。人間には目に見えるモノや数字がわかりやすいですから、どうしてもKPIに頼ってしまう。だから、そもそも、その指標を変えるロジックです。

Q:たとえば、変えたい指標があれば教えてください。

GDP。もはや機能していません。ブータン王国が使っているGDH (国民総幸福量)のようなものを日本も持たないといけないと、10年以上前から指摘する人もいます。指標、単位という意味合いから、やっぱりお金のデザインも変えたり増やしたり、したいですね。たとえば地域通貨をくさる設計にするとか。

Q:eumoユーモが理想的?

そうではなくて、eumoユーモ以外でも構わないんです。前述のシルビオ・ゲゼルしかり。価値は劣化していく必要があります。それが自然の摂理だからです。自然にのっとったデザインにしないと、経済もそれに反し、機能不全を起こします。

Q:私たちが使っている日本円はくさり(価値が減り)ませんから、いまの経済は自然の摂理に反していると?

もちろんです。代表的なのが金利。いまのお金は増えていくじゃないですか。あの機能は自然界に存在しません。自然界では生まれたら死にます。これが何を意味しているかといえば、死は普通、自然であるということです。くさったり死んだりせず、いまのお金は増えていきます。増えるから、みんな、人に渡さずに持ってしまう。持ってしまうとは『める』です。みんながめるので、めぐりません。めぐらないと経済は循環しません。循環しないのは自然の摂理からして不自然です。不自然な状態が続くと、そのシステムには、いずれ不具合が起きます。イスラム金融では利子が禁じられていますし*8、歴史をさかのぼると昔のキリスト教も、お金を貸すときに金利を禁じていました。金利は無限に増え続けますが、最後には泡(バブル)のように「バーン」と弾けるものです。これが自然の摂理です。数千年前から、その知恵を人間はたくわえてきました。なのに、いまの金融経済は不自然な状況になっています。やはり、行き過ぎですよ。

Q:自然にのっとった通貨をデザインする必要があると?

そうですそうです。金融について面白い話を思い出しました。突然ですが、ファイナンスの語源をご存じですか?

Q:いえ。ギリシャ語とか?

フランス語なんですが、面白い話があって。

ファイナンスfinanceの語源がファイナルfinalで、『終わり』なんです。経費を精算する、というじゃないですか、これも『終わり』を意味していて。何が終わるのかというと、人間関係が一旦、終わるんです。お金を割り勘すると、そこで一度、人間関係は終わります。貸し借りなしなので。でも、たとえば「今日、僕が誘ったので晩御飯をご馳走しますよ」となると「ああ、すいませんね。じゃあ次は私がおごりますよ」と、次回の話になるときも、あるじゃないですか。このやり取りは、互いに関係を終わらせたくないという意思の現れなんです。慣習として、その行為を惰性だせいで続けている場合もありますが、貸し借りが人間関係をつなぎます。そこに『便利』なことで介在しているのがお金です。お金とは、機能であり手段です。手段に価値を持たせてしまうと、それが目的になってしまいます。関係を終わらせる前提で、それを目的とした人間関係をいたるところで僕らは築いているわけなんです。だから分断が進むし、そうなりやりやすいデザインに、いまのお金は、なってもいると。このままで良いわけがないですよ。お金なんて、単なる紙、共同幻想ですからね。しかも現在は金本位制きんほんいせいじゃないから、きんが価値を担保たんぽしていません。これ、仮想通貨ですよ。

Q:いまのお金の価値を担保たんぽしているのは何?

国です。国が担保たんぽしているだけ。国の信用が落ちたらどうなるか。ウズベキスタンやベネズエラなどでは国の信用が地に落ちて、ハイパーインフレーションを起こした歴史があります。そうなると、道端にお札の束が「ドサッ」と捨てられる場合も。そこまでの経済破綻はたんを起こすと大変なので避けたほうが良いですが、そんな事態を招くリスクをはらんだ、不完全な国家って、そもそもナンダって話になるわけです。

Q:国家の意義、重要な機能、役目とはなんでしょうか?

富の再分配でしょうね。これまでの国家は、公共サービスの名目で富の再分配を実践してきました。

Q:なぜ?

所有権から生まれる格差をなくすためです。これは今後、いたるところで小さく、必要に応じて分散されていくでしょう。具体的には『私はエストニアがめっちゃ好き』そんな個人が、eレジデンシーを取得して自分の所得税の半分をエストニアに納めるとか。日本に住んでいながら、向こうに法人をつくって法人税を納めることもできてしまうわけで。徴税の概念も次第に薄れていくのではないかと感じます。こうした取り組みは相当数、僕が生きているうちに実現するような気がします。

Q:単なる理想論ではないと?

理想論ではありません。現実の潮流としても、ふるさと納税があります。納めたいところに納める。これが本来のりかたです。さらには、いまの自分が住む土地に税金を納める、地元納税もオススメです。

Q:地元納税とは?

呼び名はなんでもOKなんですが、たとえば、僕が住む東京都世田谷区は、ふるさと納税によって56億円ほどが流出しています*9。ふるさと納税そのものは良い仕組みだと思いますが「いま、自分が住む場所(地元)のために、ふるさと納税を使う」も良いと思うんです。これを僕は『地元納税』と呼んでいます。いずれにしても2つを対比し、どちらが良いかの議論には興味がありません。大事なのは税金の本質です。

Q:公共サービスの名目で富の再分配が実践されてきた、従来の税制に物申したい?

