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第4話「陶芸教室どうしよう」-現れたヒゲのバンド-

こんにちは、なかたです。
ワースレスでマリオネットのトートンをやっています。

先週の第3話では、ワースレスに僕が加入するまでの経緯を、
のんしゃらんことのぞみさんの視点からお送りしました。↓


今日は僕の視点から書いてみたいと思います。

「陶芸教室どうしよう」

ヒゲのバンドに誘われた日、僕は渋谷ズンチャカという街フェスに出演していました。
友人の田中稜平はエレクトリックギターを弾き、全自動シャボン玉製造機からシャボン玉を大量に発生させ、PCの打ち込みを流しつつ、僕はマリオネットを動かしていました。2015年です。25才でした。

のぞみさんからワースレスに誘われた時の第一印象は、「陶芸教室どうしよう」でした。
その頃の僕の生活は、平日は金融IT界隈で仕事をしつつ、休日は横浜市陶芸センターでろくろを回す日々を送っていたのです。「休日にろくろを回せなくなる」。一抹の不安がよぎりましたが、この時、僕はなぜか即答でOKしてしまったのです。

「ピザみたいなワースレス」

そもそもの話をすると、マリオネットをバンドで動かし始めたのは、22才、大学4年生の頃にさかのぼります。もともと僕はビッグバンドという大編成のジャズバンドでピアノを弾いていました。大学4年生の頃に小編成のジャズバンドで横浜ジャズプロムナードに出演するときに、ライブの中で1曲だけピアノからマリオネットに持ち替えたのがスタートだったと思います。
こういう書き方をすると語弊があるかもしれないのですが、ジャズには過去の文脈をベースに評論を楽しむ土壌が少なからずある気がするのですが、何かそういうところから1回離れたいなぁという願望があってマリオネットを始めたように思います。

風呂の歴史に詳しくなくても風呂に入ると気持ち良かったり、ピザの歴史は知らなくてもピザはおいしかったり、そういうただただ楽しくて直感的でポジティブな体験がライブでできたらと思って今もマリオネットをしてる節があるのです。

客席から見たワースレスは、ピザや風呂やマリオネットと似ていました。ただただ楽しかったです。気づいたら誘われていて、気づいたら即答で加入していました。マリオネットを始めた動機と近しいものがあったのだと思います。

ワースレスの活動は今もとても楽しいです。これからもピザみたいなバンドを目指したいです。

次週は第5話「こどもが生まれた!サマソニに出たワースレス!(仮)」(サニーさん回)
お楽しみに!

▶︎ワースレスのライブスケジュール!https://www.theworthless.info/pages/1312179/page_201709301632

▶︎ワースレスのアイテム https://infohige.stores.jp/

▶︎ワースレスの2作目の絵本! https://theworthless.info/talk

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