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【47冊目】アンソーシャルディスタンス / 金原ひとみ

10月です。
本日14時-23時半です。

まだ少し夏の暑さが残ってはいるものの、朝晩の涼しさもだいぶ心地よくなってきましたね。食欲の秋に芸術の秋、スポーツの秋に読書の秋ってことで、つまりは月初。当店のお決まり、ウィグタウン読書部ですね。

さて。
9月の課題図書は金原ひとみ『アンソーシャルディスタンス』。コロナ禍の流行語である「ソーシャルディスタンス」の否定形であり「反社会的距離」とでも訳せそうなタイトルですがね。「非社会的」の方が適切ですかね。五編の短編小説のアンソロジーなわけなんですが、登場人物が揃いも揃って距離感がバグっている。女性の視点で男女の物語が描かれるわけなんですが、対象となる男性との距離感はもとより、彼女たちの距離感のバグりは、仕事や年齢、社会や自意識にまで向けられており、もはや自己の内在にかかわらず全方位に反社会的な距離感となっていて、なにかっていうと、本当に読むのが辛かった。というのも、バグっている彼女たちも自分がバグっていることに驚くほど自覚的で、冷静な視点で自分が狂っていく様を見つめている視点がある。全ての主人公には、自分の行動原理を明確に言語化して説明できる特殊能力が備わっており、その冷徹なまでの客観的視点は読者の視点と重なり、つまり、読者が「何やってんだこいつ」と思うところでは彼女たちは「アタシ何やってんだろ」と呟くし、読者が「そんなことやったって不幸になるだけじゃない」と思うところで彼女たちは「こんなことしても不幸しか待ってないのにな」と呟く。そんなことをされると読者は、自分の冷静なツッコミと、冷静な視点を持っている時の彼女たちの視点が重なっていることに気づき、気が付けば彼女たちとともに「分かりつつも共に狂っていく」ことになる。主人公の女と読者はどんどん同一なものになっていき、彼女たちの狂いっぷりが自分にも内在していることに気づかされるわけで、いやはや。読むのが辛かったですね。単行本の帯には尾崎世界観がコメントを寄せており、曰く〈自分の腹の中を見てしまいそうで苦しいのに読まずにはいられない、胃カメラみたいな小説〉と。うまいこと言いますね。私なんていうのは、こいつは完璧に「読む自傷行為」だなって思いましたね。怖いですね。読んでいってみましょう。