一言申し上げたいですね。「税金を国が徴収しなくても機能するデザインとは何か」このテーマも個人的にかなり考察・研究・勉強しました。実現のために必要なポイントは3つあると考えます。グローバル・タックス、クラウド・タクシング、ノンマネタリー・タックスペイメントです。

「サボることの何が問題になりますか?」立ち止まって考えたい税金、通貨、組織のりかた

Q:税金を国が徴収しなくても機能するデザインについて、教えてください。

1つ目は、グローバル・タックスです。平たくいえば、国境を超えた課税の仕組みです。いまは『どこの国で課税するか』が問題になっています。ですが、そもそも、国の概念を超えたときに必要な考えかたは『必要なところに、必要なだけ』です。地元の地域活動に必要、自治体の運営に必要など、国を前提とせず、納めたい公共サービスを選んで納めます。この仕組みがあれば、国が徴税し、富を再分配する必要性はなくなります。そのために必要なのが2つ目のポイント、クラウド・タクシングです。

〇〇の公園の芝生がめくれていて荒れている。あそこで子供を遊ばせたいから、公園がある町・市・区に税金を納めたい

通学路の1つに、道幅が狭く、センターラインがない道路がある。子どもが学校に通うのに危ないので、ガードレールを設置してほしいから、その町・市・区に税金を納めたい

などなど。それらが今後、より具体的に個別化され、公共サービスとして実施できるようにするには、クラウド上で納税できる仕組みが不可欠です。こうなれば『富の再分配』を目的に、国が一律に税金を徴収する必然性もなくなります。

Q:ポイントの3つ目、ノンマネタリー・タックスペイメントとは?

日本語にするなら『非貨幣納税』です。お金ではなく、ボランティア活動で納めるなどの『お金を介在させずに納税できる仕組み』を意味します。たとえば、草むしりです。

自宅のとなりの空き地に雑草がい茂っているので、そこをやりますよ

この植木、すごく汚いから自分がやりますよ

それらを公共サービスとしてやると、行政は業者に委託します。そこで発生するのが中間流通のコストです。これが、まあまあの金額感で発生するわけです。いまの税金は、徴収した額の3割、4割程度しか再分配できていません。せっかく徴収した税金は3割、4割程度しか再分配されず、区役所の職員は、その区に住んでいない場合もあります。徴収した税金の使い道を決める人が、その町の住人ではないわけです。

Q:どこか気持ち悪いですね。なんだろう?

そうなんですよ、おかしいんです、これ。当事者(住人)じゃない人たちが、当事者のお金の用途を決めてしまっていますよね。だから、無駄なところ(当事者の声とは違う用途)に税金が使われてしまうんです。これが暴走すると利権がからみ、バックマージンを求めて無駄な道路工事などの公共事業が繰り返されます。こんな事態を回避するデザインの1つが、非貨幣納税です。労働での貢献が『納税』とみなされれば、自分たちにとって必要な社会インフラを当事者(住人)が自ら整えることができます。この発想は、自分の労働力を『資本とみなす』ことにもつながりますから、資本主義を変えていく、きっかけにもなりやすいと感じています。

Q:資本主義を変えるきっかけとは?

新たな議論です。労働による納税が認められたり、地域通貨の価値を認める人が増えたりすると、その価値が相対的に上がっていく可能性があります。それで生まれるのが議論です。

それらの価値と日本円との兌換性だかんせいを持たせるのか持たせたいか

どちらかの側面を意図的に強く持たせる地域通貨にしてはどうか

議論が増えると、いよいよ資本主義というモノが変わるでしょうね。資本主義の問題を解決する唯一のアイデアは、全員が資本家になるという考えかたです。なかには「全員が多かれ少なかれ、株を持てば良いじゃないか」とおっしゃる人もいますが、いやいや、ちょっと待ってくださいよと。持てないじゃないですかと。そこで、非貨幣納税の出番です。地域通貨や労働が資本としてかされれば、全員が日常的に『資本家』として活動していることになります。そうなると、みんなが『持つ者』になるわけです。まっとうな暮らしをしている人、フツーに生活をしている人、人間らしく生きている人にも、ちゃんとお金がめぐってきます。健全に、格差が是正ぜせいされていくプロセスです。僕はそう思っています。

Q:前例はあるんでしょうか。実際に格差を是正ぜせいした地域通貨などの事例があれば教えてください。

具体例を僕は知りません。ただし、その『道』があるとして、通過点として外せないものに仮想通貨があります。着目しているのは仮想通貨の、概念や技術です。資本主義に飼いならされてしまった僕らが法定通貨以外を扱う上で、マインドを変えるきっかけには、なっています。なっていますが、まだ問題があります。いまある仮想通貨は資本主義の仕組みの上で動いているので、格差を生んでしまっている点が問題です。

Q:たとえば、ビットコインとか?

ビットコインは、ドルや円よりも少数の人がすべてを支配しています。1パーセント未満の保有者が総量の8割、9割を持っていて、富の格差が尋常じんじょうではありません。きわめて資本主義的です。それに対し、地域通貨をテクノロジーでリデザインするアイデアには可能性を感じます。

Q:地域通貨には、どんなものがあるんですか?

何十年と前からあるんですが、アメリカのニューヨーク州にイサカというエコビレッジがあって、そこで流通していた『イサカアワー』が有名です。日本なら、東京の高田馬場や早稲田の商店街を活気づけている『アトム通貨』、神奈川県相模原市にある藤野という地域で使われている『よろず』、東京都国分寺市の『ぶんじ』なんかもあります。こうした地域通貨は特定の地域でしか使えませんし、部分的です。

Q:部分的とは、日本円が圧倒的に使われるため?

そうです。存在はしていますが本当に部分的で、完全に機能しているとはいいがたいのが現状です。

Q:地域振興券はどうでしょうか?

