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【53冊目】三月の5日間 / 岡田利規

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入院とはいえ怪我での入院なので頭は元気である。怪我の痛みこそあれ、頭は元気なのだったら、その頭の中でやれるべきことをやったほうがいいですね。例えば当店月初のお決まり「ウィグタウン読書部」とか。本来は月初なので4/1にやるべきなんですが、4/1は手術だっていうんで、ちょっと早い月末ですが、いまのうちにやっていきましょう。

というわけで、三月の課題図書は岡田利規『三月の5日間』。いままで当ウィグタウン読書部では様々な本を取り扱ってきたんですがね。主に小説で、たまに評論とか、文化史とか、グラフィックノベルとかも扱ってきたんですが、今回は戯曲というやつですかね。いわゆる演劇のためのシナリオというやつで、この『三月の5日間』という演劇も私は観たことがあるが実は観たことがない。どういうことかというと、私が観たのは映像として配信されていたものであって、生で演劇を観たわけではないということで、やっぱりお芝居は生で見なきゃいけないよねーって思うものだから、観たことはあるが観たことはない、みたいなことになってしまう。なので、今作もストーリーラインは知っている。イラク戦争が開戦した2003年の三月の5日間を、渋谷のラブホで過ごしていた男女二人の物語を軸に、その周囲を描いた作品だということは知っている。そして、それよりもこの演劇を特異なものにしていたのが俳優たちの語り口調で、これをして「超リアル日本語演劇」とか言われていることも知っている。舞台上の俳優はそれぞれの役を演じるというよりかは、それぞれの役のことを語る「語り手」を演じているという形式で、つまりは観客に対して「これはこういう内容のお芝居なんですよ」という説明をしている、という演劇である。それは、第一幕冒頭の第一声である〈それじゃ「三月の5日間」ってのをはじめようと思うんですけど〉という台詞にも顕著に現れている。登場人物は誰もみなだらだらと喋る。最初はそのだらだら喋りに違和感もあるのだけれど、それはその喋りを "読んで” いるからで、これが "発話” のための文章だと気付くと、意外とすいすい読める。そして、その「発話のための文章」という性質と「それぞれが語り手として物語の説明をする」という構造が、登場人物をリアルな人物として浮き上がらせつつ、それでいて、それぞれが語るトピックに対しての客観的距離感を演出しており、イラク戦争からラブホで一緒に過ごす相手に至るまで、関心があるんだかないんだか分からないような感じである。この、登場人物たちが放つ自身をも含めた周囲に対する「平熱感」こそが、この作品の魅力だと思いましたね。自己の関心が世界の大きな潮流を止めるわけではないという諦めと、それでも無関心ではいられないという独立した個の発露。「無力と無関心は違う」とは、同時期のオルタナティブバンド、Qomolangma Tomato のフレーズだが、この意識はゼロ年代中頃に滞留していた「世界の大きな変化」と「それに対してあまりにちっぽけな自分」というムードが大きく影響していると思いましたね。読んでいきましょう。例によってこれ以降は【ネタバレ注意!】となりますのでご留意くださいませ。

というわけで『三月の5日間』の話をしようと思うんですけど、まずはこの発話調の文体の話をしようと思うんですけど、「発話のための文章」と「読まれるための文章」って役割が全然違うって思うんですよね、役割っていうか、果たせる領域っていうかが、全然違うって思うんですよね。どういうことかっていうと、例えば我々が普段文章を書く時ってどうしてるかっていうと、こう、頭で文章を考えて、それを出力するって形で文章を書いていると思うんですけど、この思考→文章っていうプロセスって、すっごく時間がかかるって思うんですよね、例えば人に感謝を伝えたいなって思うじゃないですか、親切にされた時とか。じゃあ具体的に、重い荷物を持ってもらったりした時に、感謝を伝えたいなって思うじゃないですか、するとこの思考を発話するってなると「ありがとう」って言いますよね。思考→発話っていう流れってすごく短いと思うんですよ、でも、これを文章にしようとした時に、例えば物を持ってもらった感謝を文章で伝えるってなった時に、ただ「ありがとう」って書くだけじゃ足りなくて、例えば「いついつどこそこで重い荷物を持ってもらった〇〇と申します、その節は大変お世話になりました、あなたのその親切な態度に私はいたく感銘を覚えました、あなたにとっては何気ない行為だったとしても私にとってはとても感動的な出来事でした」とか書くわけじゃないですか、これっていうのは、もはや最初の思考からめちゃめちゃ遠いんですよね。思考から発話が一本の筋だとしたら、思考から文章って、その筋にめちゃめちゃ枝葉をつけてるっていうか、思考からの時間が経てば経つほど、そこからのアウトプットには不純物が混ざると思うんですよね。逆のパターンていうのもあると思うんですけど、つまり文章にすることによって枝葉の部分が削がれて一本の筋になるってパターンのことですけど、例えばさっきの荷物の例でいうと、荷物持ってもらった時に「ありがとう」の前にほんとは、ほんとの思考はもっと色々考えてると思うんですよね、なんでこの人荷物もってくれたんだろうなーとか、重かったからラッキーとか、これ後でしっかりお礼しなきゃいけないなーとか、いろんなことを考えてると思うんですよね。でも文章にする時って、そんな枝葉の部分を書くことっていうのはまずなくって、だってそんなことを伝えていたら文章ってめちゃめちゃ長くなっちゃうし、そもそも本筋とは関係のない枝葉の部分だしって、普通は書かないんんですけど、発話の場合は、その思考からアウトプットまでの時間が短いから、文章に比べるとまだ思考の方に近いっていうか、より考えに不純物が混じってない状態、みたいな感じだと思うんですよね。だから今作の登場人物が、『三月の5日間』の話ですけど、その登場人物がみんな発話を前提にしたテクストを読んでいるっていうことはつまり、よりそのキャラクターの素が出てるっていうか、リアルな感じになってると思うんですよね、飾り立てた文章ではなくって、より思考に近い発話という形でって話ですけど。