今作は、5人の女性を主人公にした短編が5編が収められているわけなんですが、それぞれの作品をざっくりと一言で紹介していくと「鬱になってベッドから出てこなくなったイケメンバンドマンの彼氏の世話をしながら、隣でストロングゼロを飲んでいる女の話」「年下男子と付き合うことになって急に自分の加齢が気になり始め、プチ整形を繰り返す女の話」「旦那と複数の浮気相手との間で主体性を失っていく女の話」「ぴえん系女子が恋人と心中の旅に出る話」「恋人との身体接触が生きがいの女が、コロナによって生きがいを奪われて虚無に陥る話」となり、なんというか、こうした一行の便覧を読むだけでもつらくなりそうな感じがありありなんですがね。私なんていうのは、これらの作品たちに随分とくらってしまって。一編を読み終えても、次の一編にすぐさま取りかかれないくらい、深いため息の中に沈み込んでしまった。全てが救われない物語の中で、ハッピーエンドを迎える登場人物の出現をいまかいまかと待ち続けるのだけれど、当然そんな人物は出てこないし、なんなら私の想像よりもずっと深いところまで彼女たちは私を引きずり込んでいくようで、読むのにとにかく体力が必要でしたね。それぞれの登場人物が様々な対象に依存して、それは酒だったりプチ整形だったり自殺願望だったりするのだけれど、そうした表面的な依存の本質となっているのは、どこまでいっても男で、つまりは女と男。個と個のことが描かれており、結局のところ酒だプチ整形だなんていう表面的な依存なんていうのは代替可能なものであり、代替不可能な個と真剣に向き合おうとすればするほど、ある者は自身の主体性を相手に仮託し、またある者は共に死ぬことを考える。彼女たちの抱える問題は、全てその「代替不可能な個」との摩擦によって生まれるものである。この「代替不可能な個」というのを他者に求めているうちはまだいい。なぜなら他者の代替不可能性というやつは意外と代替可能で、するってぇと何が一番代替不可能かっていうと、それは言わずもがな「自分自身」である。
作中の彼女たちの距離感がバグっているのは、まさしく「自分自身」が揺らいでいるからに他ならず、その「自分自身を見つめる視線」の強度を増すためにこそ、彼女たちは他者に依存していく。ストロングゼロを飲みながら彼女は〈もうずっと、自分のことを把握できていない〉と呟くし、プチ整形を繰り返す彼女は〈人は相手のあらゆる唯一無二性に惹かれる〉〈でも今、私は人の唯一無二性を信じられない〉と嘆く。浮気を繰り返す彼女は、何を考えているのか分からない旦那と、情緒不安定な浮気相手Aとの関係に疲弊しつつも、まるで裏表のない底抜けの陽キャである浮気相手Bとの関係は〈私はあそこまで乖離性のない人間と一緒に居続けることは不可能〉と分析し、今日もバッチリとメイクをして新しい男との食事に出かける。彼女たちが求めているのは自分自身の肯定で、しかしそれぞれの環境がなかなかそれを許してはくれない。全編を通して「大嫌いだけど、大好き」みたいなアンビバレントなフレーズが頻出するのは、まさしく世界がそうした複雑性を持っているからで、彼女たちは「代替不可能な自分」の写し絵としての「代替不可能な相手」を求めているのだけれど、その達成はとても困難で、その困難性も知っている彼女たちの奮闘は、なんともはや、読んでいて大変つらかったですね。私なんていうのはよく「個と社会」について考えているのだけれど、彼女たちは「個と個」のことを考えていて、彼女たちの半径2m以内の社会が見せつけてくる剥き出しの「個」に私はすっかり面食らってしまって、すごく疲れてしまいましたよ。なんというか。私はもしかしたら「個」を「社会」にまで拡大させないと向き合うことのできない人間なのかな、と思いましたね。「個」と向き合うことを怖れ、嫌悪しているのかな、と。
そんな剥き出しの彼女たちの思考がブーストし続ける今作中には、強烈なパンチラインも数多く出てくる。例えば、浮気を繰り返す彼女は〈結局のところ、明日死ぬかもしれない世界で、何歳で結婚何歳で出産何歳でマイホーム何歳で昇進何歳までに幾ら稼いで老後資金コンプリート、みたいなことを考えている人は、私にはコントロール・フリークにしか見えないのだ〉と言う。「コントロール・フリーク」というパワーワードは最高だなって思いましたね。身体接触依存の彼女が彼氏に振られそうになった時に「私はあなたが居ないとダメなの。あなたが居ないと生きてる価値がない」と、自分の存在価値を他者に丸投げするお決まりフレーズを放った時に、彼氏が何を言ったかというと〈「俺がいなきゃ価値がないなら、俺がいたとしても価値はないし、俺がいないと駄目なら、俺がいたって駄目だよ」〉とい、とんでもなくつよつよな正論で、笑っちゃいましたね。もし同じシチュエーションで泣き縋られることがあっても、私にはこんなこと言えないな、っていうくらい切れ味の鋭い返しですよね。色々と迫るフレーズはあったんですが、中でも私が好きだったのが、自殺願望のあるぴえん系女子が恋人と心中の旅に出て、旅の終わりを二日後に控えた夜、〈「ちょっと聞いて欲しいんだけど」〉と話し始めた彼氏に対して言った彼女のセリフで、曰く〈「俺たちに待ってる仄かに明るい未来の話でしょ?そんなの私は考え尽くしてる」〉。これですよね。すごい返しだと思いますよ。常に希死念慮を小脇に携えてきた人間にしか言えないセリフだと思いますし、こんな解像度で「個」と向き合った作品を描ける金原ひとみさんの深い洞察というものを感じましたね。全部の人生がその濃度で描かれていて、そりゃ疲れるわけですよね。マジで個と向き合いたくないな、って思いましたね。でも、だからこそ、必要なのかもしれませんね。

というわけで、9月の課題図書は金原ひとみ『アンソーシャルディスタンス』でした。10月はバーナード・マラマッド『レンブラントの帽子』です。読書の秋です。読んでいきましょう。

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