思想としては近いです。やり取りがアナログだと、機能としてのお金の価値を劣化させたり、循環したお金の期限をデザインしたりが難しくなるので、資本主義を変えるようなきっかけには、なりにくいですね。

Q:紙ではダメ?

紙幣や地域振興券などのアナログなやり取りでも『〇〇日まで使用可能』と期限を区切れますが、それを誰かにゆずると、使用期限が延長されるようなデザインが難しいんです。使うたびに使用期限が伸びたり、失効するとコミュニティ内を循環したりするデザインは、テクノロジーを使わないと実現できません。だから、これまでの地域通貨は不完全でした。

Q:テクノロジーが必須?

欠かせません。地域通貨をIT化することで、誰が、いつ、どこで使ったかを『見える化』します。その機能が重要なんです。その意味では前述の、藤野で使われている地域通貨『よろず』は、そのデザインが素晴らしくて。硬貨や紙幣がなく、あるのはノートだけ。通帳サイズのノートだけで、やり取りをします。

Q:どんなやり取りをするんですか?

『僕がAさんに何かをした』『Aさんが僕に何かをした』という相対あいたいの貸し借りをノートに文字で残していくんです。最後に、互いに、相手のノートに自分のサインを書きます。これで支払完了です。歴史上、これまで流行はやった通貨には、その裏に裏書うらがきがありました。お金の起源に立ち戻ったデザインです。

Q:昔のお金の裏には、文字や文が書かれていた?

しかも、そこには、誰が、誰に使ったお金であったかの履歴が残されていました。通貨の起源をご存じですか?

Q:いえ。教えてください。

通貨の起源は物々交換であるとされていますが、このとき、石に『誰に何をあげた』の記録をしていたことが、裏書うらがき発祥はっしょうとされています。現代でいうところのブロックチェーンそのものです。

Q:お金のやりとりや、取引のレコードを残すことは、ずっと昔からあったと?

あったんですよ。そうした履歴は、食品や製造の分野を中心にトレーサビリティとして着目されていますが、実現のためにテクノロジーが欠かせなかったわけです。欠かせない技術が、いま、生まれていて、社会に実装できるフェーズを迎えています。お金のデザインに限らず、ビジネス、経済、国、社会などのデザインは、いま、新旧が融合しはじめている時代だと僕は感じています。

Q:新旧とは?

『新』はテクノロジーです。『旧』は、そもそもの原点であり、何度も繰り返しますが自然の摂理にのっとることです。それが理想のりかただと僕は思っています。人類は発展をげながら現在へとたどり着いたわけですが、それは必要な変化でした。でも、変化のなかで僕らは人工的になり過ぎました。ことわざにもありますが、度が過ぎれば、それは足りないことと同じように好ましくありません。度が過ぎた僕らに、いま必要なデザインやプロトタイプは、ずっと以前からあったわけです。その大切さを違った立場の人が、それぞれのやりかたで、いま、訴えています。

Q:たとえば?

フランスの経済学者、トマ・ピケティが代表的です。全世界でベストセラーとなった『21世紀の資本』の著者でもある彼は、資本主義の限界を指摘しました。富裕層が富むと、そうではない人たちの所得が結果的に押し上がるとされる理論『トリクルダウン』は、資本主義において起こらなかったと、数式で証明した人物です。新たな経済システムを具体的に示すことが急がれています。ダボス会議(世界経済フォーラム)の創設者クラウス・シュワブ氏の言葉も印象的でした。「世界の経済システムを考え直さないといけない」として、グレート・リセットという強い言葉を使いました。同じニュアンスで経営を語ったのは、日本電産の代表取締役会長である永守重信さんでした。「50年にわたり正しいと信じてきた自分の経営手法は間違っていた」と、去年、日経新聞に話しています。企業や組織の変革という領域なら、前述の『ティール組織』の著者であるフレデリック・ラルーと、その本の日本語版で解説役を務めた嘉村賢州さんが第一人者でしょう。『ビジネスの未来』を書いた独立研究者の山口周さんや、『人新世の「資本論」』の著者であり思想家でもある斎藤幸平さんも、行き過ぎた資本主義に警鐘けいしょうを鳴らしています。社会学者の大澤真幸さんにいたっては、僕と、ほとんどまったく同じ問題意識を持たれていることを最近になって知りました。枚挙にいとまがありません。そうした世界観に、これまで僕たちが到達できなかったのは必要なテクノロジー、インターネットがなかったからです。それが、ときをて技術革新が進み、いま融合しようとしています。

Q:新旧の『新』=テクノロジーについてもう少し解説をお願いします。融合しはじめた事例として、私たち働く人にとっての身近な変化、その具体例はありますか?

組織論を例に挙げます。ティール組織に代表される進化型組織などの『新』しい組織論には、いくつかの重要なポイントがあります。1つは、自律分散(セルフマネジメント/自主経営)です。この形態を模した組織は1960年くらいから研究されていて、その時点で、すでに理想論として紹介されています。なぜ理想論だったのかというと、これは僕の考察ですが、自律分散型の組織をアナログな手法で再現することに限界があったからだと思っています。

Q:アナログな手法とは?

おもに、情報伝達の話です。組織の一体性は情報共有からしか生まれません。書類に代表される紙といったアナログな情報伝達の手段では、個人が自律して動くには煩雑はんざつで、コストがかかり過ぎます。これは個人を視点に組織を語った場合の話です。これに対し、組織を視点に個人を語ると違って見えてきます。

Q:どう見えますか?

組織を視点に個人を見た場合、アナログな情報伝達の手段が、もっとも効率的である場合があります。

Q:どんな場合ですか?