それで、そのリアルな発話っていうやつで何が語られるかっていうと、例えばこっちではナンパで知り合った男女がラブホでやりまくってたりとか、こっちではあんまり乗り気じゃない感じでなんとなく反戦デモに参加してたりとかっていうのが語られるんですけど、これってすごい対比になってるって思うんですよね、だってラブホってめちゃめちゃパーソナルな空間じゃないですか、最小単位の社会であるパートナーと二人きり、みたいな空間なわけじゃないですか、片やこっちでは世界の?イラク戦争を思う反戦デモが展開されているわけであって、イラク戦争っていわばアメリカとイラクの戦争じゃないですか?はっきり言って日本からはちょっと遠いトピックっていうか、そりゃあイラクへの自衛隊派遣とか、その中には死者も出ちゃったりとか、必ずしも無関係じゃないとは思うんですけど、多くの日本人にとってはいわゆる「どこか遠い国の出来事」っていうやつで、日本の、渋谷の、若者たちにとっては全然リアルじゃないっていうか、そんなリアルじゃないイラク戦争と、めちゃリアルな渋谷のラブホとが、同じような説明調の発話体で語られるわけなんですよね。これってなにかっていうと、イラク戦争と同じ熱量でラブホの5日間が語られてるってことで、これが例えば逆だったら分かるんですよね、ラブホと同じ熱量でイラク戦争語るっていうんだったら分かるんですよね、なんかアツい人なんだな、みたいな、でも、どこか遠い国の、興味あるんだかないんだか分からないみたいな熱量でラブホのことを語るっていうのは、それはつまり、自分たちのめちゃパーソナルなことでさえ、どこか遠い国の戦争と同じくらいの興味しかないってことで、それは、ラブホで二人が「この関係は5日間だけのものにしよう」「連絡先とか交換しないで別れよう」っていうラストにも通じる話なんですけど、イラク戦争に対して反戦デモをしてもどうせなにも変わらないっていう無力感が、自分たちのパーソナルな出来事にも影響してるっていう話なんですけど、この、世界に対する無力感っていうのが、自分たちのパーソナルな関係にまで浸潤していくっていうのは、この時期の、つまりゼロ年代の、つまり2001年9月11日以降の、大きなテーマだと思うんですよね。それまでの価値観や社会ってものが、ワールドトレードセンターと一緒に崩れ落ちていって、再建を叫ぼうにも、もう、なんか、全部壊れちゃったしな、みたいな、そんな無力感があったんでんですよね。それを思うと、2011年3月11日以降のテン年代にも、もしかして同じことって起こったのかな、とかも思うんですけど、それが、この感想文の最初でも述べた、ロックバンドの Qomolangma Tomato が2012年に発表した楽曲『スパイラル』でのフレーズ「だけど、無力と無関心は違う」で説明されてると思うんですよね。だから、私の感想としては、この『三月の5日間』に対する感想ですけど、発話調の文体と、説明口調による構造とが、すごくこの時代の、この時代っていうのはゼロ年代っていうことですけど、この時代の空気感を表しているよなって、思いました。「遠くの戦争よりも今晩の夕食」とか言いますけど、もう今晩の夕食とかもどうでもよくなっちゃったなー、みたいな。正義が行方をくらましていた時期なんだよなー、とか思ったんですよね。でもそれから、9.11から10年後に3.11があって、それから約10年後の2020年3月からはコロナ禍があって、こんなにも価値観のスクラップ&ビルドが短いスパンでくると、そりゃ正義も行方をくらますよなって、 そんな風に思ったんですよね。今の時代って、2024年3月の話ですけど、ウクライナとか、ガザとか、やっぱり世界っていまでも混乱し続けてるまんまで、SNSの発展とかもあって、それまでの価値観がころころ簡単に変わっていく時代だと思うんですけど、『三月の5日間』でいうところの、反戦デモには興味ないけどラブホの中には興味あるーみたいな、社会に対する無力さを諦める代わりに個の世界を充実させるーみたいな、そんな時代なのかもなーとか、そんなことを思ったんですよね。それが、私の、『三月の5日間』の感想なんですよね。

というわけで、3月の課題図書は岡田利規『三月の5日間』でした。同時収録の他の作品も含めて、ぜひ声に出して読みたい作品でしたね。面白かったです。4月の課題図書はウラジーミル・ソローキン『青い脂』です。読んでいきましょう。

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