ヒエラルキー組織の場合です。マニアックで、かなり専門的な話になりますが、英語に緊張や張力を意味する『Tensionテンション』と、統一や統合などの意味を持つ『Integrityインテグリティ』があります。それらの造語が『Tensegrityテンセグリティ』です。テンセグリティには、最小限のもので安定する最適な状態という意味合いがあります。この概念でヒエラルキーをとらえると、組織を安定させるための最適な指示系統はトップダウンなんです。情報の流れは一方通行であり、流れに逆らって戻ると効率が下がります。それを防ぐために必要なのが、先に物事を決めておくことでした。これは、トップダウンの情報伝達において、ヒエラルキー構造がもっとも安定することを意味します。大企業が大きなピラミッド型組織になっているのは、構造工学の観点から考えても理にかなっているんです。アナログな上意下達はヒエラルキー型組織において、もっとも効率的な情報伝達の手段です。

Q:テンセグリティについて、もう少し教えてください。

テンセグリティの概念では、2つ以上の『リード』と結びつくとことで、その対象物との適切な距離感が自然と調整されます。これを組織の人間関係に当てはめると、緊張関係が生まれたとき、それを緩和させ、安定するための適切な距離感を当事者同士では調整できないことがわかります。

営業と経理がギスギスしている

いつもデザイン部と編集部で意見が食い違う

などです。そうした緊張関係が生じているとき、そこに1人を加えて3人にするだけで互いの張力が整い、ほど良い距離感が生まれます。

Q:あいまいな部分が重要、関係者を増やすことが大切といった印象を持ちましたが、そんなイメージでしょうか?

近いですね。

Q:質問を変えます。たとえば、2人のチームを3人にしたあと、そのなかの1人がサボったときの責任の所在はどうなりますか?

どう、というか。そもそも、サボることの何が問題になりますか?

Q:何がって、ズルいなどの不満が出ませんか?

これは僕の個人的な考えですが、別にサボっても良いと思いますよ。

Q:なぜ?

『働きアリ』の2割くらいは、実際には働いていないという話があります。ご存知ですか?

Q:いえ。教えてください。

2割の『働かないアリ』をアリ塚から排除すると、どうなるか。残りの8割から新たな『働かないアリ』が、2割くらい生まれるとされています。組織においても同じで、違う個性を持った人の集合体である組織において、個人と個人のテンション(働き)を全部、均等にしようとすること自体が本来は不自然です。個性の集まりである組織は、いびつなカタチをしたテンセグリティですから、テンションに強弱があって、しかるべきです。だから僕は、2割くらいの働いていない人がいて(働きに違いや差があって)、ちょうど良いと思っています。ところが、ヒエラルキー構造は画一かくいつ的に人のパフォーマンスを測り、その水準に人を当てはめるわけです。ロボットや歯車の集合体のように設計し、組織のなかのリソースを100%使い切ろうとします。これ自体が、そもそも不自然なんですよね。人間も所詮しょせんは動物でしかないので、80%くらいの頑張りが、せいぜいですよ。100%頑張れるときがあれば、そうじゃないときもある。というよりも基本的には、ユラユラとしているくらいが調子良いわけです。

Q:8割の『働きアリ』のために、2割の『働かないアリ』が存在しているとか?

そうした面もあるとは思いますが、2割の存在が新しいエサ場を見つけるなどの、イノベーティブなアクションを起こします。こうしたイノベーションは偶発性からしか生まれません。

Q:話を聞きながらGoogleの『20%ルール*10』を思い出しました。そこからGoogleの新製品の半分以上が生まれた話です。8割の『働きアリ』も、2割の『働かないアリ』も、アリ塚という組織構造には必要だと?

僕はそう思います。先ほども言ったように、ヒエラルキーは上で決めたことを下に流し、下は忠実に実行する組織なので、基本的には予想外のことが起こらないよう設計されています。この仕組みからたして、イノベーションが生まれるだろうか。僕には疑問が残ります。

Q:「イノベーションには技術や才能のほかに、寛容性が欠かせない」と指摘した都市学やクリエイティブの専門家がいました*11。寛容であるから何かが偶発するんでしょうか。一方で、寛容性を保ちながら成果を追うことは、組織において非常にあやういと感じる人もいるように思います。武井さんの考えを聞かせてください。

成果、結果。これについてマサチューセッツ工科大学の教授だった、ダニエル・キムという中国系アメリカ人の博士が『成功循環モデル』を提唱しています。

Q:成功循環モデルとは?

関係性とパフォーマンスの相関関係についての洞察です。

4つの『質』で成り立つサイクルがあります。4つは1→2→3→4→1というサイクルで循環します。

  1. 結果の質

  2. 関係の質

  3. 思考の質

  4. 行動の質
        ↓ 
       (2周目)

多くの組織では、1の『結果の質』をどうやったら高められるか、から会議に入りますが、そうすると関係性に強い緊張が走ります。

結果を出さないと、この場にいられない

ハッキリと言葉にしなくても、そんな暗黙のメッセージが場に漂います。その緊張がポジティブに働く場合もあるとは思いますが、基本的には人間関係を良くするものではありません。ほとんどの場合、2の『関係の質』は悪化。関係性が悪くなると、人は、保守的な言動を選ぶので、大きなアクションをしにくくなります。これで下がってしまうのが、3の『思考の質』です。

会議で話さなかったし、良いアイデアが浮かばないから何もやらないでおこう

事前に決めた以外の行動を選ぶのが怖くなるからですね。無難ぶなんな行動に終始したり、消極的になったりします。3の『思考の質』が下がると、4の『行動の質』の低下を招くわけです。これがめぐって、1の『結果の質』に戻ってきますが、結果の質は良くなりますかね。

Q:そうは思えません。実際には?

ほとんどの場合、質は上がりません。めぐり戻ってくる結果の質が悪いことで、さらに関係の質がそこなわれ、思考の質にも悪影響が及ぶ、悪循環におちいります。これがダニエル・キムの提唱する、成功循環モデルにおいてのバッド(BAD)サイクルです。

Q:どこが、成功循環モデルなんですか?

順序や流れをそのままに、スタート地点を変えれば、グッド(GOOD)サイクルになるので、成功循環モデルと定義されています。

Q:スタート地点を変えるとは?

会議を結果の質ではなく『関係の質』からスタートさせます。

  1. 関係の質

  2. 思考の質

  3. 行動の質

  4. 結果の質
        ↓
       (2周目)

関係の質から会議や対話をスタートさせると、思考が前向きになります。2の『思考の質』が高まることで「それ、やってみようか」とポジティブなアイデアが発散されるわけですね。場の偶発性も高まり、奇抜なアイデアがいたりアグレッシブになったり、思い切って違うやりかたで仕事にとりかかったり、手数が増えたりします。そうして、3の『行動の質』も高まる。4の『結果の質』にも期待できませんか、という話です。

Q:絶対にそうなるんですか?

絶対論ではないですが、かなり重要です。仮に、4の『結果の質』が上がれば、めぐり戻って1の『関係の質』は、もっと良好になるはずです。その好循環をグッドサイクルと呼びます。しかし、現実は多くの場合、そうなってはいません。数字はわかりやすいですから、とくに営業会議は『バッドサイクル』にいちいりがちです。「会議はじめます。今週の進捗。アポの件数は、――」そうした会話で会議の口火が切られることは、営業系の会社だと、かなりの確率であるのではないでしょうか。場合によっては会議を『詰め会』と称し、担当者が「やりきります!」そう宣言するまで、上司が何時間も詰め寄るとか。最近は、だいぶ減ったと聞きますが、有名な上場企業でも実際にありましたし、まだ実践されているところもあると思います。

Q:それは、成功循環モデルから考えると、バッドサイクルにしかならない。大事なのは関係の質からはじめること。具体的に、どうやるんでしょうか?

雑談、少し前ならアイスブレイク。最近は『チェックイン』といって、会議の前に参加者全員が発言する機会をもうけるやりかたもあります。それらは基本的に、関係の質を良くしたいという思いがあるんです。あるんですが、注意したいのは「結果を出すために、関係の質を良くしよう」とする管理者なりマネージャーなりの、計算が見え隠れしないことです。

Q:なぜ「結果を出すために関係の質を良くしよう」では、ダメなんですか?

周囲に伝わるんですよ。さっき言った『チェックイン』にしても、お互いに、いま、どんな心境なのかを伝え合うことに意味があります。感じていることであって、考えていることではない。ここがキモです。これから話し合おうとする会議のテーマ以外に、どんな心配事があるのか。仲間が抱える、そうした背景を知っておくと、会議に参加している関係者に対して良いかかわりが生まれやすくなるんです。絶対に、グッドサイクルになって結果の質が上がるとは断言できませんが、単なる方法論の話ではありません。組織とは実体がない共同幻想であって、そこで働く人が「自分は、メンバーシップを持っている」そう思っているかどうかにつきます。組織は人間関係で、できているわけで、人間関係を良くしたい話なのに損得の考えをかくして立ち回る人を信頼したいですか。そうした人に自分の心を開いて、かかわりたいですかという話です。

Q:個人が自律的に『関係の質』を高めたいと思ったとしても、上司が『結果の質』に強いこだわりを持っていたら、会議はバッドサイクルに流れるんでしょうか……。少し話を戻します。たとえば、構造工学の観点からみたとき、大企業の個人が自律(分散)的に動いたら、どうなりますか?

ヒエラルキー構造のままなら情報伝達の効率が損なわれ、組織は機能不全を起こすでしょう。この事実は、危機感を抱く大企業の中間層が僕のところに以前、たくさん相談に来ていたという事例が裏付けになっています。自律しようとする若手が大企業で動くと、それをヒエラルキー構造が許さないわけです。

Q:ニュースやネットの記事で社員の自律、自律型人材の必要性といった言葉を目にします。そうした個人は、そもそも既存のヒエラルキー組織では活躍できないと?

それはまた別な話ですが、経営者が社員へ向かって「これからは自律が大事だ!」と叫んだ瞬間に、自律の本質から離れてしまうわけで。既存の経営システムで、本質的な個の自律を扱うのは非常に難しいと思います。TOPの発言は、いやがうえにも強制力を持つからですね。これが、ピラミッド型のヒエラルキー組織にひそんだ落とし穴です。経営者が本気で個人の自律を歓迎し、奨励しょうれいしようと思っていても、そうした働き(生き)かたを個人が実践するには、かなり慎重な姿勢で、組織構造にメスを入れる必要があります。

Q:ピラミッド型とは違う構造で組織を管理しなければ、本質的には、個人が自律して働くのは難しいんでしょうか?

管理という概念そのものが自律分散の本質から離れてしまいますが、少なくとも、能力に優れることや経営者の視点を持つこと=自律した個人ではありません。個人事業主の集団=自律分散型の組織であるとする理解も、本質をとらえていません。これらは誤解です。

ポイントは重なり合い。あみだした自然じねん経営の3要素『情報の透明性、力の流動性、境目の開放性』が支配と権力を分散する

自律分散型の組織の本質は、働く側の個人にありません。マインドやモチベーションなどの問題でもなく。かつ、TOP(経営者)の理解は必要不可欠で、その人の世界観が、もっとも重要です。「そうはいっても売上が優先だろ」その考えがダメなわけでも間違っているわけでもなく、はじめのほうでも言いましたが前提が違うんですよね。

Q:経営システムが人間性を大切にできない環境で、どう対応するかではなく、そもそも、人間性を大切にする環境を前提にし、その上で経営システムを新しくデザインする必要があるのではないか?

そうですそうです。だから、TOP自らが組織の枠組みをリデザインすべく、動くことが求められます。目新しい方法論や仕組みだけを導入しても『骨折り損のくたびれもうけ』に終わります。自律分散型の組織はITなしに実現できないので、テクノロジーへの理解もきわめて重要です。情報伝達の手段をIT化する必要もあります。具体的にはインターネットです。先ほど「60年代に自律分散型組織が理想論として紹介されている」と説明しましたが、当時はそれがありませんでした。

Q:自律分散型の組織にはインターネットが欠かせない?

欠かせません。そもそも組織とは、組織というカタチが先なのではなく、情報の流れが最初にあります。誰から、何が伝わるか。その情報流通の経路が先なんです。テクノロジー、とくにインターネットが存在しなかった時代には、電話やファックスなどで情報を流すしかありません。コミュニケーションは基本的に、伝言ゲームのように一方通行です。あらかじめ物事を決めておく必要がありました。決めないと情報を下へ流せないからです。これは、インターネットの登場により、ガラッと変わりました。リアルタイムに複数人と、同時に、コミュニケーションできるようになったわけで、ディスカッションすら可能です。一方通行だった情報の流れは『縦横無尽』に、1対1のコミュニケーションは『多対多』になります。

Q:インターネットのほかに「これは絶対に必要」そんなテクノロジーがあれば教えてください。

オススメはGジー Suiteスイートslackスラック、電子契約です。これを僕は『自律分散型の組織における三種の神器』と呼んでいます。裏を返せば、そうしたテクノロジーを駆使くししないと自律分散型の組織になることは、ありません。

Q:業界や業態を問わず、そうした準備が整っていなければ、本質的には企業で個人が自律した働きかたをするのも難しい?

難しいです。前述の、お金やトレーサビリティの部分でも、テクノロジーが欠かせないと言いましたが、それらも、すべて僕には同じ話題に聞こえます。

Q:同じ話題とは?

組織論や経営の分野では、旧来のピラミッド型組織にみられるヒエラルキー構造が限界を迎えています。求められているのは、自然の摂理にのっとり、ITを駆使くしした自律分散型の組織デザインです。経済では、旧来の資本主義にみられる、成長経済が限界を迎えています。求められているのは、自然の摂理にのっとり、ITを駆使くしした定常(循環)経済へのシフトです。この話の展開は、すべての産業に当てはまります。金融、サービス、小売、メーカー、通信、マスコミ、官公庁も例外ではありません。僕のなかでは、業界というコミュニティが違うだけで、扱うべきイシューは共通している認識です。それらの問題を解決することができる、独自の組織論にもたどり着きました。基本的に、あらゆる業界、企業に応用できる理論です。

Q:どんな理論ですか?

自然じねん経営と呼んでいます。これを仲間と見つけました。

Q:仲間とは?

自然じねん経営研究会の仲間です。この社団法人は、僕と山田裕嗣ゆうじさんが共同発起人となって立ち上げました。自然のように変わり続ける経営のりかたを対話から模索もさくするコミュニティです。誰でも参加自由で、2018年7月に立ち上げてから3年と少しで、Facebookグループのメンバーは2,000名を超えました。

Q:山田さんとは?

山田裕嗣ゆうじさん

AIベンチャーの人事責任者をしながら、累計10億円くらいを調達したマーケティング会社の共同代表なんかもしていて、特筆すべきは思考のスマートさです。彼は、東洋と西洋の世界観、価値観、宗教観を統合しながら、それらを現代の経営に落とし込もうと探求しています。心理学や河合かわい隼雄はやおにも精通している人で、最近は『source principle』という新しいテーマにも取り組んでいます。僕は、山田さんといろいろな話をするなかで、一緒に自然じねん経営というコンセプトを見つけました。

Q:自然じねん経営について教えてください。

非常に抽象度の高い話になりますが、重要な要素として3つを挙げています。

  • 情報の透明性

  • 力の流動性

  • 境界の開放性

それらを組織論に落とし込みました。3つが整うと会社だけでなく、学校、町、国なんかもサステナブルになり、これを利用すれば、プライベートな人間関係もリデザインできます。

Q:サステナブルになる、とは?

要するに、自律分散型の関係性になる、ということです。

Q:3要素について、もう少し解説をお願いします。

情報の透明性は『自律分散というカタチ』を意味します。そのために定量・定性のどちらの情報も見える化し、構造化することが重要です。力の流動性は『循環という流れ』によって生まれます。そのためにコミュニティ内のコンテクストをそろえ、権力が固定化しないことが大切です。境界の開放性とは『重なり合っていく関係性』を大事にしようと訴えています。

Q:自律分散というカタチ、循環という流れ、つながり合っていく関係性を整えると、持続可能な組織になる?

つながり合うではなく、重なり合いです。3つの言葉の意味を反対側からとらえると、もう少しイメージしやすくなるはずです。たとえば自律分散の反対のカタチは、中央集権、そんな感じです。

Q:循環の反対の流れは?

搾取さくしゅ。一方通行の『流れ』を意味しています。

Q:重なり合いの反対の関係性は?

分断。ここは、とくに重要です。

Q:なぜ?

「いま、社会は分断されている」そんなセリフを頻繁ひんぱんに聞きます。それは事実ですが、分断されている社会において足りていないのは、重なり合いなんです。対立構造で説明します。なぜ、二項対立でぶつかるのか。白黒、多数派(マジョリティ)と少数派(マイノリティ)、株主と労働者、所有者と利用者などなど。そうした二項対立は、1つ上のパラダイムやメタから事象を認知しないと、本質的なコンフリクトは解消できません。アインシュタインは、目の前の問題は、その問題が生じたときと同じパラダイムでは解決することはできないという趣旨しゅしの言葉を残しています。そうなるためには、重なる構造が望ましいんです。つながりも必要ですが、それだけでは不十分で。

Q:具体例があれば教えてください。

スポーツを例に挙げます。日本のプロ野球だと、巨人ファンと阪神ファンの仲は悪いとされていますよね。両チームはライバルなので、二項対立の関係です。両チームのファンに「仲良くしましょう」と説得しても無理な話です。どちらかが勝てば、どっちかが負ける。これは構造上、仲良くなりようがありません。ところが「両チームとも同じセントラル・リーグに所属するチーム」となると、それに対立するパシフィック・リーグとの対抗戦において、巨人ファンと阪神のファンは仲良くなります。チームメイトなので当然、応援する仲間です。さらに国別対抗戦となり日の丸をつけて戦うとなれば、日本代表チームが結成されます。日本中の野球ファンが仲良くなるわけです。これらはすべて『1つ上のグループでくくる』ことで、その環境下においては、以前にあったコンフリクトが解消されてしまいます。この構造は重なり合いです。対立構造は同じ目線のままだと絶対に解決しません。国同士のあらそいも国という概念がある以上、その目線を持った人たちが集まる限りは、対立構造を解消するのは、とても難しいわけです。この話は企業の縄張りあらそいにも通じます。企業が存在して、どれだけ自分たちの陣地を広げられるかが資本主義のゲームですが、そうした分断や二項対立を目の前にしたとき、重なり合っていれば、重なっている部分においては『どちらのモノか』の議論が生まれません。

Q:そもそも、二項対立が生まれる背景には何があるとお考えですか?

所有権ですね。

Q:何度も出てくるキーワードですね。そもそも所有権はどうやって生まれ、広がったんですか?

イギリスがインディアンを攻めたときの逸話があります。それまでの植民地戦略は、首長(TOP)を殺すものでした。首長がいなくなると、その土地が奪えました。でも、ネイティブアメリカンだけは、首長を殺しても次の『首長らしき人物』が自然と出てきて、部族がバラバラになりません。どうやら部族には、支配の概念がないらしいと。支配がないとは『その部族を支配している権力者がいない』でもあります。長老はいるけど、支配者ではない。そこでイギリス軍は支配の概念を部族に植えつけます。

Q:どうやって?

部族のおさに、金銀財宝などを渡して告げるんです。

これは、お前の物だ。ほかの人に渡すなよ。お前だけ得するぞ

そうやってインディアンを支配していったという話があります。所有権のもとをたどれば、それは縄張りあらそいです。僕は、縄張りの境目を開放し、みんなで重なり合っているという認識をはぐくむことが、いまの時代に必要だと考えます。だから、自分がすべきは、重なり合える領域のデザインであり、それは、これからの社会創造だと思っています。

Q:武井さんがやっている『重なり合える領域のデザイン』の事例を教えてください。

それでいえば、僕が住む世田谷の用賀でやっている、町づくりですね。この地区には用賀、上用賀があり、町会同士の仲は良くありません。なぜ、仲が良くないか。明確に縄張りが存在するからです。でも、僕らがやっているNPOの地域活動は、2つの地区をまたいで活動します。チーム用賀というコミュニティの3割くらいのメンバーは世田谷区民ですらありません。関係人口の集まりなんです。世田谷区民とそうではない自治体の人が、住んでいる地域や立場を超え、地域活動という大きな領域で重なっています。こうしたコミュニティの開放性を僕は意図的にデザインしています。僕らの地域活動なら、2つの地域を含んだ大きな領域をつくることが重要です。同じ設計で、いろいろなコミュニティに出たり入ったりして僕は気づきました。重なり合いによって生まれるのが当事者意識であり、これは人がコミュニティ内のさまざまなプロセスにかかわることで、はじめて芽生えるのだと。ところが、従来の組織論は考えかたのスタートが違いますし、当事者意識をはぐぐみにくいデザインです。その構造体が持つ力学に個人は逆らえないので、ピラミッド型やヒエラルキー構造のパラダイムの組織にいると、そのパラダイムに個人は染められてしまいます。紹介したような開放性に優れたコミュニティや組織をつくろうとするなら、従来とは違うパラダイムや世界観に触れる必要もあります。

Q:従来とは違うパラダイムや世界観の1つが、自然じねん経営?

そうです。

Q:それは理想的な姿ですか?

ある環境においての最適な姿の1つですね。企業や人は、それぞれに、おかれた環境があります。そこでの最適な姿は環境の数だけあるわけで。限界を迎えつつある資本主義において、僕は、次の社会では持続可能であることが優先されると思っています。持続可能な組織とは、自然の摂理にのっとったりかたをしている組織で、その1つが自然じねん経営だろうと。社会、経済、業界、チームが右肩上がりに伸びる環境では、個人が自律した動きをするよりも、ヒエラルキー型の構造のほうが最適だと思いますし、個人にとってもそのほうが幸福感を抱くんじゃないかなと。価値観による違いも当然ありますが。

Q:個人の価値観による違い、とは?

自律分散型の組織がベストなわけではなく、すべての企業がそうあるべきだとも考えていません。画一かくいつ的な理想像、そんな統一基準は現代にもはや存在せず、大事なのは、いまの僕らがどんな環境におかれているかです。それは個人個人で違うじゃないですか。自分がおかれた環境で、生きかたを選べるようになることが大事なんだと思いますよ。

Q:武井さんは、自分がどんな環境にあると感じますか?

それでいうと、ピンときた話があって、僕には『手放すと新しい世界が自分に入ってくる』そんな環境、感覚があります。いつも、そうなんです。ほしい物を自分で手に入れたことがなくて。手に入れようと自分なりに必死になるんですが、それを手放すと自然に、誰かから新たな世界をさずかるというか。

Q:たとえば?

CDデビューしたい

そうと思って、自分で頑張っていたときは一切、カタチにならなかったんですが、あきらめると、著名なミュージシャンから「一緒にやろう」と声をかけてもらいCDデビューできました。ダイヤモンドメディアをやっていたときも同じです。

会社を早く大きくしたい

そうした思いもあって。でも、自分なりに12年、頑張ってみましたが、体が嫌がるというか。だから僕は自分のことを『そうした体質なんだ』と思うようにしています。その会社を手放したら、今度は新井さんに声をかけてもらって、eumoユーモをはじめとした新しい世界が次々と僕に入ってきた。そんな感覚があるんです。プライベートでも似たような出来事が節目で起こるんですが、僕は自分で「ほしいほしい」とやっているうちは、手に入らないんですよね。でも、必死にやると回ってくる、めぐってくるフシがあって。そんな人間なんだろうなと、少し前からあきらめています。

Q:ということは、新しい経済や次の社会創造をあきらめたり手放したりしたとき、しんに手に入る?

その可能性は否めませんね。あと、そうだ。いつも僕は10年ぐらい頭のなかが早いんで、10年後ぐらいが僕にとっての本当の出番なのかもしれません。

(おわり/プロローグ)

メインカット&スタジオ撮影/芹澤裕介
画像の提供/武井浩三

【参考情報一覧】
*1★https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2016/08_01.html
*2★https://dxo.tebanasu-lab.com
*3★http://en.bp.ntu.edu.tw/wp-content/uploads/2011/12/06-Alexander-A-city-is-not-a-tree.pdf
*4★https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00897/2005/pdf/B41D.pdf
*5★https://www.city.kobe.lg.jp/documents/26439/mansion_kentoukai_siryou4_1.pdf
*6★https://fundinno.com/projects/268
*7★https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf
*8★https://www.tr.mufg.jp/houjin/jutaku/pdf/u201608_1.pdf
*9★https://toyokeizai.net/articles/-/398972?page=4
*10★https://grow.google/intl/ALL_jp/work-at-google/
*11★https://www.diamond.co.jp/book/9784478024805.html


プロフィール/武井浩三(たけい・こうぞう)

1983年生まれ。出身は神奈川県横浜市。高校卒業後にミュージシャンを志す。渡米し、Citrus College芸術学部音楽学科を卒業。帰国後にCDデビューをたす。アメリカでの体験から起業するも、倒産・事業売却。この経験から 「かかわるものすべてに貢献することが企業の使命」という考えへ。2007年にダイヤモンドメディア株式会社を創業。会社設立時より、経営の透明性をシステム化する。「給与、経費、財務諸表をすべて社内に公開」「役職・肩書を廃止」「働く時間・場所・休みは自由」「起業・副業を推奨すいしょう」「代表・役員は選挙で決める」といった、管理しないマネジメントが次世代型企業として注目を浴びる。 2017年に「ホワイト企業大賞」を受賞。自律分散型経営(ティール組織、ホラクラシー経営)における、国内実践者のパイオニアとしてメディアへの寄稿、講演、組織支援をスタート。2018年に、これまでの経験を凝縮した独自の経営理論を確立。これを「自然じねん経営」と名付けた。自ら立ち上げた一般社団法人自然じねん経営研究会で、その研究と実践を継続。そのコミュニティメンバーは2,000名を超える。それらの活動と並行して、不動産領域におけるITサービスの普及活動に尽力。同年、一般社団法人不動産テック協会を設立、初代代表理事を務めた。ほかに、一般社団法人LIVING TECH協会理事、公益財団法人日本賃貸住宅管理協会IT部会幹事、国土交通省公益遊休不動産活用プロジェクトアドバイザー、住宅地盤情報普及促進委員会委員なども歴任。課題意識が社外の領域を占めるようになり、2019年9月にダイヤモンドメディアを退任する。以後、経営や組織論に留まらず「自律分散・循環経済・重なり合い」の3つをキーワードに、持続可能な社会システムや貨幣経済以外の経済圏など、新しい社会のりかたを実現するための研究・活動に注力。代表的な活動の1つに、鎌倉投信の創業者である新井和宏氏が起業した、非営利株式会社eumoユーモがある。同社の共同経営者として、新しい金融にかかわりながら、SDGs、組織開発、フェアトレード、エシカル消費、地域エネルギー、地方創生などに奔走ほんそう。ほか、多数の営利非営利企業にてボードメンバーも務める。世田谷区での地域活動にも積極的な姿勢でたずさわり、NPO法人 neomuraネオムラの理事として、地域の祭事、清掃活動にも時間を割く。この活動は世田谷区から注目を浴び、2021年には区の委託事業がスタート。世田谷区で畑をつくるプロジェクトが進む。2022年3月時点で、肩書は社会活動家/社会システムデザイナー。重なり合う社会構造のことをポリモルフィック・ネットワーキングと呼び、これを日本語にすると多形構造たけいこうぞうと訳せる。自身のフルネームと同じ響きであることから、今世での天命・使命を感じる。というのが、自己紹介の持ちネタの1つ。
武井浩三さんのプロフィーサイトはコチラ → https://lit.link/kozotakei

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